東日本大震災被災地見学記 その3

2018.7.3


請戸小学校跡

 請戸漁港から直線で600メートルほどの場所、海岸線からは270メートル足らずの場所に請戸小学校がありました。海岸から遮るものがないこの小学校も津波を受けて使えなくなってしまいました。時計が示す時刻が津波が到達した時刻です。

画像は右クリックで拡大できます。
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 当時、生徒たちは学校にいましたが、近所の人が「津波が来る」と教えてくれたため、直線距離で1.3キロほど西にある小さな山、大平山へと逃げました。歩いた距離は1.7キロ程度です。校長先生と教頭先生は電話や駆けつけた親に対応するために学校に残り、津波が来る直前に避難しました。山への登り方は部活でここに来たことがある生徒が知っていたそうです。彼らは寒くなってきたので、さらに約2キロを歩き、山の西側、双葉町への境界線を超えて山を降りて、国道6号線で通りかかった運送業者のトラックに拾われて避難所まで移動しました。結果、この小学校は全員が無事でした。

 被災地フクシマの旅実行委員会が発行する『しんぶん 福島からの発信第8号』によると、事態は次のように進行しました。少しでも避難する決断が遅かったら、大変な被害が出た可能性があったことがわかります。

地震発生       14時46分
避難開始       14時51分
大平山の裾野に到達  15時25分
大平山への津波到達  15時43分
大平山山頂に到達   16時00分
トラックに乗る    16時30分
浪江町役場到着    17時00分

 記事から避難経路を推定すると、次のようになります。まず、まっすぐに田圃道を大平山へ向かったことで、海岸から離れたことがよかったと思われます。より歩きやすい道路はありますが、海岸線と平行なので、ここを歩いていると、津波が早く到達した場合、危険でした。

写真はGoogleEarthから引用しました。
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 現在、その山には墓地が造成され、震災の慰霊碑も建てられました。この写真はそこから小学校(左)、大平山への経路上にある放射性物質汚染廃棄物の集積所である請戸仮置場(右)を収めたものです。

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 請戸仮置場の中の道路から見た光景です。ここにも線量計が立っていました。環境省によると、放射性物質汚染廃棄物とは「東京電力福島第一原子力発電所の事故によって大気中に放出された放射性物質が、風にのって広い地域に移動・拡散し、雨などにより地表や建物、樹木などに降下しました。それらの放射性物質が、私たちの日常生活の中で排出されるごみの焼却灰、浄水発生土、下水汚泥、稲わらやたい肥などに付着した廃棄物が発生しました。」とのこと。

 袋に詰めて集めた放射性物質汚染廃棄物を塀で囲った場所に置いてあるだけです。簡単に言えば野ざらしです。袋が劣化して廃棄物が露出したりしないのでしょうか?。ここは海岸線から近くて、遮るものがありません。また津波が来ると、廃棄物は手がつけられないほどに拡散するでしょう。

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