グアンタナモベイ収容所の囚人が100人を切る

2016.1.15


 military.comによれば、キューバのグアンタナモベイ収容所に拘束されるイエメン人10人が釈放され、移住のためにオマーンに送られたと、当局者が木曜日に言いました。

 バラク・オバマ大統領(President Barack Obama)の下における一日で最大の釈放は囚人の人数を、アルカイダとタリバンにつながると疑われる男たちを拘束するために2002年1月に解説された後、はじめて100人以下にしました。現在、93人が拘束されたままです。

 グアンタナモ刑務所閉鎖担当国務省特使、リー・ウォロスキー(Lee Wolosky)は、アメリカは夏までに釈放条件に合う残りの囚人の総計3分の1を移送するだろうと言いました。2003年のピークにグアンタナモベイ収容所は約680人が、オバマが大統領になり、テロとの戦いにおけるやり過ぎの象徴、アメリカに敵にとって不必要な宣伝の象徴としてのそれを閉鎖する約束をしたとき、約245人が拘束されていました。

 アシュトン・カーター国防長官(Defense Secretary Ash Carter)はイエメン人の釈放をグアンタナモベイ収容所を管理する南方軍において、マイアミでの指揮官交代式典で発表しました。彼は釈放できない者たちを拘束するためにアメリカ国内の安全な場所を見つけるために、政権が議会と共に活動していると言いました。議会では多くの議員が刑務所を運営し続けることを望みます。「グアンタナモの誰もが安全に別の国へ移送できる訳ではないため、我々は代替手段を必要とします」とカーター長官は言いました。

 火曜日遅くにグアンタナモベイ収容所を去った10人は内戦に巻き込まれた祖国へ送り返せないイエメン人数十人の中にいました。全員は低レベルの敵性戦闘員とされ、少なくとも2010年以降に移動の許可を得ました。囚人は拘束されたとき17歳だった1人を含み、もう一人はタリバンの医者として短期間努めただけでした。誰も起訴されませんでした。

 3人の男たちの弁護士、デビッド・レメス(David Remes)はムフタール・アル・ワラフィ(Mukhtar al Warafi)とサイード・ハテム(Saeed Hatim)の2人は12月に釈放されると知ったとき、跪いて祈ったと言いました。3番目の男、ファハミー・アーメド(Fahmi Ahmed)は最初、釈放を信じられず、今週知らせを得たときに証明を求めました。

 刑務所の存続の提唱者、ケリー・アヨッテ上院議員(Sen. Kelly Ayotte)は男たちのオマーンへの移送を批判しました。議会はイエメン、アメリカ本土への囚人輸送を全面的に禁止しました。「グアンタナモベイ収容所からオマーンへ大勢のイエメン人囚人を移送するオバマ政権のあらゆる決定は議会の意志を弱めようとする薄っぺらい不明瞭な試みを示し、アメリカ国民をさらに危険にさらします」とアヨッテ議員は言いました。

 カーター長官は彼らをオマーンに移住させる決定は徹底的な保安評価の後にだけ行われると言い、国務省特使の首席補佐官イアン・モス(Ian Moss)は、イエメン人という国籍だけで男たちを拘束し続けることは間違っていると言いました。「もし政府として我々が個人をグアンタナモベイ収容所から責任をもって移送でき、そうすべきだと決定し、オマーンのような適切な移住場所を特定したならば、我々は彼らを移送します」とモスは言いました。

 オマーンは昨年の10人を含め、総計20人の囚人を移住のために受け入れました。


 記事は一部を紹介しました。

 オバマ大統領の公約はグアンタナモベイ収容所の閉鎖でした。未だ、それは達成できていませんが、残りの任期を賭けて、できる限り公約を実現しようとしています。

 ブッシュ政権がテロ容疑者を次々とグアンタナモベイ収容所に放り込み、中には無関係な人も混じり、人権侵害を引き起こしたことはそろそろ忘れられています。さらに外国に秘密の拷問施設まで設け、そこでCIAが拡張型尋問、つまり拷問を行いました。テロ容疑者を板に縛り付けて顔を水に漬け、擬似的な溺死を体験させるのです。結果的に拷問では有益な情報は手に入らず、無駄だったと結論されました。

 テロリストは刑事事件の容疑者か戦時捕虜かという問題が当時、議論されました。容疑者なら迅速な裁判を受けさせなければならず、捕虜なら戦争が終わるまで拘束することになります。両者のプロセスはまったく異なります。

 捕虜の場合、敵勢力の支配下に落ちた時に捕虜となり、戦争の終結と共に捕虜の身分を終えるというのがジュネーブ条約の基本概念です。ところが、対テロ戦争には国家同士の戦争のような明確な始まりと終わりがありません。テロリズムが弱者が強者と戦うための手段として伝統的に用いられてきたことを考えれば、テロ組織との戦いには終わりがありません。これは捕虜を永続的に拘束できることを意味します。これは従来の概念では説明のつかない話で、アメリカ国内のリベラル派はブッシュ政権のやり方に慌てました。最も進んだ政治機構を持つはずのアメリカで、このような後進的なやり方が許されるのかという話になります。

 最悪なことに、ラムズフェルド国防長官はテロ容疑者は捕虜ですらなく、ジュネーブ条約の適用も受けないと宣言しました。拷問しようが、似て食おうが勝手だというわけです。これは批判を呼び、結局、国防長官はテロ容疑者を捕虜として扱うと態度を変えました。これは待遇面のことで、ジュネーブ条約に従って拘留するということです。もともと、犯罪容疑者として扱うべきテロ容疑者は、裁判を受けさせないのなら釈放させなければなりません。しかし、釈放した後、またテロ組織に戻り、再びテロ事件を起こされると政治としては失敗です。そこで、米政府はどうすればテロ容疑者を安全に釈放できるかを慎重に検討してきたのです。

 米軍は2008年にイラクとアフガニスタンで子ども兵約500人を拘束していました。 戦闘の手助けをする子どもも戦闘員とみなされたのです。(過去の記事はこちら

 


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