「The Sentry」報告書 レイク・マシャル

2016.9.26


 「The Sentry」報告書のレイク・マシャル第一副大統領に関する部分の日本語訳の第3回目です。今回紹介するのは27〜33ページです。(報告書の原文はこちら

レイク・マシャル・テニー博士

  • レイク・マシャル・テニー副大統領は、南スーダンの独立となった1983〜2005年の北南スーダン内戦を通じて、スーダン人民解放軍(SPLA)と不安げな関係を築き、現在の内戦の前兆となった。
  • マシャル副大統領は1991年にSPLAを離れるまで、ジョン・ギャラン博士(Dr. John Garang)指揮下のSPLAで2番目(サルバ・キールは3番目)の地位にあり、オマル・アル・バシル大統領(President Omar al-Bashir)のスーダン政府から大きな支援を受けていた。バシル大統領は戦略の中心部分として、スーダンを分割し、征服しようとしていた。
  • マシャル指揮下の兵士はいくつかの事件で大量の残虐行為を行った。
  • マシャルはスーダンの広大な一帯で、SPLAの支配を固めるためにSPLAに再び参加した。
  • これが2005年の包括的和平合意を生み、北南戦争を終わらせ、2011年の南スーダン独立の条件を作った。
  • マシャルは第一副大統領として、2011年7月9日の独立から2013年12月の内戦開始前の2013年7月の免職まで務めた。
  • 彼は2016年7月にジュバから逃げる前、第一副大統領として復職した。
  • 以後、彼の地位はタバン・デン・ガイ(Taban Deng Gai)が務める。
  • 国際機関は、マシャル支配下の軍隊が、現在の紛争の間に、大量の残虐行為と広範な人権侵害に関与したことを見出した。
  • 2016年1月の国連委員会報告書は「戦時中に行われた、停戦違反と国際人権法と国際人道法違反を含めた暴力行為の大半は、マシャルを含むスーダン人民解放運動軍反対勢力(SPLM/A in Opposition)の最高レベルにおいて、SPLM/A-IOの高位の個人の支持、または認知のもとで行われたという明白で信頼できる証拠がある」と述べた。
  • キール大統領と同じく、マシャル副大統領は最高レベルの汚職について疑問があがった後、2016年7月に最近の戦闘が勃発したと主張する。
  • マシャルは彼が汚職に疑問を呈した一人だと主張する。
  • しかし、調査はマシャルと彼の親族がいくつかの疑わしい商取引とビジネスベンチャーに関わり、親族が国外で極度に快適なライフスタイルの生活を楽しんでいることを示す。
  • 2013〜2014年の南スーダン国家予算によれば、副大統領の年俸は54,000ドル。

ナイロビでのキールの隣人

  • レイク・マシャルの親族多数は南スーダン国外、特にアジスアベバとナイロビに住み、長い時を過ごしている。
  • 国連がマシャルの指示か認識のもとと判断した内戦と暴力行為から遙かに離れ、マシャルの親族は頻繁に贅沢に暮らし、世界中を旅行していることを示す写真をソーシャルメディアに投稿している。
  • 2016年前半まで、マシャルの家族数人はナイロビ郊外のルンダ(Runda)と呼ばれる地域内のゲーテッド・コミュニティにある上品な別荘に住んでいた。
  • 住居は寝室6カ所、バスルーム5カ所、高級備品、大きなバルコニー2カ所、手入れされた前庭があり、周囲は高い塀で囲まれている。
  • ルンダの外れに住みながらも、マシャル家のメンバーはナイロビのもう一つの富裕層向けの地域に住居を維持している。
  • マシャルの親族はキール家が住む街の同じ場所、ラビングトンに引っ越したとする写真をソーシャルメディアに投稿した。
  • 大きな石の中庭、プールがある新しい家はキール家の住居から車ですぐの場所にある。
  • 南スーダン政府筋はナイロビのキールとマシャルの家は互いに近い場所にあると認めた。
  • マシャルがこの家で記者会見を行った写真がある。
  • マシャルがこの家を入手した環境は不明のままである。
  • 南スーダンの和平プロセスに関わった地域機構「IGAD」が南スーダンとSPLM-IOとの和平交渉の間、マシャルに家を貸したと、いくつかの消息筋は認めた。
  • IGAD筋は、それは噂であり、IGADはマシャルの家を提供していないと述べた。
  • その他2つの消息筋はエチオピア政府が無償でマシャルに与えたと認めた。

