同時多発テロの犠牲者も埋め立て地に投棄

2012.3.1


 military.comによれば、火曜日に公開された報告書は、ドーバー空軍基地(Dover Air Force Base)の部隊が同時多発テロ事件の犠牲者を含む遺体の処置を誤った新しい大量の事件と、軍の最高指導者たちがそれについて知らなかったことを認めたことを明らかにしました。

 マイケル・ドンリー空軍長官(Air Force Secretary Michael Donley)と空軍参謀長ノートン・シュワルツ大将(Chief of Staff Gen. Norton Schwartz)は、彼らがジョン・アビザイド退役大将(retired Gen. John Abizaid)の報告書を読む機会はなく、彼らは自分の記者会見で同時多発テロの犠牲者の遺体が埋め立て地に投棄されたことを知ったと言いました。「これは私にとって新しい情報です」とドンリー長官は言いました。

 アビザイド大将の報告書は、事件が明るみに出る何年も前に、内部告発者がドーバー基地が多くの隊員の遺体を「生物学的廃棄物」として捨てていたと報告をしていたことを明らかにしました。空軍は少なくとも遺体と共に所持品を火葬にした海兵隊員1人の家族と和解しました。

 火曜日に国防総省で記者に説明した時、アビザイド大将はこれらやその他の事件について詳述することを拒否しました。彼は自分の責任はドーバー基地のために将来に目を向け、変革を提示することであり、過去の訴えを明らかにすることではないと言いました。彼は、彼が「背景」と呼ぶ歴史的詳細を、必ずしも目新しいと認めさえしませんでした。「私はあなたがたが天の啓示と考えてくれれば嬉しいと感じます」。アビザイド大将は、管理不足、コミュニケーション不良、官僚機構の混乱によって傷つけられている隊員の遺体処理の向上に関する勧告に集中したいと言いました。「小委員会は、明確な指揮権限と管理の不足、指揮と技術的管理の不足、組織調整における不明確な関係、指揮権限の不足……不明瞭なガイダンス……が昨年の調査の粗雑な管理不行き届きの大きな原因となった」ことを見出したと報告書は言いました。

 レオン・パネッタ国防長官(Defense Secretary Leon Panetta)は、アシュトン・カーター国防副長官(Deputy Defense Secretary Ashton Carter)と合同参謀本部議長マーティン・デンプシー大将(Joint Chiefs Chairman Gen. Martin Dempsey)にアビザイド大将の勧告を国防総省でどう実行するかを検討するよう依頼しました。彼の報告書は霊安所の指揮官を大佐から少将へ引き揚げ、調査と起訴により多くの権限を与えて、霊安所の部隊を定期的に視察することを求めます。アビザイド大将の委員会は、霊安所の部隊を監督し、国防健康委員会(the Defense Health Board)に報告する視察委員会も要請しています。

 ドンリー長官はこれらの勧告を受け入れる声明を出しましたが、彼とシュワルツ参謀長、彼らの幕僚は、アビザイド大将の完全な報告書を見ておらず、同時多発テロの犠牲者の詳細やその他の詳細を見ていないようです。指導者たちは、なぜアビザイド大将の報告書が1990年代へ遡って事件を反映したか、空軍当局者が昨年ドーバーを調査した時に記録を2008年までしか遡らなかったのかを説明できませんでした。

 アビザイド大将の報告書は、この習慣が同時多発テロのあとに始まったことを示します。それは国防総省とペンシルヴァニア州シャンクスヴィル(Shanksville)のハイジャック機墜落現場から来た身元不明の遺体を含みます。この「グループF」は2002年夏に火葬され、埋め立て地に輸送されました。報告書の記録に従うと、空軍は最初の生物学的廃棄物として最初の戦死者の遺体を2003年8月に捨てたかも知れません。2005年には、人間の遺体が職務怠慢により間違った経路で送られたと調査は結論しました。2008年には空軍は海兵隊員の配偶者に25,000ドルの和解金を支払いました。2009年の春までには、指揮官はこれ以上遺体を生物学的廃棄物として捨てず、水葬することを決めました。この習慣は現在でも行われています。

 しかし、アビザイド大将の委員会は、国防総省と復員軍人援護局に水葬に代替手段を設けるよう勧告しました。「そうした選択肢には、遺灰を骨壺の中に一緒に入れることや遺灰を国立軍人墓地の散骨園に置くことを含むかも知れません」。

 military.comのもう1つの記事は、同時多発テロの遺体が廃棄された経緯を報じています。

 同時多発テロで国防総省の攻撃による遺体の投棄が国防総省高官、デビッド・チュウ(David Chu)が2002年3月に出した文書による指示に基づいていたと、シュワルツ参謀長は水曜日に言いました。チュウはドナルド・ラムズフェルド国防長官(Defense Secretary Donald Rumsfeld)配下の人事部長でした。パネッタ長官は家族が過去の遺体廃棄について説明を受けるよう指示しました。この説明は数週間以内に提供される見込みです。

