東日本大震災被災地見学記 その6

2018.7.3


千年希望の丘 相野釜公園

 鈴木氏宅の周辺は元は相野釜(あいのかま)とよばれ、農村がありました。誰も住めなくなった土地は現在、防災公園として造成が進んでいます。それが千年希望の丘です。

 複数の公園が連なる公園で、ここが北端に位置して、複数の公園が10kmにわたり海岸沿いに並ぶ形となっています。私が訪問したのは相野釜公園でした。他に、藤曽根公園、二野倉公園、長谷釜公園、蒲崎公園、新浜公園があります。

 千年希望の丘は防潮堤、伊達政宗の時代から造られた貞山堀(ていざんぼり)、玉浦希望ラインのかさ上げ道路と共に津波の被害を減らすためのインフラとなっています。

 駐車場の頃から避難丘を見たところです。避難丘は10メートルほどの高さで、基礎部分には震災の瓦礫や津波の堆積土も使っています。前述のとおり、この高さでは東日本大震災の津波には飲まれてしまうため、避難所として果たしてどうなのかという疑問は残ります。

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 天皇陛下が慰霊のために訪問された慰霊碑。

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 駐車場の周辺には、このような遺構がいくつも残されています。右奥に和式トイレだった場所が確認できます。左端には寺があり、その奥には真新しい墓地がありました。その隣には神社もあり、やはり真新しい。

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 震災時に危険を知らせたはずの拡声器を載せた塔です。津波でもぎ取られたのでしょう。

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