大量虐殺事件で支援団体の職員も死傷

2018.11.11


 military.comによれば、ダン・マンリケ(Dan Manrique)の人生が水曜日夜にカリフォルニア州サウザンドオークス(Thousand Oaks)のボーダーライン・バー・アンド・グリル(the Borderline Bar and Grill)での大量発砲事件で残酷に閉ざされた一時間と少し前、彼は仲間の退役軍人団体「チーム・レッド・ホワイト・アンド・ブルー(Team Red White and Blue)」のメンバーと会合を持ち、どうやってグループ内のコミュニティを発展させ、困窮している退役軍人と接触するかについて考えを出し合っていました。
 
 そのため、団体のロサンゼルス支部長のルドルフ・アンドラーデ(Rudolph Andrade)が翌日、マンリケが発砲現場の近くにいなかったかを尋ねるテキストメッセージを受け取ったとき、アンドラーデの最初の返信は安心させる言葉でした。

 
 「ダンはこのすべてが起きた昨夜、私と一緒にいましたよ」と答えたとアンドラーデはいいました。

 翌日、親友でチームメイトだったマンリケを失ったことを処理するというショックは、それでも彼のためにはじまっているところです。

 アンドラーデと団体のベンチューラ郡(Ventura)のフェイスブックへの投稿によれば、事実、12人の命を奪った恐ろしい発砲現場には少なくとも団体のメンバーが少なくとも3人いました。

 太平洋地域のマネージャーとしてグループのフルタイムの職員であるマンリケ。伝えられるところでは、大学卒業後、沿岸警備隊に入隊することを計画していて、発砲で殺されたバーのプロモーターのジャスティン・ミーク(Justin Meek)。生き残ったものの、脱出しようとして壊れた窓で腕を切った、別の支部のメンバーのフェルナン・ディアムス(Fernan Diamse)

 マンリケのような海兵隊員の退役軍人であるアンドラーデは、二人の男は年齢の差はあったものの、2014年に退役軍人団体をつうじて会ったときに、すぐに絆を築いたといいました。

 「私は45歳で、彼は33歳でした。しかし、彼は大人でした」とアンドラーデは言いました。「彼は本当に柔らかい口ぶりでした。いつも穏やかでした。彼の歳の誰よりも成熟していました」。

 海兵隊が公表した隊員情報によれば、マンリケは2003年から2007年まで勤務し、階級は軍曹になりました。

 野戦無線師の彼は2007年に強襲揚陸艦に乗ってイラクに派遣されました。

 アンドラーデは、彼は2002年から2010年まで戦車整備士として勤務し、2007年から2008年までイラクに派遣されたと言いました。「彼は軍曹として海兵隊を去りました」

 「私は彼の軍務を見ていますから変な感じです」「我々はたくさん同じ時間にいました」とアンドラーデは言いました。

 彼らがともに参加した最初の出来事の一つは、団体の泊まりがけのキャンプ旅行だったとアンドラーデは言いました。その旅はメンバーが関係した微妙な状況について懸念を寄せ集めることになりました。

 「私は常にダンと話すことができ。私はそれが安全な場所だと分かりました」とアンドラーデは言いました。

 友情はすぐに組織の中の仕事を越えて花開きました。

 彼らはLAドジャースへの愛でつながり、一緒に野球の試合に参加しはじめました。

 最後には、彼らは国中のいたるところでできるだけ多く野球場を訪問する計画を立てました。

 彼らはサンフランシスコとオークランドへ遠征し、仕事でさらに旅行をしたとアンドラーデは言いました。

 両方の男たちは困窮する退役軍人に与えるために重要な個人の資源を捧げました。

 マンリケはかつてメンタル診断と麻薬依存をもつ退役軍人を助ける地元の医療センターで働きました。

 アンドラーデは復員軍人掩護局をつうじてホームレスの退役軍人を支援します。

 そのため、アンドラーデが発砲者のイアン・デビッド・ロング(Ian David Long)が海兵隊の退役軍人だとわかったとき、彼は一つのことを確信しました。

 「彼が海兵隊員というのはむずかしいけど、ダンと私がこの人が助けを必要とすると知っていたら、『おい君、我々は君のために何ができるかな』とやったでしょう」とアンドラーデは言いました。

 「我々は退役軍人と早く、素早く関係を結びました。ダンはこの人に手を貸したでしょう」。

 ニュース記事を読まないようにしながらも、アンドラーデはロングが軍務でPTSDを患って、それかま暴力の動機だとの説明について疑念を表しました。

 「多くの人が彼はPTSDだったという」とトランプ大統領(Trump)は金曜日に言いました。「大きな問題だ。人々が戻ってくるのがひどいことの理由だ。彼らは戻ってくるが、決して同じじゃない」。

 ロバート・ウィルキー復員軍人掩護局長(VA Secretary Robert Wilkie)はロングがまったく復員軍人掩護局で助けを求めず、医療診断は不明のままだたと言いました。

 バーにPTSDの海兵隊員がいました、とアンドラーデは言いました。マンリケ自身がそうでした。「PTSDの海兵隊員。そう、ダンもそうでした。私もそうでした。その×××をやってはいけない。×××を治すのです。取り組むのです。私は自分が通り抜けてきたものを知っていて、友人たちが通り抜けてきたものを知っていて、我々は取り組んでいるのです」。

 団体のベンチューラ郡支部は退役軍人の日にマンリケを讃える式典を行う計画を立てています。

 「私は昨日、父と話しました。父は海兵隊の退役軍人です」とアンドラーデは言いました。「私は、これは父さんが育てるために息子にしたい類の男のことなんだと言いました。ダンは兄弟でした」。


 「×××」は原文では「s***」と書かれています。

 犯人が元海兵隊員だったことは分かっていますが、彼がいかなる問題を抱えていたのかは不明のままです。こういう事件の原因は精神的問題か経済的問題かである場合が多いのですが、本人が死んでいるので解明はむずかしいでしょう。トランプ大統領のように簡単な説明で納得して終わらせるべきことではありません。

 この話は対岸の火事ではありません。安倍政権、自民党政権がこのまま続くと、自衛隊の海外派遣はさらに活発します。海賊対策のためにジブチに設けた自衛隊の拠点は、今後はアフリカに進出する中国に対処するための拠点となることになっています。国連のための活動がいつの間にか別の目的に変わっているのです。

 アフリカにはイスラム国の残党も進出していて、現地で勢力を伸ばしていて、米軍特殊部隊が対処しています。このままだと、こういう活動に自衛隊を使えという話が必ず出てきます。米軍の下請けのための活動で自衛官が戦闘で死傷するようになります。そうすれば、ロングのような人物は必ず出てきます。

 自衛官は立派な活動をすると信じている人は多いかもしれませんが、米軍の事例をみれば、除隊後に仕事ができない状態になっている人がホームレス化する事例が実に多いことが分かります。オバマ政権のときに14万人もいたホームレスの退役軍人を政府の活動で激減させましたが、対策がなければ、彼らは放置されたままです。

 自衛隊は自衛官の肉体的な負傷についても大した対策をとってきませんでした。応急処置キットは外部からの指摘で改善されたという体たらくです。まして、戦闘で精神を病んだ退院を理解して、対処できるとは考えられません。米軍が予算を割いて対策を打っても、問題は次々と出ているのです。

 この記事にあるような退役軍人を助ける民間団体は日本にはありませんし、政府にもありません。そのことを考えれば、容易に戦闘に首を突っ込むべきという意見はいえないはずです。

 

 


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