謎の指揮官、アル・ゴラニの横顔

2013.11.5


 military.comが、謎に包まれたままのアルカイダ系グループ、アル・ヌスラ戦線の指揮官、アブ・モハンマド・アル・ゴラニ(Abu Mohammad al-Golani)について報じました。

 シリア政府と戦う過激派グループの指揮官になる前、彼はイラクで米軍と戦った古典アラビア語の先生で、世界的テロ・ネットワークの階級をすばやく昇りました。彼については、居場所や生存しているかを含め、知られていることは僅かです。ジェーン社のテロリズム・武装勢力センターのアナリスト、チャールズ・リスター(Charles Lister)は「彼のアイデンティティはまったくちょっとしたミステリーです」と言いました。

 シリア国営メディアは先週、アル・ゴラニはアサド大統領の沿岸の拠点で戦死したと報じました。しかし、反政府派はそれを否定し、報道はプロパガンダだと言いました。

 アル・ゴラニは、彼の名前が本名かすら誰も言えないほど不可解です。アル・ゴラニは仮名で、彼がイスラエルが支配するゴラン高原で生まれたことを示します。シリア生まれの彼はイラクへ行ったあとで武装勢力に加わったと、この地域の情報当局者はいいます。そこで、彼はアルカイダの中で昇進し、2011年にアサド大統領に対する反乱が始まった直後にシリアに戻りました。

 シリアの反政府部隊を研究するリスターは、アル・ゴラニの死亡については懐疑的だと言いました。真実ならば、過激派のフォーラムでのチャットやSNSで、相当の発言があるだろうと、彼は言いました。

 シリアの反政府派指揮官は同意します。「我々はアル・ヌスラ戦線の戦闘員の中に、指揮官が死んだことを示す、いつもと違うことを見出しません」と、反政府派ジェイシュ・アル・イスラム(Jaysh al-Islam)の広報官、イスラム・アロウシュ(Islam Alloush)は言いました。

 イラク、ヨルダン、レバノンの治安当局者は、39歳のアル・ゴラニを、アルカイダの最高指揮官の一人と言います。イラク軍情報当局者2人によれば、彼はイラクに行く前はアラビア語の教師で、そこで彼は武闘に転じ、ヨルダン生まれのイラクのアルカイダ指揮官、アブ・ムサブ・アル・ザルカウィ(Abu Musab al-Zarqawi)の仲間となりました。ザルカウィが2006年に米軍の空爆で死亡した後、アル・ゴラニはイラクを去り、しばらくレバノンに留まり、そこで傘下グループの一つ、ユンド・アル・シャム(the Jund al-Sham)の兵站支援を行いました。

 彼は戦い続けるためにイラクに戻りましたが、米軍に逮捕され、クウェートとの国境にある広大な刑務所、キャンプ・ブッカ(Camp Bucca)に拘束されました。テロ容疑者の大量のテントを擁するキャンプで、彼は他の囚人に古典的アラビア語を教えたと、匿名の当局者は言いました。

 2008年に釈放された後、彼は武闘に復帰し、今度はイラクのイスラム国家(the Islamic State of Iraq)の指揮官、アブ・バクル・アル・バグダッディ(Abu Bakr al-Baghdadi)と組みました。彼はすぐにモスル州(Mosul province)の指揮官に任命されました。

 シリアで反乱が始まった直後、アル・ゴラニはシリアに移動し、アル・バグダッディに完全に支援され、アル・ヌスラ戦線を編成し、それは2012年に最初に発表されました。

 ヨルダンで禁止されたサラフィー主義運動(Salafi movement)の指導者は、アル・バグダッディがアル・ゴラニとアル・ザルカウィと結婚関係にあるアルカイダ上級要員のアブ・ジュレイビーン(Abu Jleibeen)を、シリアで戦うために派遣したと言いました。シリアで、アル・ゴラニはアル・ヌスラの最高指揮官で、アブ・ジュレイビーンは、シリア内戦が始まった南部ダルア州(Daraa province)の指揮官に任命されました。

 アル・ゴラニの指揮の下、アル・ヌスラ戦線は最も強力な反政府グループの一つへ成長し、6,000 to 7,000人の兵力を持つと推定されます。2012年12月にアル・ヌスラ戦線をテロ組織に指定した米国務省は、このグループが、自爆攻撃、小火器の作戦、主要都市での爆弾事件を含めて600回の攻撃を行ったと主張します。国務省は「こうした攻撃を通じて、アル・ヌスラ戦線は自らを合法的なシリアの反政府派としての姿を追求する一方で、それは自らの目的のために、シリア国民の闘争を乗っ取るというイラクのアルカイダによる試みです」と言います。

 アル・ゴラニは4月にアル・バグダッディがアル・ヌスラ戦線を乗っ取ろうとしたのを拒絶し、アルカイダ・ネットワークの中で亀裂が広がっていることを示して有名になりました。アル・ゴラニは、アル・バグダッディが2つのグループを1つの「イラクとレヴァントのイスラム国家」に統合すると発表したことから距離を置きました。その代わり、彼はアルカイダ指揮官、アイマン・アル・ザワヒリへの直接的な忠誠を誓いました。ザワヒリは2つのグループの統合に反対していると言われていて、彼のグループはアル・ヌスラ戦線の名前を使い続けています。音声記録の中で、穏やかな声で話す男は、アル・ザワヒリへの忠誠はシリアにおけるこのグループの行動を変えることはないと言いました。「我々はシリア国民に、アル・ヌスラ戦線はあなた方の宗教、尊厳と純血を守り続け、あなたやその他の戦士グループへの行為を変えることはありません」と彼は言いました。

 アル・ゴラニは5月に国務省に特別指名国際的テロリストとしてリストに載りました。

 別の音声記録で、彼は最終目標はアサド打倒とシリア全土にシャリア法を制定することだと言いました。

 自由シリア軍との摩擦があるにも関わらず、2つのグループはしばしば反政府派支配地域でシリア軍に対して一緒に活動します。グループは、外国人戦闘員で大半が構成され、その残忍さと、支配地域へ厳密なイスラム法を強要することで批判されるイラクとレヴァントのイスラム国家よりも人気があります。

 対照的に、アル・ヌスラ戦線は大半がシリア人で、彼らの多くはイラクで米軍と戦いました。

 反政府派はアル・ゴラニについて詳しく知らないことを認めます。アル・ヌスラ戦線はイラクのアルカイダのように、上級指揮官の身元を明確にしません。匿名のヨルダン治安当局者は、アルカイダの最高指導者層だけがアル・ゴラニの本名を知っていると言いましたが、彼は一般的に「アル・シェイク・アル・ファテ(Al Sheikh Al Fateh)」として知られていると言いました。

 アル・ゴラニをインターネットで検索すると、黒い作業服を着た髭を生やした若者の写真が1枚出るだけです。「何でも知るのは難しいのです」「彼は表に出てきません」とアロウシュは言いました。


 記事はほぼ全部を紹介しました。

 この記事で、アル・ゴラニの死亡は否定してもよいと感じました(関連記事はこちら)。

 彼みたいな謎の存在は注目を浴びがちですが、ザルカウィも実態は肥満体の、武器に不慣れた男だったように、大きく考えないことです。タリバンのオマル師も生きているかどうかすら分からない状態ですし、映画や小説がやるように、謎を利用して、話を大きくしないことが重要です。彼らも我々と同じ人間で、指をすりむけば、血が出るのです。

 アル・バグダッディがアル・ヌスラ戦線を統合しようとした件は、4月に紹介していました(関連記事はこちら)。内部のいざこざだったとは意外でした。


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