鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮
 てっきり古本でしか入手できないと思っていましたが、この書評を書くにあたって、今でも販売されていることが分かりうれしい限りです。現在は文庫本ですが、もとは紀伊國屋書店からハードカバー版が発売されていました。

 この本は、ダートマス大学のノエル・ペリン教授によって書かれた、中世日本でなぜ銃砲が廃れたのかを解説しています。日本に銃砲が伝来して以来、日本が統一されるまでは銃砲は盛んに使われたものの、その後は次第に使われなくなりました。このことを、冷戦時代の軍縮に応用できないかと主張しています。ただし、ペリン教授は文学や環境学の人であるため、銃砲史や軍事史としては、この本は注意して読む必要があります。また、教授は日本語が読めず、同大学にいた日本人教授の助力を得て資料を読んでいます。ご本人も指摘していますが、事実誤認がある可能性はあります。

 この本のコンセプトは、日本人よりも海外の人の方が思いつきやすいのかも知れません。日本人にとっては、天下統一以降、銃砲が廃れたのは徳川幕府が反乱を恐れ、諸大名を厳重に管理したためだと考えます。しかし、同じ時期に銃砲が驚異的な発達を遂げた欧米では、こうした現象は信じられないことでしょう。何か特別な理由があるに違いないと考えるのは自然です。西欧が技術的進歩を続けている間、戦国時代をあれほど激しく戦った日本人はほとんど軍事的な革新を行わなかったのです。

 そのかわり日本人は、少なくとも江戸などの都市部では、天下太平を謳歌していたようです。この本にも色々と書かれていますが、当時の日本は極めて高い文化を実現し、衛生的にも優れた生活をしていたといいます。識字率もヨーロッパに比べると高く、高い教育を受けていない者が礼儀正しく振る舞うので、来日した外国人は驚いたといいます。幕末に日本にいた外国人は、明治以降の日本を嫌い、日本を離れたというほどだったといいます。

 日本で平和が続いたのは、近くに日本を攻撃できるような大国がなく、外国の勢力が入り込むのには都合が悪い政治制度があったためでしょう。表向き、武士は天皇に忠誠を誓っていることになっていても、実験は武士が握っているわけですから、外国勢力にすれば、どちらと交渉してよいのかが分からなかったでしょう。ヨーロッパから見ると、日本はアジアの最も遠いところにあり、下手をすれば将軍の号令で全国から武士が馳せ参じてくると聞けば、誰でも武力侵略は諦めるでしょう。精神的にも、日本人は結構合理的な人たちだったので、学問や信仰などで平伏させることもできなかったのです。その点、他のアジア諸国は核となる政治権力が弱く、外国につけいられる隙を与え、タイ以外の国々は不幸な時代を送ることになりました。

 天下太平の結果、幕府の力は衰退し、惨めな滅亡に至ったというのが日本人の一般的な認識で、それがよかったと主張する本書は受け容れにくい面があるかも知れません。それを理解するには、同じ時期の欧米の戦争技術を知る必要があります。これが世界平和に使えるかどうかはともかくも、一読しておいて損がない本です。(2006.12.26)

(銭湯犬さんから、本書の評価について投稿を頂きました。こちらをご覧ください)

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