「駆け付け警護」という用語の問題点

2016.10.10


 「駆け付け警護」という言葉は自衛隊内部で用いられる正式な用語となっていることを、最近知りました。私は政界や報道の中でだけ使われる言葉だと思っていましたが、そうではありませんでした。

 明らかに不適切な用語を定義したのは問題で、過去の事例と比較しても、とても嫌な予感がします。

 以前にも「日本版海兵隊を創設する」との記事が出たことがありますが、「海兵隊」という名称が不適切なことは何度も指摘してきました(過去の記事はこちら )。

 この不合理な名称は自衛隊によって「水陸機動団(Amphibious Rapid Deployment Brigade)」と改められました。自衛隊は米軍の用語を参考にしています。米軍では上陸作戦を行う部隊を「amphibious forces」などと呼びます。「amphibious」は生物の水陸両生を意味する言葉でもあります。

 軍事用語の定義は伝統的に厳密に決められてきました。旧軍が「大東亜戦争」「太平洋戦争」のどちらを名称として使用するかで何時間も議論したことは有名です。

 「駆け付け警護」という軍事用語、それに相当する軍事用語はこれまでに見たことがありません。まったく新しい用語なら、何か目新しい理由があって決まるはずですが、それらしいものはありません。要するに通常の防御戦であり、友軍の支援に他ならないのに、それが「戦争」であることを隠すために、あえて新しい言葉を定義したのです。それがもたらす弊害を考えることもなく。

 2003年にアメリカをはじめるとする有志連合がイラクに攻め込んだ時、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は「war on terror」という言葉を用いました。「テロとの戦い」「対テロ戦争」などと訳されている言葉です。

 米政府の機関、戦略研究所のベテラン研究員、ジェフリー・レコード教授は2003年12月に「テロリズムに対する世界規模の戦争を制限せよ」という論文を発表し、イラク侵攻の問題点を厳しく指摘しました。その序論の中で「テロリズムに対する世界規模の戦争(The Global War On Terrorism: GWOT)」という言葉を批判しています。当時、私はこの論文を訳し、当サイトに掲載しました。全文はpdfファイルを読んで戴くとして、ここでは要旨を紹介します。(pdfファイルはこちら

 レコード教授は冒頭で、次のようにいいます。

偉大なるプロシアの戦争哲学者、カール・フォン・クラウゼィッツは、「政治家と指揮官が行わなければならない第一の、究極的で、最も重大な決断は、彼らが始める戦争の種類を明確にすることであり、その本質とは異なるものと見誤ったり、変化させることではない。これはそもそもの戦略上の論点であり、すべてを包含するものである」といった。

 クラウゼヴィッツはいわずとしれた西欧の軍事学者の代表で、その彼が「戦争の種類を明確にすること」の重要性を説いているのです。そして、ブッシュ大統領は「GWOT」という言葉を用いることで、それに失敗しました。

 言葉の定義だけで戦争に負けたりするものかと思うでしょう。言葉の定義は戦力ではありません。言葉が敵と戦ってくれる訳ではありません。しかし、問題は戦略面に及ぶのです。

 GWOTの本質と要素は、しかしながら、ストレスが溜まるほどに不明瞭のままである。米政権は、ならず者国家、大量破壊兵器(WMD)拡散国家、テロ組織、テロリズムそれ自体と、非常に多くの敵を想定している。それはまた、イラクとの戦争と、その他の潜在的な予防的軍事行動に関して、国内政治における支持を集めたり、維持する目的なのは少なくとも確かだが、彼ら全体をひとつの脅威に混淆してしまった。このために、米政権は恐らく、戦略的な明確さを外交政策の中で模索している道義的な明確さの下に置き、合衆国を終わりがなく、合衆国に対して直接的にも、切迫的にも脅威を向けていない国家や非国家の組織との無用の闘争の道に置いた可能性がある。

 日本人の多くは対テロ戦争とはアルカイダとの戦いだと考えたはずです。アメリカでは、すべてのテロ組織との戦いという意味で使われていました。「混淆(こんこう)」という言葉に問題のすべてが集約されています。

健全な戦略は、脅威を識別し、目的と手段を合理的に調和させることを不可欠とする。GWOTは、どちらの問題も満たしていない。実のところ、GWOTを戦争とみなすのは間違っているであろうし、GWOTにおける軍隊の任務は今なお進行中であり、軍隊の安全度はあらゆる問題をはらんでいる。さらに、GWOTが実在のテロ組織に対抗させることで、テロリズムという現象に方向付けられているという点で、それ自体が戦略的な誤りである。テロリズムは政治的な絶望と軍事的な貧窮の拠り所であり、だからこそ、姿は消しそうにもない。GWOTの本質と要素を理解する試みは、間違いなく、一般に認識されているテロリズムの定義が不十分だったり、善と悪、つまり我々対奴らの間の二元論的な闘争というGWOTの描写により、簡単ではない。

