キィーティング基地大敗の調査報告

2011.6.13


 military.comによれば、米軍の調査は2009年に起きたキーティング前哨基地(Combat Outpost Keating)の悲劇的な敗北に関して、指揮上の問題と結論しました。

 米軍の調査は、数百人の武装勢力がアフガニスタン北部の孤立した前哨基地を携行式ロケット弾、迫撃砲、銃器で攻撃した時、指揮上の失敗が米兵を十分な支援が受けられない防御できない場所に置いたとしました。8人が戦死しました。2009年10月のキーティング戦闘前哨基地の戦いで、ほかの22人が負傷しました。金曜日に中央軍が公表した調査結果は、53人の米兵をパキスタン国境に近いヌリスタン州(Nuristan province)の脆弱な位置の前哨基地に配置したことに関して、4人の将校を訓戒か戒告処分とすることを勧告しました。

 書類は当時アフガンの最高指揮官だったスタンリー・マクリスタル(Stanley McChrystal)が、大尉、少佐、中佐、大佐の将校を処罰する決定を承認したことを示しました。彼らのプライバシーのため、中央軍のウェブサイトに掲載された報告書の写しから彼らの名前は削除されています。報告書は、第61騎兵連隊第3大隊B中隊の兵士たちは「戦術的に防衛不能の場所」で「不明瞭な任務」を与えられたとしました。

 ガイ・スワン大将(Gen. Guy Swan)が指揮した調査は、攻撃の数週間前に大規模な敵部隊がキーティング近くに集結し、攻撃の準備をしているという報告があったとしました。調査によれば、これらの報告は指揮系統上にあげられましたが、「反応は不十分で、結局のところ、敵の行動に対して部隊を準備するための情報は機能不全を起こしました」。報告書は、キーティング基地にいた兵士は少なすぎたともしています。さらに、基地は閉鎖される予定だったため、障害物の建設やその他の防御は継続されていませんでした。

 しかし、マクリスタルは将校たちの過去の能力を称賛し、彼らが直面した難しい環境を認めました。2009年12月の覚書で、マクリスタルは「我々がこれらの将校に複雑な戦闘環境に直面するよう強いた、極めて困難な任務と法外な責任」を認めると書きました。

 調査に含まれる目撃者の証言によると、米兵と一緒に配置されたアフガン兵のほとんどは銃撃戦の間に逃げたり、隠れたりしました。B中隊の1等曹長とだけ特定される目撃者の1人は、キーティング基地のアフガン兵のグループを「最悪」「無価値」と呼びました。キーティング基地および同時に攻撃された近くの基地フリッチェ(Fritsche)でアフガン兵と働いた別の兵士は、アフガン兵はパトロールに行くのを拒否し、アメリカ人からもらった補給品を地元民に売ったと言いました。

 別に、military.comにISAFによるキーティングの戦いの概要が載っていたので、それを簡単に紹介します。

 キーティングは第61騎兵連隊第3大隊B中隊が配備されていました。兵士たちは対武装勢力任務を開始しましたが、すぐに自分たちが高い高地に囲まれたボウルの底深い場所にある遠く離れた基地で生き残るために戦っていることに気がつきました。報告書は「限られた人員と戦術的手段」のため、しゃがみ込むだけで周辺部を守ろうとしていたと書いています。「2009年中期まで、キーティング前哨基地により土地の占領を維持することの戦術的、戦略的価値はありませんでした」「即座に閉鎖すると、基地の部隊防護の改善を妨害するという考え方があり、キーティング基地の閉鎖を遅らせるのは重要でした。指揮系統による不十分な処置があり、敵戦闘員にとって魅力的な目標になりました」。

 前哨基地は閉鎖される予定でしたが、輸送手段の不足により、B中隊は彼らが撤退する後も長く据え置かれるのを余儀なくされました。報告書は、10月の攻撃のために集結した武装勢力を警告できた無人偵察機が利用できず、どこかほかの仕事を課されていたと言いました。

 武装勢力は、5ヶ月間で47回の攻撃を行って、繰り返し前哨基地を調査し、主要な兵器システム、発電機と兵舎の位置を把握しました。大勢ながら小規模の攻撃だったため、地上軍の指揮官は小さな偵察攻撃が続いているだけだと信じ込み、敵軍が大規模だという報告を軽視しました。

 10月3日の朝、約300人が基地を攻めた時、巧みに配置された迫撃砲、狙撃手、RPG、機関銃の攻撃はすばやく基地の迫撃砲を破壊し、施設の東部を守っていたアフガン兵を蹂躙し、発電機を破壊し、3ヶ所で施設の中に入り込みました。生き残った兵士たちは施設内のより狭い場所へ押し込まれました。最後には、空軍のジェット機とアパッチ攻撃ヘリコプターが近接航空支援を提供するために到着し、兵士たちはいくつかの主要な建物を再獲得できました。キーティング基地は避難し、10月6日に敵が利用するのを防ぐために残骸が破壊されました。


 この事件は過去に紹介していますが()、興味深い事件であるにも関わらず、戦闘そのものについては、まだ書いていませんでした。

 残念ながら、今回発表された報告書はまだファイルを見つけられずにいます。上に紹介した戦闘報告も概要に過ぎず、内容は不十分です。

 この敗北の原因が指揮上の問題であることは、前から言われていたので、この報告書の結論は目新しいものではありません。しかし、公式に結論が出た点は重要です。この失敗が軍に教訓として残り、戦術が改善されることになるからです。

 不明瞭な作戦を続けていると何をしているのかが分からなくなり、こういう失敗をするのだと言えます。周囲に敵が集結しているのなら、砲爆撃で事前に敵襲を防止できたはずです。価値もない前哨基地を維持したために、無用な犠牲を出す結果となりました。アフガン戦では類似する失敗がいくつかみられます。



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