サイパン玉砕の謎 敵将の見解を確認

2016.9.26


 太平洋戦争中のサイパン島玉砕で起きた3人の日本軍高官の自決に関して、その後の調査経過報告を行います。

 過去の記事はこちらです。(

 米軍の上陸作戦を指揮したホーランド・スミス海兵中将が書いた本『Coral & Brass』で、米軍がこの件について、どう見ていたかを確認しました。

 2回目の記事で書いたように、米軍が斉藤中将の最期の様子を知ったのは、捕虜になった日本人将校の証言によっており、スミス中将も基本的にこの証言に依拠しています。どうやら、米軍の情報はこの日本人将校の証言のみのようです。自決に立ち会ったとする平櫛孝中佐は万歳突撃の最中に意識を失い、海軍艦の医務室で目を覚ましたので、こうした尋問は行われなかったようです。

 スミス中将は斉藤中将の死について、次のように説明しています。

 しかし、サイトウは最後の攻撃に部下と共に前進しなかった。南雲提督もだ。サイトウはハラキリを行い、他の高級将校たちにより、死をもって同行させられた。捕虜にした日本人将校は我々に、サイトウの最期の時について、驚くべき個人的説明をもたらした。(p198)

 スミス中将は、この後の段落で日本人将校の証言の要約と、証言そのものを書いています。

 井桁少将、南雲少将が共に自決したとは書いていません。特に、南雲中将は斉藤中将とは違う場所で死んだと書いています。

 南雲提督が死んだ方法は決して分からなかった。サイパンのとても暗い洞窟はそれを秘密にしなければならなかった。彼は万歳攻撃の前夜に生きていたと報告されたから、彼も、恐らくは、自決した後で、火葬された。真珠湾で我が艦隊を沈め、そうすることでで我々を戦争へ引き込み、日本の帝国の夢を終わらせた男のキャリアには不名誉な最期だった。(p200)

 この文で、米軍は南雲中将の死体を洞窟で発見しなかったことが分かります。井桁少将は本に名前すら登場しません。日本人生存者の中にも南雲中将の生存を裏づける説明をしている人がいます。

 これらの将軍だけでなく、日本人戦闘指揮官の死体を見つけて、身元を確認したとの記事があります。米軍は高級将校の生死を確認することに熱心で、将校の死体を見つけると、身元を確認しようとしています。だから、米軍の報告には信頼性を認めてよいと考えます。

 気になるのは、死体を火葬したという説明です。死体を焼くのに十分な燃料があったとは思えないので、骨になるまで焼いた訳ではないと思われます。穴を掘って死体を入れ、木を燃やして死体を焼き、その上から土をかけて埋めたのだろうと思えるのですが、これで米軍がどうやって身元を確認したのかが気になるのです。階級章や名札は燃えてしまったでしょう。だから、発見時の報告書を確認したいと思っています。

 これまでの調査で、個人的には斉藤、南雲、井桁の三将軍は別個に自決したと考えてよいと思っています。しかし、客観的な判断をくだすには、さらに調査が必要であり、調査を継続していきます。

 


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