グルジア:クーデター事件の背景

2009.5.8



 ジョージタウン財団の「ユーラシア・デイリー・モニター」によると、グルジアの緊張が急速に高まっています。

 ムコロバニ(Mukhrovani)でのクーデターについて、さらに詳しい情報が載っています。この記事は、先に19kmと報じられた反乱が起きたムコロバニの戦車基地はトビリシから30kmと報じています。19マイルは約30kmなので、単位の取り違えかも知れません。反乱軍は内務省特殊部隊、砲兵隊、機甲部隊によって包囲され、サーカシビリ大統領も到着したところ、一発も発砲することなく1時間で降伏に応じました。将校は逮捕され、兵士は武装解除されました。サーカシビリ大統領は攻撃の準備をしつつも、発砲せずに反乱軍を降伏させた砲兵隊指揮官を称賛しました。グルジアはクーデターがロシアの支援で行われたと非難しましたが、ロシアはグルジアの指導者は「医者に診てもらう必要がある」と一蹴し、反政府組織はグルジア政府による「芝居がかったショー」だと反論しています。記事は、グルジア内務省の防諜組織が反乱部隊の中に情報提供者を持っていて、計画をモニターしていたこと、反乱がヤラセと思えないことも明白だと書いています。

 昨年8月の武力介入の後、ロシアは米軍がグルジアに輸送した高機動車ハンヴィーと、ポチ(Poti)で捕まえた約20人のグルジア兵の捕虜を連れ帰りました(ハンヴィー捕獲に関する記事はこちら)。捕虜はロマン・ダンバーゼ大将(General Roman Dumbadze)と捕虜交換で返還されました。バトゥーミ(Batumi・kmzファイル)にある旅団の指揮官だったダンバーズ大将は2004年に公然とロシア主導の分離主義運動を支援しました。2006年、ダンバーズ大将はグルジアの法廷で、禁固17年に処されていました。グルジア国内にあるアジャリア自治共和国(the autonomous republic of Ajara)で、1992〜2004年まで政治家を務めたアスラン・アバシーゼ(Aslan Abashidze)は、将来ロシア主導のグルジア政府を組織するために、他のグルジア人亡命者と共にモスクワにいます。

 グルジア内務省はクーデター計画はアバシーゼをグルジアへ戻そうと目論んだと主張しています。反政府組織は6日、政府系テレビジャーナリストを襲撃したとして前日に逮捕されている活動家3人を解放するために警察本部を襲撃し、活動家20人以上、警察官6人が負傷しました。その他の散発的な衝突も報告されています。ロシア海兵隊は依然として黒海沖合で武力介入の準備を整えて待機中です。

 以上のレポートを読むと、まったく古典的な侵略計画を見る思いがして、うんざりします。ロシアには「誰もあなたたちの天然資源を奪ったりしない。心配するのを止めて、国際社会の発展に尽くすべきだ」と言いたくなります。見たところでは、グルジア紛争はボタンの掛け違いの初段階を済ませ、発展段階へと進行しています。NATOもロシアももはや後に退けない段階へと来ているのです。従って、極めて危険な状態に来ていると言わざるを得ません。今後、何が起きてもおかしくありません。近いうちに、さらに大きな事件が起こると考えなければなりません。ムコロバニはトビリシの東方にあり、西方の紛争を抱えた地域だけで事件が起きているのではありません。反乱部隊の位置は正確に特定できていませんが、Google Earthでムコロバニを検索すると2カ所の位置が表示されます。グルジア全体を揺るがすような事態が起きていて、いつロシアが介入しても不思議ではないのです。情報はまだ不足していて、十分な分析はできない状態です。この問題はさらに観察を続ける必要があります。


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