ペラルタ軍曹の消えた名誉勲章

2014.6.18


 2004年にイラクで、ラファエル・ペラルタ3等海兵軍曹(Sgt. Rafael Peralta)が仲間の命を救って戦死したとして名誉勲章に推されながら、海軍殊勲十字章に留まった事件については、当サイトで何度か取り上げました。military.comによれば、この問題は未だにくすぶり続けています。

 海兵隊の説明によると、死ぬ前日、ペラルタは家屋の掃討を行う、人員不足の分隊に参加し、分隊の案内を務めることを志願しました。2004年11月15日の朝、分隊はファルージャの武装勢力が隠れている家に到着しました。ポイントマンがドアを蹴り、ペラルタとその他の隊員が家に入りました。武装勢力が発砲し、ペラルタの後ろに立っていた海兵隊が撃ち返しました。ペラルタは負傷しました。ペラルタが友軍の攻撃を受けたらしいことが、あとで分かりました。ペラルタが倒れていた時、武装勢力が手榴弾を海兵隊員に投げました。

 この後に起きたことは、戦死した海兵隊員が名誉勲章に値するかについての議論の核心です。

 ペラルタが殺された日の活動報告で、ペラルタと共に部屋にいた海兵隊員は「敵はペラルタ軍曹の隣に落ちた手榴弾を投げました。彼はデッキに横たわっていました。彼は手を伸ばし、手榴弾を体の下に引き寄せました」と言いました。「Stars and Stripes」が入手した書面は海兵隊員の氏名が編集されていました。

 その場にいた他の海兵隊員は類似しながらも、少しばらついた説明をしました。5人はペラルタが手榴弾を体へ引き寄せるのを見たと主張しましたが、1人は彼が手榴弾をつかんでいたか確信がありませんでした。

 証拠と宣誓証言を評価した後、第1海兵師団指揮官、リチャード・ナトンスキー中将(Lt. Gen. Richard Natonski)は、ペラルタ軍曹を名誉勲章に推薦しました。

 しかし予備報告で、ペラルタの検死を行った検死官は、ペラルタが手榴弾を自分の方へかき集めることはできなかったと結論しました。「頭部の銃傷はすぐに体の機能を失わせ、ほとんど即座に命を奪ったでしょう。彼は意味のある動作はできなかったでしょう」と検死官は、2005年4月に「Stars and Stripes」が入手した電子メールに書きました。検死官はペラルタの体にあった破片のパターンは、手榴弾が彼から数フィート離れて爆発したことを示すと言いました。

 後に検死報告だけを調査した神経外科医2人、神経科医師1人は、ペラルタが戦友が主張したことを行った可能性があると言い、検死官に同意しませんでした。ペラルタの推薦を支持する者たちは、手榴弾の信管がペラルタの防弾服の中に留まって発見されたことは、手榴弾が彼に向けて投げられたことを示すと言いました。

 当時の国防長官、ロバート・ゲーツ(Defense Robert Gates)は、最近出版された回顧録で、2008年に名誉勲章を承認したことを明らかにしました。しかし、ゲーツは決定を再考するよう圧力を受けたと言いました。「大統領向けの推薦書に署名した後で、私は国防総省の監察官が、ペラルタは賞賛された行動はできず、勲章の基準に満たないという申し立てを持っていることを知らされました。監察官は私が申し立てに対処するために何か行動しないならば、調査を行う意向でした。私は風通しをよくする唯一の方法は、申し立てを調査する特別委員会を要請することだと決めました」とゲーツは書きました。

 委員会は、複数の法医学者、神経外科医1人、名誉勲章を持つイラクでの指揮経験がある退役将官1人を含みました。「委員会は満場一致で、彼の傷では、ペラルタは意識的に手榴弾を彼の体の下に引き寄せられなかったと結論しました」「選択の余地はなく、私は承認を取り下げました」とゲーツは書きました。

 海軍殊勲十字章の表彰状、ゲーツの委員会とかなり異なる説明をします。「手榴弾はペラルタ軍曹の頭の近くで静止しました。ためらうことなく、彼自身の個人的な安全をまったく顧みず、爆発の衝撃を吸収し、ほんの数フィート離れた仲間の海兵隊員の盾となるために、ペラルタ軍曹は手を伸ばし、手榴弾を彼の体へと引き寄せました」と表彰状は言いました。

 「Military Times」のウェブサイト「Hall of Valor(武勇の殿堂)」の主任管理人であり、軍の功労の主導的専門家であるダグ・スターナー(Doug Sterner)は、ペラルタ事件の再調査が公表されていないという通常と違うやり方に非常に批判的です。「我々はかつて人々をこのように顕微鏡にかけたことはありません。彼らは海兵隊員の目撃証言を取りました。私にはまったく無意味と思います」「私が海兵隊員なら、陸軍の医官が海兵隊員が得る賞を決めるという根幹を笑います。これは前代未聞と思います。こういうことがかつて起きたとは聞きません」。

