キーティング前哨の生存者が名誉勲章に

2013.1.13


 military.comによれば、金曜日にオバマ大統領は、同時多発テロ以降で4人目の存命中の受勲者に名誉勲章を与えると発表しました。

 ノースダコタ州、マイノット市のクリントン・ロメシャ退役陸軍2等軍曹(Staff Sgt. Clinton Romesha)は2月11日に勲章を受け取る予定です。

 イラクとアフガニスタンの戦いで、総計10個の名誉勲章が与えられました。3個は別の生存者は、全員がアフガン派遣者の、サルバドール・ジュンタ陸軍2等軍曹(Staff Sgt. Salvatore Giunta・関連記事はこちら)、ダコダ・メイヤー海兵3等軍曹(Sgt. Dakota Meyer・関連記事はこちら )、ルロイ・ペトリ1等軍曹(Sgt. 1st Class Leroy Petry・関連記事はこちら )です。

 ロメシャ2等軍曹はアフガン東部のヌリスタン州(Nuristan province)、第4歩兵師団第4旅団戦闘団第61騎兵連隊第3大隊B中隊の班指揮官として勤務したとき、キーティング戦闘外哨での戦闘で、アフガン兵が敵の攻撃を逃れた後の武勇に対して送られます。前哨基地の門を破った敵の迫撃砲とPRG、重機関銃は8人の米兵を殺し、20人以上を負傷させました。

 この攻撃は、ABCテレビのホワイトハウス特派員、ジェイク・タッパー(Jake Tapper)が書いた「The Outpost」アフガン戦で米軍が被った1日の被害では最大の戦闘の一つとされます。ロメシャと共に戦った9人の兵士は、すでに銀星章を受勲しています。

 約50人のアメリカ人、約20人のアフガン人、ラトビア兵2人は、約12人のアフガン兵と共に、キーティング戦闘外哨で、夜明け前に攻撃が始まったのに気がつきました。攻撃は3時間以上続きました。

 名誉勲章の表彰文によれば「ロムシャは敵の機関銃チームを撃退し、交戦する僅かの間に、彼が援護のために用いた手榴弾がRPGで攻撃され、破片による傷を負いました」。ロムシャは戦い続けました。「完全に自らの安全を顧みず、戦場を自信に満ちた態度で移動して、ロムシャは敵の強烈な銃火に身をさらし続け、前哨の外縁を突破したタリバン兵3人を含む複数の敵目標と交戦して、破壊しました」。

 ロムシャは妻と3人の子供と友にマイノットに住んでいます。彼は12年の勤務の後、2011年4月に陸軍を退役しました。


 記事は一部を紹介しました。

 同時多発テロから12年近くになり、その間、ほぼずっと戦闘が行われていたことを考えると、名誉勲章が全部で10個というのは、極めて少ないことです。その理由は色々いわれていますが、明確な答えはないようです。

 キーティングの戦いは当サイトでも何度も紹介しています(記事はこちら )。あまりにも下手な戦術が、敵を呼び寄せた典型例です。

 この戦いで名誉勲章はあり得ることですが、引き合わない名誉でもあります。

 また、名誉勲章の決定には時間がかかるものとはいえ、随分と時間がかかったものだと思います。もしかすると、タッパー氏の本でロムシャの武勇が改めて認識され、名誉勲章の推薦へとつながった可能性もありますが、それならば、彼は先に銀星章を受勲していてもおかしくありません。この場合、銀星章が名誉勲章にアップグレードされるのではないかとも思うのですが、そういう記述はありませんでした。

 他に考えられるのは、キーティングの戦いでは、当時のアフガン派遣軍指揮官マクリスタル大将のミスも指摘されたので、そういう問題がすべて解決するまで、受勲が据え置かれた可能性です。毎度のことですが、名誉にはこういう面倒くさい問題がいくつもつきまとうものです。


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