「KK Security」の暴力的奪取

  • マシャル副大統領はキール大統領のSPLA一派にくらべると利益を追求する機会は遙かに少ないようにみえるものの、マシャルの親族の一人はケニヤに拠点を置く、東・中央アフリカで活動する会社「KK Security」に関与するようになった。
  • この企業は2005年に包括的和平合意が署名された直後に南スーダンで活動するようになり、ある時点で南スーダンで最大の商業分野の雇用者の一つで、国際組織、支援団体、NGO、地元ビジネスに警備サービスを提供した。
  • マシャルの甥、バディング・マシャル(Bading Machar)は南スーダンで「KK Security」の子会社の株式1%を2006年初頭に所有したとされる。
  • ケニヤの新聞の記事によれば、「(バディング・)マシャルは、同社が政府内に強いコネを持つ地元の顔を探していた2006年に「KK Security」の役員室に入った。彼は役員の椅子の他に、80,000ケニヤ・シリングの価値がある株式1%を提供され、彼は受け入れた」。
  • バディング・マシャルの「KK Security」の在任期間は最初、2009年中期に終わった。
  • 元従業員によれば「彼は2009年5月28日に取締役から解任された。それから、彼は完全に罰を受けることなく行動した」。
  • ケニヤのいくつかの報道によると、2009年12月前半にバディング・マシャルはジュバの同社事務所を占領した男たちのグループを率い、数百万ドルの価値がある車両、装備、コンピュータを含む資産を非合法に、強制的に、暴力的に押収した。
  • 会社を占領した男たちは同社の会計担当者1人を人質にして、彼に小切手に署名させた。
  • ケニヤ人従業員は経過の中で攻撃された。
  • その後、バディング・マシャルは会社の所有者だと宣言した。
  • 報道記事は南スーダンは事件に対応しなかったことを示す。
  • 「KK Security」の取締役、ロレンゾ・バートリ(Lorenzo Bertolli)は「面倒なのは起きたことではなく、当局が何もしなかったことだ」と述べた。
  • 同社の代表多数、外国人外交官は政府と直接マシャル副大統領へ訴えた。
  • ある同社従業員1人はバディング・マシャルが職員に給料を払えないようにするために、会社の口座を凍結するよう政府内での影響力を使ったと述べた。
  • 2010年前半、ケニヤの法廷はバディング・マシャルと彼の仲間に資産(4,400万ドル)をケニヤ人オーナーに返却するよう命じた。
  • 同社の代表は彼らが2011年に営業を再開することを望むが大きな費用がかかると述べた。
  • 「我々の資産は破壊された。車両は整備不良、発電機は動く状態でない」とある従業員は2010年に述べた。
  • 2016年8月、ナイロビの本社の代表は、会社がもはや南スーダンで営業していないと述べた。
  • しかし、証拠は警備会社がバディングの事件の後も「KK Security」のブランドを用いて活動していることを示す。
  • フェイスブックの南スーダンの「Konkel Security」ページは、「KK Security」と「Konkel Security」の名前が交互に用いられていることを示す。
  • 2009年11月22日、奪取が起きた数週間後、「Kon Kel Security」と呼ばれる新しい企業が南スーダンで法人化された。
  • 書類はバディング・マシャルがこの会社の株式株式70%を、マシャル副大統領の子供2人が13%を持つのと共に保有することを示す。

これは一家が支配下に置いた会社の営業を行うために新しい会社を作ろうとして「KK Security」に敵対的買収を仕掛けたことを表す。

戦争成金

  • 「KK Security」事件がいかに法の統治を弱め、政治的なリスクが外国の投資を蝕んで、弱体化させる一方で、不道徳な成金たちは武力によって権力を奪おうとする武装グループとの武器売買や取引を通じ、不安定と継続する暴力から利益を出す方法を積極的に模索している。
  • 2014年中期に、三十代のロシア人男性がそうしたビジネスをするために、南スーダンに参入した。
  • このロシア人ブローカーは「マーク・ゴールドマン(Mark Goldmann)」と自称し、「MGA Capital」の経営者だと主張し、石油と引き替えに軍装備品を売る交渉をもちかけた。