 ゲーツの後継者のレオン・パネッタ(Leon Panetta)とチャック・ヘーゲル(Chuck Hagel)は新しい情報が明るみに出ると、事件を再調査しましたが、両者は合理的な理由はゲーツの決定を覆さないと判断しました。

 ペラルタの支持者は国防総省の議論に不満です。

 「私が手榴弾を見た時、自分は死んだと思いました。しかし、ペラルタはそれを体の下にかき集めたのです」と、ロバート・レイノルド元伍長(Cpl. Robert Reynolds)は言いました。「医療関係者がペラルタが意識的に手榴弾を動かせなかったというのは110パーセント間違っています。なぜって、彼がそうしなければ、私は今日ここにいません。私は手を伸ばして、ペラルタに触れました。手榴弾が彼の体の下になければ、叩きのめされていました。私は有に殺害範囲の中にいたのだから、私は死んだはずだったと言いたいのです。(でも)私の体の中には1オンスの手榴弾の破片もありません」「彼は(名誉勲章)に値します。彼が救った海兵隊員は今も生きていると言いたいのです」。

 すべての海兵隊員が、ペラルタが名誉勲章に値すると思っているわけではありません。

 ヘーゲル国防長官が決定を下した後、手榴弾が投げられた時に家の中にいた海兵隊員2人は、ペラルタが手榴弾に手が届いたという説明は、攻撃のあとに作られたと言いました。その一人のリジー・ブラウン(Reggie Brown)は、手榴弾が投げられた時に家の外に逃げ、爆発は見ていないと言いました。手榴弾の爆発による破片で臀部を負傷したダビ・アレン(Davi Allen)は、爆発が起きた時に彼がペラルタの方を向いておらず、ペラルタがしたことを見れなかった証拠として引き合いに出されます。彼はペラルタは手榴弾に手が届かず、手榴弾は彼の体の下ではなく、近くで爆発したと言いました。ブラウンとアレンは現場にいた海兵隊員は彼が味方に殺されたために、彼を讃えるか、罪を逃れるために英雄話を作り上げたと示唆しました。レイノルドは、彼らの別バージョンの話をたわ言だと言いました。彼と他の海兵隊員は武装勢力に負傷させられた後、すぐに現場から治療のために避難させられたために、話を創る十分な時間はなかったと言いました。レイノルドは、銃撃戦で受けた傷から回復した後で、公式声明を出すまで、誰とも事件について話さなかったと言いました。

 分隊長のニコラス・ジョーンズ(Nicholas Jones)は、陰謀説は馬鹿げていると言いました。床の上のペラルタを見て、彼が手榴弾に手を伸ばしたと言った海兵隊員には、アレンのほかに話の要旨を変えたり、元の話を偽造したと誰かを訴えた者はいません。


 記事は一部を紹介しました。

 この事件は過去に3回紹介しています。(

 誰が本当のことを言っているのかは分かりません。手榴弾に関しては、不思議な現象も報告されていて、手で持った手榴弾を腹のところで爆発させて自決しようとした人が生き残ったといった話も存在します。だから、手榴弾の破片や信管の状況から結論を出すのは危険だろうと思います。また、死んだ戦友の名誉のために、戦友が彼の手柄を水増しして報告する例も知られています。

 もしかすると、倒れた時にペラルタは意識があり、咄嗟に手榴弾をつかんだのかも知れません。あるいは、彼には意識がなく、生理的、反射的な動きが彼に手榴弾をつかませる動作をさせ、それを同僚が武勇と見たのかも知れません。

 どれが真実なのかは分かりません。

 当サイトでは、米軍の勲章に関する記事も多く紹介しています。それは、軍隊の特殊な文化を理解するためであり、靖国神社の問題にも通じることから、参考にできるものです。自衛隊を海外に派遣して、犠牲者が出るようになれば、こういう分野での活動も活発になります。新しい勲章を制定する動きが出たり、国民の関心が高まったりします。特には、武勲は創作され、本来、手にすべきでない者が表彰されたりします。ペラルタ事件のように、目撃証言が一致しないこともあり、そのために大変な手間がかかる場合もあるのです。また、掛け値なく英雄的な行為が行われることもあります。

 銃後には、こういう分野で妙に張り切る人たちもいて、目立つ動きをすることもあります。しかし、軍人の犠牲に報いるための行為は、戦争そのものを防ぐ努力に比べると下位に位置すると、私は考えます。戦争がなければ、軍人の犠牲も生じないからです。

 


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