ニジェール事件で指揮上の瑕疵は?

2018.3.7


 military.comによれば、米軍隊員4人を殺したニジェールの攻撃に関する軍の調査は、チームがイスラム国高官を捕まえるリスクが高い任務について必要な上部司令部の承認を受けていなかったと、報告に詳しい米当局者は言いました。

 報告書は、その誤りを命を奪った待ち伏せの原因としては示しません。

 初期調査は、地元ニジェールの指導者に会うために10月の任務に出発した陸軍特殊部隊チームは、アメリカ人支援活動家誘拐に関与したと疑われる民兵、ドウンドウン・チェファ(Doundou Chefou)を探す第二の部隊を支援するよう方向を変えられただけだったことを示します。

 当局者は、チームはより高いレベルの指揮官へ意図を説明しないまま、最初からチェファを追いかけたように、現在は見えると言います。

 調査結果が公表される前に調査結果について語るために匿名を希望する当局者によれば、結果として、指揮官は任務のリスクを正確に評価できませんでした。

 結論は米軍のアフリカでの活動、かなりの部分は、何年も大陸で地元兵の顧問を務め、活動してきた特殊作戦軍の役割の監視を強めそうです。

 調査は攻撃を導いた一点だけの誤りはないことを見出しました。攻撃は兵士たちがチェファがその地域を去ったと知って、知られている彼の最後の位置を調べ、帰還を始めたあとに起きました。

 報告書は、彼らが水と補給品のために立ち止まったトンゴトンゴ村(Tongo Tongo)の村民がイスラム国民兵に米軍が地域にいると警告したかどうかも結論を出していません。

 より高いレベルの指揮官が、チャンスがあったら、任務を承認したり、修正したかや待ち伏せを撃退するのを助ける追加の資源を提供したかについて、未だに疑問は残ります。

 国防総省報道官のロブ・マニング陸軍大佐(Army Col. Rob Manning)は、報告書がいま完成して、ジム・マティス国防長官(Defense Secretary Jim Mattis)と高官らによって評価されているとしかコメントしませんでした。

 その他の米当局者たちは、最終報告はアフリカの米軍の作戦に影響すると言いました。

 アフリカ軍司令部指揮官、トーマス・ワルドハウザー大将(Gen. Thomas Waldhauser)は適切な任務承認とリスク評価を確実にするために、より大きな監督を承認することになっていると、彼らは言いました。

 ワルドハウザー大将はアフリカでの任務を縮小したり、決定を下す指揮官の権限は取り除かないと予測されます。

 彼は火曜日に下院委員会で証言する予定です。

 事件はより防護力の高い装甲車、よりよい通信と改善された行方不明の兵士を見つけるのをより簡単にする個人追跡機を含む、改善された保安手段について議論も引き起こしそうです。

 参謀長のロジャー・クルーチェ・ジュニア少将(Maj. Gen. Roger Cloutier Jr.)が率いるアフリカ軍司令部のトップ当局者は複雑な事件を解明するために、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカにわたる多数のインタビューを行い、数ヶ月を費やしました。

 アメリカとニジェール当局者は、兵士たちはチェファの位置に関する情報を受け取り、彼を捕まえるつかの間のチャンスか、少なくともアメリカ人の人質について価値ある情報を収集すると考えられそうなことに従って行動したと言います。

 チェファがいると考えられた場所は不明です。

 しかし、その場所に到着する前に、米・ニジェールのチームは彼が去ったと分かりました。

 兵士たちはそこに残された情報を収集するために、その場所に移動しました。

 任務につけられた第二の米コマンドチームは天候の問題で行くことができませんでした。

 あるニジェール当局者は、目的地に着いた兵士たちは食料とオートバイを見つけたと言いました。

 彼らはオートバイを破壊しました。

 それからチームは帰途につきましたが、トンゴトンゴ村で補給を得るために立ち止まったと、当局者は言いました。

 アメリカの調査は、チームが普通よりも長くトンゴトンゴ村に滞在したものの、村人や誰かが彼らの出発を意図的に遅らせたとか、民兵に警告して彼らを裏切ったと結論する確たる証拠はないと指摘しました。

 ニジェール当局者は、この地域のイスラム国指導者、アボ・ワリド・シャラオイ(Abou Walid Sahraoui)が、チームがチェファの最後に知られた位置を訪れたのを聞いたと言いました。

 それから、彼はアメリカとニジェールの兵士を追跡するために約20人の戦闘員を派遣しました。

 民兵のより大きなグループが後に後に続いたと、匿名を希望した当局者は言いました。

 米当局者はその情報を裏付けることはできませんでした。

 トンゴトンゴ村を去った直後、アメリカとニジェールの部隊は攻撃を受け、結果的にイスラム国の待ち伏せで制圧されました。

 米兵は差し迫った危険にあることを伝えるコード「ブロークン・アロー」を使って助けを求めたと、当局者は言いました。

 それから、彼らは手順に従い、敵がそれを使うのを防ぐために無線を切りました。

 その結果、彼らは彼らを救うために送られたフランスの航空機と素早く通信できませんでした。

 当局者は、手続き上の意思疎通の断絶は、民兵高官を追跡するのに必要なより高いレベルの司令部の承認を欠いていたことを意味すると言いました。

 そうした任務はチャドやドイツのアフリカ軍司令部にいた特殊作戦司令部の将校による承認が必要です。

 報告の失敗はこれらの指揮官が部隊が何をしていたのかについて完全な絵図を持っておらず、それ故に任務は敵部隊と遭遇しそうにないと結論したことを意味しました。

 当局者は、部隊が適切な監督と承認を得ていれば、よりよく装備がなされ、戦闘をさらに維持できる追加の要員を含んだかも知れません。


 前に書いた事件の推移に関しては省略しました。詳細を知りたければ過去の記事を読んでください。(過去の記事はこちら

 ニューヨーク・タイムズ紙と違い、任務失敗の原因は司令部の気まぐれた指揮のせいではなく、現場の隊員が任務を変更したことを司令部に報告していなかったためだと、米軍の報告書は結論づけているようです。

 両者のどちらが正しいのかはいま判断できません。しかし、ニューヨーク・タイムズ紙の記事では、指揮官が命令を変更したことに関する具体的な情報は含まれていませんから、作戦の常識から判断して結論したのだと思われます。

 実際に現場が支援任務を攻撃へと切り替えたのかも知れませんが、当事者が全員死亡しているので、実態は分からないでしょう。

 それにしても、南スーダンの戦闘日報の件を考えても、なんでも隠す自衛隊と公にする米軍の分化の厚みの違いを感じさせられます。

 

 


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