 このあと、レコード教授は実例を挙げて、さらに問題点を追求しますが、「テロリズムとは何か?」の中で、彼は次のような問題点を指摘します。

健全な戦略には明確な敵の定義が必要である。しかしながら、GWOTは語義の沼にはまり込んだ何者かに対する戦争である。合衆国政府内部ですら、異なる部門や機関では、この問題に対する異なった専門家の展望に基づく異なった定義を用いている。1988年のある研究では、テロリズムには総計で22の異なる定義の成分を含んだ、109の定義があるとみなしている。テロリズムの専門家ウォルター・ラクェアーもまた、100以上の定義を認め、「広く合意されている一般的な性質は、テロリズムが暴力と暴力の脅威よって生じるということだけである」と結論している。けれども、テロリズムが、暴力と暴力の脅威に関係する唯一の活動なのではない。戦争を行うことも、強制力のある外交であり、酒場の喧嘩なのである。

 専門家がテロリズムについて多岐にわたる分類を試みている時、その言葉を安直に含めた用語により、米政府内部でも、各部門、機関でその定義が異なるという問題を生んだのです。このような状態では、当然、政府機関の力を目的に集中できないという事態が生まれます。当時、私はこの問題に気がついており、何度も問題点を指摘しました。

 結局、イラク侵攻は有効な成果を生まず、なし崩し的に幕引きとなりました。

 「駆け付け警護」という言葉は「駆け付け」と「警護」の二つの言葉から成り立っています。

 「駆け付け」とは大辞林によると「走ったり乗り物を使ったりして、大急ぎで目的の場所へ行く」という意味です。

 宿営地に隣接した場所、ごく近い場所で警護対象が攻撃を受けた場合、派遣部隊は大して移動もせずに現場に行くことになります。それでもこれは駆け付け警護なのです。

 また、駆け付ける最中に待ち伏せ、道路封鎖にあって、現場に行く手前で攻撃を受ける場合もあります。自衛隊はその場合の戦闘を、当然ながら否定していません。戦闘に手こずって、警護すべき対象がいる場所にいけなかった場合も、駆け付け警護をしたことになります。

 状況によって実態が大きく異なるのに、駆け付け警護は常に同じ言葉で呼ばれることになります。

 「警護」は大辞林によると「人・物などについて事故を防ぐため、警戒して守ること。また、その役の人。護衛」です。

 南スーダンの場合、今年7月に起きた戦闘は大統領派が主導したもので、副大統領派だけでなく、民間人、国際支援団体に対しても政府軍が攻撃を行いました。現在、首都周辺での戦闘は比較的少ないものの、各地から継続的に戦闘が続いているとの報告があります。今後、情勢がどう動くかはまったく分かりません。国連軍は以前から大統領派、副大統領派の両方から、敵側の味方をしていると嫌われてきました。

 国連や国際支援団体などを警護対象とするなら、その敵は大統領派か副大統領派です。日本政府は認めようとしませんが、この両者が紛争当事者であることは、国連自身が認めています。南スーダンは内戦状態であり、世界中の軍人に聞いても、誰もが戦地であると答える場所なのです。

 従って、この場所で大統領派、副大統領派いずれかを相手に戦闘をすれば、それは内戦に自ら参入することになります。明らかに、戦争への参加であり、「警護」という言葉が表す内容を逸脱しています。

 ごく小規模の武装勢力を相手に検討されてきた駆け付け警護ですが、実態は内戦への参加です。

 首都は政府軍が警備しています。自衛隊は宿営地から施設部隊が活動する国連施設まで移動し、作業を行って帰るという行動を繰り返しています。その際、首都の内部を車両で移動しています。政府軍に対して駆け付け警護を行った場合、施設部隊の移動は不可能になるでしょう。政府軍から敵視され、いつ攻撃を受けるか分からなくなるからです。副大統領派やその他の正体不明のグループによる攻撃の可能性は低く、最も可能性が高い政府軍との戦闘で、支援の主目的である国連施設の整備が不可能になるという皮肉な構図があります。

 この不適切な言葉を組み合わせても、適切な言葉に変わることはなく、意味の混迷が深まるばかりです。

 レコード教授が指摘したとおり「脅威の混淆」は戦略面での混乱を招きました。「善と悪、つまり我々対奴らの間の二元論的な闘争」のような単純素朴な考え方は「駆け付け警護」の問題においてもいえます。つまり、湾岸戦争時にクウェートが出した感謝広告に日本の名前が載らなかったことの克服しか考えようとしない態度です。現地の状況分析、国際社会への貢献度などを多角的に検討しない、過去の屈辱を晴らしたいだけなのに、それを戦略的判断を勘違いしているのです。

 イラク侵攻で顕著になったとおり、こうした不適切な戦略的判断は現場の兵士にしわ寄せが行くのです。

 防衛の専門家である自衛隊が、駆け付け警護のような愚にもつかない用語を嬉々として受け入れたことは、その知識や能力を大きく疑わせることなのです。



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