  • 2014年中期の数ヶ月間、ゴールドマンはマシャル副大統領とウクライナの国防企業「Nebo Ukrainy」との交渉の仲介役を務めた。
  • ゴールドマンはジュネーブに拠点を置くロシア人の民間人「」マゴメッド・エルザヌキフ(Magomed Erzanukaev)」が使う少なくとも二つの別名の一つである。
  • ネットに投稿されたゴールドマンとエルザヌキフの写真は著しく似ている。
  • ゴールドマンとエルザヌキフの名前で投稿されたその他の情報は、学歴と職歴が同一で、同じ時期に同じ学校に通い、同じ会社で働いている。
  • ゴールドマンが経営者と称する「MGA Capital」は、エルザヌキフが完全に所有する「Leman Commtrade」がジュネーブで登録する住所と一致する。
  • 企業情報によれば、「MGA Capital」は2014年5月20日にジュネーブで法人化され、ゴールドマンが完全に所有した。
  • ゴールドマンが署名した、2014年8月25日付けの書簡は、「MGA Capital」が石油の見返りに、国防の向上のために軍装備品の輸入に関与すると主張する。

  • マシャルは彼の代理として交渉するために、ゴールドマンを承認したようだ。
  • マシャルが署名した、2014年9月27日付けの書簡は、ゴールドマンが代表する「MGA Capital」に、代理権と融資を受けるための交渉権を依託し、研政府機関との関係を構築した模様。
  • 書簡はこの権限は予備交渉に限定され、SPLM-IOの代理で交渉された契約すべてはマシャルが署名するとしている。

  • ゴールドマンはマシャルから代理権を受けるまでに、キエフに拠点を置く企業から「Nebo Ukrainy」の代理として 南スーダンでの取引交渉を承認されていた。
  • 2014年8月1日付けで、「N・S・リャベット(N.S. Ryabets)」が「Nebo Ukrainy」の代理で署名した書簡には、「MGA Capital」のCEOであるゴールドマンに南スーダン国内で会社の利益を運用する権利を依託した。
  • 書簡は代理権をゴールドマンに与え、会社の製品を宣伝し、会社の供給品の申込みを受け付け、契約に署名する権限のない事前交渉を行う権利を与えた。

  • 「Nebo Ukrainy」はウクライナ人が兵器産業と軍隊に広範囲のつながりがある。
  • ウクライナ防空軍の副指揮官を務めた、70歳の退役中将のリャベットは、ゴールドマンに「Nebo Ukrainy」の代理権を認めた書簡の中で、「Nebo Ukrainy」の取締役会の長にあげられている。
  • ロシアの報道記事は、同社がウクライナの国営企業で、2015年後半の時点で、経営者はウラジミール・チカチェフ(Vladimir Tkachev)だったとする。
  • ウクライナ軍の高官も務めたトカチェフは、「Nebo Ukrainy」の書類上の住所と同じ住所の「JSC Military-Insurance Company: MIC」の経営者でもある。
  • 「MIC」のウェブサイトは、同社が2001年1月に、ウクライナ国有資産基金の援助を受け、ウクライナ国防省、工業省の支援で創設されたとしている。
  • 「Nebo Ukrainy」と「MGA Capital」の交渉があった時の「MIC」の経営者は、1980年代にソ連軍情報部とKGBで働いた退役ウクライナ軍大佐アンドリー・F・クーキン(Andriy F. Kukin)だった。
  • 退役後、彼は南スーダンで武器を売った会社「Ukrspetsexport」の経営者を務め、武器輸送に特化した、現存しない国営航空会社「Ukrainian Cargo Airways」の経営者を務めた。
  • マシャルと「Nebo Ukrainy」の間の取引が完了したかは不明のままである。

 これまでに訳した報告書の目次は以下のとおり。

 概説
 南スーダン内戦
 キール大統領(1)
 キール大統領(2)
 キール大統領(3)

 この報告書では、マシャルが恒常的に戦争から利益を得ていたかは断言していません。前に書いたように、マシャルの豪邸が他国政府から与えられたものなら、キール大統領一家のように、利益をむさぼってはいないことになります。

 甥っ子の不祥事や怪しげなビジネスマンたちとの関係について、マシャル派は説明すべきです。キール派よりも早くやることで、先進国の信頼を買うことができますし、できないのならキール派と変わらないということになります。

 あとで紹介したいと思いますが、新しい反政府派が誕生したようです。

 


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