コラム:徴兵制に関する追加的な考察

2007.1.7



 私は12月30日のニュースで徴兵制について書きました。その後、調べてみたところ、アフリカのコートジボワールが徴兵制を持ち、かつ兵役期間が6ヶ月であることが分かりました。また、9ヶ月や1年間という短期の兵役期間を持つ国がいくつも存在することも確認できました。しかし、多くの国は、2年以上の兵役期間を採用しています。

 ハイテク兵器と徴兵制の間に関連性があるかも確認してみましたが、密接なものを見いだすのは困難でした。これが本当なら、それぞれの軍が持つハイテク兵器の質や量と徴兵制の間に密接な関係があるはずですが、世界の軍隊が所持するハイテク兵器と徴兵制度の間には顕著な関連性はみられません。ハイテク兵器を持っていても徴兵制の軍隊があるし、ローテク兵器でも志願制の国があるのです。カナダやオーストラリアはその好例で、ハイテク兵器を装備する前からずっと志願制を維持してきました。

 一部、ヨーロッパ諸国が徴兵制から志願制への切り替えを検討していることに、「ハイテク兵器が増えたため」という説明がつけられることがあります。しかし、これもヨーロッパ地域での大規模な戦争が考えにくくなったためという、より大きな別の要因を無視しています。特に、冷戦の終了とEUの結成は、安全保障をEUで一本化するチャンスを生み、大規模な兵力を不要にしました。ハイテク兵器は副次的な理由でしかないと考えられます。

 徴兵制が選択される理由は、第一に脅威が目の前にあって、大量の兵士を動員する必要が生じる可能性があることだと考えた方が合理的です。アジアでいえば、韓国がハイテク軍ながらも徴兵制を敷いています。これは北朝鮮という脅威が目の前にあり、軍の経験者を大勢持っていた方が安心だからです。

 徴兵で集めた兵士は志願した兵士よりも質が悪いので、徴兵制の軍隊が志願制の軍隊よりも弱く、戦略的に不利になるという話も副次的な理由でしかありません。かつて米海兵隊は徴兵制の米陸軍と違って全員が志願兵で、士気旺盛といわれました。志願兵は精強だというのは、こういう実例から生まれた話でしょう。しかし、イスラエル軍や韓国軍は志願制でも精強といわれます。また、士気は評価が難しい要素で、米陸軍が定義するように、実戦にならないと分からないものです。過去の戦争を調べて、参加した軍の士気を論じることはできても、現代の軍隊が将来どのような活躍をするかは一般論以上に予測するのは困難です。士気は実績から評価されるものだからです。昨年夏のレバノン戦争で、精強で装備もよいイスラエル軍がヒズボラ相手に苦戦しました。こういうアンバランスな現象が起きるのは、戦争では珍しくありません。だから、私は戦況を分析する際、常に士気を平均程度と仮定して考えることにしています。中には尋常ならぬ能力を発揮する個人や部隊があっても、参加部隊全体で見ると平均値に集約されることを経験的に知っているからです。

 訓練の内容からいっても、長期勤務が戦力に直接的につながるとは言えません。自衛隊の場合、一般隊員の基礎訓練は3〜5ヶ月ですが、どの軍隊も基礎訓練は3ヶ月程度です。その後、部門ごとに専門的な訓練を積んでいきます。最も基本的な歩兵であれば、半年も訓練すれば実戦に出せます。アメリカの州兵は入隊時の基礎訓練の他は、基本的に月に1度の週末の訓練と2週間の夏季訓練しかしません。兵士を戦場に送る時は、これに若干の訓練期間を設けて派遣しています。徴兵制は歩兵の頭数を確保することを主要な目的としていますが、そういう兵士は比較的短期間で養成できるのです。現在でもハイテク兵器を扱うのはごく一部の隊員だけで、大量に必要な歩兵は短期間で養成できます。

 それでは強い歩兵を育てられないと考える人がいますが、基本的に歩兵は攻撃的な戦力ではありません。敵の攻撃に耐え、現在地を維持するのが歩兵の仕事です。そうした歩兵が戦場にいることで敵の動きが損なわれ、味方の反撃を可能にするのです。歩兵を乗せる装甲車や、打撃力の中核である戦車、支援砲撃を行う砲兵隊などは、別に時間をかけて養成すれば足ります。戦史を読めば、歩兵は死ぬものだということが分かります。新兵は、最前線の部隊に着任してすぐに行われた攻撃で地雷を踏んで死んだりするものなのです。時間をかけて養成しても、歩兵がすぐに死ぬのを避けることはできないのだから、そこばかりに力を入れるのはあまり意味がありません。短期間で歩兵を大勢養成する方法を考えた方が理にかなっています。人材の質が心配なら、徴兵で大勢集めて、能力のない者にはハイテク兵器を触らせないようにすればこと足ります。しかし、私は最も基本的な小銃を正しく扱う能力がある人なら、訓練することでハイテク兵器も正しく扱う素質を持っているはずだと考えます。

 徴兵制が採用される主要な理由は、軍隊の外にあります。かつて日本では、男は軍隊に行って一人前とみなされた時代がありました。教育の一環として徴兵を考える国もあります。イスラム国では、地域の危機に際して男子が武器を持って戦うことを義務としていますから、徴兵制を避ける理由はありません。逆に、志願制の方が好ましいと考える国もあります。歴史的にも徴兵制に対する評価や解釈は何度も変化してきました。こうした社会的な環境が徴兵制の採用に大きな影響を与えるのです。そして、財政上の問題が大きく関係します。大軍を抱える必要がないのに徴兵制を維持しようという国は少ないでしょう。つまり、徴兵制が選ばれる理由は、第一に「大きな脅威」が目の前にあり「大軍が必要とされている」こと、第二に「経済的、社会的な理由」だと言って差し支えがないと考えられます。

 軍隊は常に軍事上の理由だけで活動するものではありません。何でも軍事的理由で説明しようとするのは、擬似的な理論と言うべきです。私は、しばしばメディア上などに、こうした記事を見ることがあるので、注意が必要と思っています。

Copyright 2006 Akishige Tanaka all rights reserved.