戦争の経済学
 本書は経済学の観点から戦争を分析した本です。大学の授業向けに書かれた本で、アメリカの陸軍士官学校やクウェート大学の経済学部で教科書として使われているといいます(ただし、士官学校は厳密には大学ではありません)。そのため、本書は研究書ではあるものの、教科書としての性質を強く持っています。つまり、経済学上の概念を戦争の分析にどのように用いるかについての入門書となっているわけです。ただし、経済学の基礎を知らない人にとっては、この本はかなりむずかしいと感じるでしょう。たくさんの数字が並んでいるので、一度では理解できないという問題もあります。私はさらに読み返し、要点を抽出し、日々の考察に活用できるようにしたいと考えています。

 著者のポール・ポーストによれば、2003年にある失業者から「アメリカ経済のためにも、ここらでがつんと戦争を!」といわれたことが、本書を執筆した動機でした。実は、私も十数年前に、ある人(職をお持ちの方でしたが)から同じことを言われたことがあります。「どこか遠くで戦争があれば、“鉄”が売れて景気があがるのだけど」。果たして、それは真実なのだろうか、と私は考えました。確かに、朝鮮戦争は特需を生み出し、日本経済に多大な好影響をあたえました。それは今でも変わらない、永遠の経済の原則といえるのかは、当時の私には分かりませんでした。現在、「経済的な動機で戦争をやろうとするのは誤りである」と、私は信じています。それは、軍事的な観点から戦争による被害を考えた場合のことであり、経済学的な分析とは言いがたい考察でした。本書は、経済学者が経済学的な観点から戦争を分析した本です。こういう本はなかなかないので、非常に有益で重宝です。軍隊は湯水のように戦費を使うものです。当サイトで何度も取り上げているように、イラクやアフガニスタンには信じられないほどの戦費が投じられ、砂漠に吸い込まれています。平時においても、その支出額は莫大で、近年はハイテク兵器や兵士を支援するハイテク装置の登場により、戦争の費用はうなぎ登りです。第一次世界大戦の頃に使われていた兵器は、現在の兵器に比べると原始的といえるほど単純で、その製造費用も安価でした。誰もが戦争の経済的な効果について、考えなければいけないのは明白です。

 「戦争の鉄則」という言葉を、本書では用いています。これは、アメリカが2つの世界大戦で経験したことから出たものです。戦争は経済を活性化し、特に第2次世界大戦は大恐慌を克服するのに役立ったという考え方です。本書は、これを経済学でおなじみの用語を使いながら解説していきます。結論から言うと、第1次世界大戦、第2次世界大戦、朝鮮戦争までは、戦争の鉄則は当てはまるけども、その後の戦争については当てはまらなくなっています。両大戦前、戦争の準備はほとんど行われていなかったので、兵器の製造が始まると、労働力が動員されたために失業者は減り、経済は活性化して、GDPは伸びました。ところが、現在では恒常的に軍産複合体が存在します。このため、戦争が始まっても、かつてのように労働者が動員されるような事態は起こらず、場合によっては、減少することもあるのです。これは現代においては、弾薬の追加発注程度の需要しか起こらず、戦争に勝っても賠償金を取ることができないなどの理由により、大きな変化は起こらないのです。

 戦争が割に合わないものになっていることは、かねてより軍事専門家から指摘されていたことですが、本書は軍事専門家が用いない経済学的な手法で読み解いているところが優れているのです。

 さらに、軍縮の経済への影響、兵役に関する分析と民間軍事会社、兵器市場の問題点、発展途上国の内戦、テロリズム、大量破壊兵器などについて、経済的な観点からの分析を試みています。特に、民間軍事会社やテロリズム、大量破壊兵器といった、最近問題になっている事柄を取り上げた点は慧眼です。

 本書には、軍事学とは離れた考え方も含まれています。たとえば、まったく兵員がいない国は最初の兵隊数名によって国防力は大いに高まるけども、何百万人もいる場合は国防力は変化しないという記述があります。軍事的に見れば、数名の兵士は百万人に比べると無視してよい戦力です。なぜなら、そんな小勢を殲滅するには1個小隊で十分すぎるくらいで、「大いに高まる」わけはないからです。しかし、これは「収穫逓減の法則」を説明するためのたとえ話であり、誤っていると考えるのは筋違いなのです。

こうした問題はほかにもあります。本書が、民間軍事会社を傭兵とみなしている点は、大方の軍事専門家には受け入れられないことです。民間軍事会社の社員は、正規軍の兵士よりも数段よい給料「効率賃金」が支払われています。効率賃金とは、社員にやる気を出させるために均衡賃金(簡単に言えば、その業界での相場の賃金)以上に支払われる賃金のことです。かつて、イギリス王立海軍で、海賊をやっつけると軍人に戦果に応じた報奨金を支払っていたことが、本書では紹介されています。両者は同じ効率賃金であっても、性質がかなり違います。戦闘任務につく民間軍事会社の社員は、基本給に加え、要人警護や車列の警備を行うと報酬をもらいますが、武装勢力を捕らえたり、殺害しても報酬はもらえるという話は聞いたことがありません。車列が武装勢力に襲われると、彼らは銃弾をばら撒きながら、急いでその場を立ち去ろうとするだけです。王立海軍は戦果をあげた時に報奨金を支払うのですから、積極的に敵を捕捉して、攻撃しないとなりません。警備員は会社の指示に応じて警備に出るだけで、それはイラク・アフガニスタン両政府や米軍の予定に従っているだけです。だから、両者では兵隊たちに与える動機づけやそこから生まれる行動に大きな違いが出ることになるわけです。もっとも、これも軍隊における効率賃金を説明するための表現であり、誤りとして排除すべきではないでしょう。

 脱線しますが、民間軍事会社を使うことが本当に効率的なのかは興味深い考察です。本書にも、若干の考察がありますが、さらに発展させると、正規軍から優秀な兵士が民間軍事会社に引き抜かれることは政府にとって経済的な損失です。しかし、政府には彼らが負傷し、一生治療が必要になっても、無償の医療サービスを提供する義務はありません。すると、兵士を養成するのにかかった費用が無駄になったり、高額の代金を民間軍事会社に支払わなければならないものの、彼らに対する治療費、障害手当てなどは払わなくてよいことになります。果たして、民間軍事会社を使うことは得なのか損なのか。現在進行形の問題ですが、試算してみたいものだと思います。

 興味深いことに、本書には日本国憲法第9条に関するコラム「歴史的に見てみると− 日本国憲法と軍事支出」があります。軍隊を持たない憲法を持つ日本が、アメリカに次いで世界第2位の軍事支出を持つのはなぜかということが書かれています。最近、日本が国外に自衛隊を派遣するようになったことにも触れています。さらに、訳者による「事業・プロジェクトとしての戦争」が付録として収録されており、自衛隊のイラク派遣の分析が載っています。その比較として日清戦争が取り上げられています。 (2008.4.26)

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