戦費不足で徴兵制議論が再燃

2008.5.22



 遂にこの話が話題になるようになったか、と思う記事がmilitary.comに掲載されました。上院軍事歳出委員会はロバート・ゲーツ国防長官とマイク・マレン統合幕僚議長に「徴兵制に戻る時期であるか?」と質しました。この質問は700億ドルの緊急予算の審議中に出ました。

 ダニエル・イノウエ上院議員(Sen. Daniel Inouye)は、「誰も全志願制の軍隊を維持するコストが維持できなくなることを望みません。我々が徴兵制を再開する必要がありますか?」と質問しました。さらに彼は、増加しつつある給与と恩給のために、現役及び予備役の隊員一人あたり126,000ドルのコストがかかっていると指摘しました。ゲーツとマレンはどちらも現在の志願制の軍隊は米軍でかつてないほど優れていると述べ、ゲーツは個人的な見解として「支払う価値がある」という考えを披瀝しました。しかし、マレンは将来的に、増加する経費が軍の縮小、新兵器開発費の減少、軍事行動の縮小を導く危険性を指摘しました。ふたりとも、予算獲得のための答弁なので、議員たちを刺激しすぎないように注意して発言しています。実態はもっと深刻です。

 2006年に下院歳入委員会でチャーリー・ランジェル下院議員(Rep. Charlie Rangel )が徴兵制の必要性を説いた時と現在とでは様相が違っています。3月にここで紹介した「The Three Trillion Dollar War」のような本が出版され、イラク戦争に過大なコストがかかっていることが明らかにされたからです。この本の邦訳が今月「世界を不幸にするアメリカの戦争経済」というタイトルで出版されました。私は今、その半分程度を読んでいるところですが、予想していたよりも状況が酷いことに驚きました。アメリカは他の分野の発達を犠牲にして、無用な戦争に対価を支払い続けています。ここで紹介してきた退役軍人の自殺がなぜ起きるのかは、この本を読めばよく分かります。また、米政府が開戦以来、戦費をより議会が口を挟みにくい緊急予算からまかなっている点を批判しています。この記事の議論も、その緊急予算の審議中に起こりました。緊急予算は一般予算では予定していなかった出費をまかなうための予算ですが、その性質故に議会がチェックしにくいのです。この本は、初年度の戦費が緊急予算から出されても不思議ではないとしながらも、その後もずっと緊急予算から出していること、それも何度も上方修正されることは疑問だとしています。このサイトでも先の本を紹介した記事で2003年に行われた上方修正について紹介しましたが、この本には2007年の事例が載っています。

 実際にかかっている戦費を調査するのは極めて難しいのです。米政府の決算報告を読めばそんなことは簡単に分かるはずだと思う人は、軍事予算について無知な人です。表面には表れない「隠れ予算」が意外に多いこと。政府が出す報告書には将来必要になる費用は載っていないこと。戦争で社会が被る損失についての考察は一切含まれないこと。こうした問題は軍事予算について少し調べると実感として理解されます。しかし、専門家が試算してくれないと、数字で把握することはむずかしいのです。さらに専門家でも調べきれない部分もあります。実のところ、国防総省のような巨大な組織で本当に予算が効率的に使われているかをチェックするのはほとんど不可能なのです。

 ゲーツは答弁で、陸軍と海兵隊の増員のための87億ドル、新設したアフリカ軍のための2億4,600万ドル、基地閉鎖と再編成のための18億ドルが認められないと、国防総省は重大な損失を被ると述べました。増員のための87億ドルについては、先の本の中にも詳しい解説があります。民間軍事会社が高給を支払うため、軍は人材の流出を抑えるために軍人の給料や恩給をあげるよう、政治家に働きかけて実現してきました。新規のリクルートのためにかかる費用も含めると、増員には莫大な費用がかかります。なぜそうなるかは、米政府が民間軍事会社に莫大な対価を支払うからで、それが連鎖的にさらなる出費を生んでいるという構造があります。軍人は民間軍事会社の利用は効率化のために有効だといいます。しかし、それは自分が責任を持つ予算を減らせるという理由からだけ出されており、総額としては増加する点については一切触れられないのです。

 予算が厳しくなると徴兵制が復活するのは、人材確保のための費用が志願制の方が高額だからです。先に述べたように、民間軍事会社と張り合うために、軍隊は給与や恩給、入隊時や再入隊時のボーナスなどを増額し続けてきました。徴兵制の下では、若者を強制的に兵隊にするので、給与は最低水準に抑えられます。軍事問題を経済学的な側面から解説した本「戦争の経済学」によれば、1987年のNATO加盟国の防衛予算は、徴兵制のお陰で1992年よりも平均6%も下回っていました(P176)。また、徴兵制で安く上げた人件費はほかの予算に回すことができます。スカンジナビア諸国がいずれも徴兵制を敷きながら、社会福祉が充実しているのはそのためだと同書は説いています。さらに、同書によれば、世界的に軍隊が小規模化しているのは冷戦の終了で各国が多くの兵数を不要とするようになったからです。

 ところで、石破大臣は著書「国防」の中で、こうした問題について矛盾した見解を述べています。「軍隊は重くて大きくて大人数ではなく、軽くて小さくて少人数で、という傾向が主流です。」(P155)と書きながら、すぐあとでは「徴兵制は安く済むと思われるかも知れませんが、たくさん人を採ると当然、コストがかかるのです。」(P156)と書いています。兵数が同じなら、兵士ひとりに支払われる給与が安い方が人件費の総額は小さくなり、人材確保のために使える予算が一定だとすれば、給料が安い徴兵制の方が大勢の兵士を雇用できることになります。石破氏は徴兵制が戦略的に無意味だから反対という立場で、そのために客観的な考察を避けています。「戦争の経済学」と「国防」の記事を比較してみると、それがよく分かります。

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