 チュウは同時多発テロの犠牲者の遺灰を埋め立て地に捨てるよう明確に言及していませんが、彼の言葉はその最終的手順を認めたように解釈されました。国防総省はその時点で陸軍の最高位の民間人当局者、トーマス・ホワイト(Thomas White)へ送ったチュウの覚書を公表しました。陸軍は空軍の霊安所の活動をドーバーやその他の場所で監督しています。

 シュワルツ参謀長は若干の遺体が埋め立て地に捨てられたことに火曜日に気がついたばかりだと言いました。「現時点で知る限りでは、我々はチュウからの廃棄指示を理解しました」「我々にはそれが事件であることを認めるための必要条件があります」とシュワルツ参謀長は言いました。

 チュウの指示はどの遺体も埋め立て地に捨てろとは言っていませんでした。攻撃現場から来た非生物学的資材と混じった身元不明の遺体は手術や診察の目的で除去された生物組織と同じ方法で扱え(要するに焼却)としていました。事前に予定された記者会見で、シュワルツ参謀長は、空軍は突然、チュウのメモを発見したと言いました。彼は、空軍はシャンクスヴィルの現場の遺体はドーバー基地の霊安所では処理されていないことを確認したとも言いました。彼は空軍がドーバー基地が国防総省への攻撃の遺体だけを扱ったことを確信を持って確定できるよう努めると付け加えました。シュワルツ参謀長は、国防総省の遺体の一部がどれくらい焼却されて、投棄されたかはまだ不明であると言いました。

 2002年3月のチュウの指示は、国防総省から来た3種類の遺体の扱い方を説明しました。明確に個人を特定できなかった遺体、ハイジャック犯の遺体ではないと分かった遺体は焼却され、埋葬するためにアーリントン国立墓地の管理者に渡さなければならないとしました。この種類はすでに家族に渡された遺体の一部と明確に特定され、家族がさらなる部分を望まないものも含みます。チュウは明らかにハイジャック犯のものと確認された遺体はFBIの管理に渡されると指示しました。最後の種類は焼却されて、埋め立て地に置かれるものとしました。これらの遺体は特定されず、非生物学的資材と混じっているものです。最後の種類の遺体が焼却され、埋め立て地に送られた日付けは、現在のところ分かっていません。報告書は他の2つのメモも含みました。2002年7月25日付けのメモは、陸軍の犠牲者と霊安所当局者の代理管理者からの、身元不明の遺体の廃棄に関する追伸でした。もう1つは空軍からの2002年8月7日付けのメモで同様の追伸であるように思われます。


 どうやらとんでもない誤解が事件の根本的な原因だったようです。同時多発テロで大量の犠牲者が出たために、急遽、遺体の扱いを指示する必要が出て、それが杓子定規に解釈され、以後、対テロ戦の英霊に対しても適用されたようです。チュウの指示は特に問題があるものではなかったのですが、「手術や診察の目的で除去された生物組織と同じ方法」と書いてあったために、それらの処理方法と同じにやるべきだと解釈されたようです。さらに、それがそのまま放置されたため、命令は別の命令が出るまで有効という原則により、継続してしまったのでしょう。

 こうした官僚組織がやりがちな間違いは他にもあります。

 米軍は生物学的汚染が認められる物質は焼却処分する方針で、そのために過去にも問題が起きてきました。たとえば、負傷兵の治療のために防弾ベストや軍服を脱がせた時、それらに血液などが付着している場合があります。衛生部隊には、これらを焼却処分する規則があります。しかし一方で、米軍には兵士が紛失した装備品は本人が弁済するという規則もあります。負傷して意識を失った兵士の装備を衛生部隊が焼却したため、兵士が弁済を求められたという事件が過去に起きています。(関連記事はこちら

 いずれの規則もその目的は間違っていませんでした。しかし、それが不都合を示す場合があるわけです。それにしても、まるで笑い話のような事件です。よく考えれば、英霊の遺体の処理を対テロ戦の英霊に適用することに疑問が湧いたはずですが、現場の指揮官はあえて意見具申もせず、指示を忠実に実行していたというわけです。

 それにしても、この事件を報じる熱意は、そのままイラクやアフガンの戦争犠牲者の報道にも向けて欲しいものだと思います。アメリカ人の死者に関心はあっても、イラク人やアフガン人に関心を持たないのは感心しません。こういう面での変革なしに、アメリカ人が世界中から尊敬を受けることはないと思います。



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