日本メディアが米軍人の半生を歪曲か

2017.7.25


 日本のメディアがアメリカで報じられている記事を歪曲して、報じています。

 まずは下の記事を読んで下さい。

 nypost.comによれば、ディラード・ジョンソン1等軍曹(Sgt. 1st Class Dillard Johnson)は、イラクの自由作戦で最も多くの敵を殺した米兵です。

 ジョンソン1等軍曹が指揮するブラッドレー戦闘車はイラク戦の間に、独裁者サダム・フセイン(Saddam Hussein)の装甲したメルセデス・ベンツの1台を破壊しました。

 確認された殺害数2,746人により、ジョンソン1等軍曹は記録上で最も多くを殺した米兵ですが、最も控えめな人でもあるかもしれません。

 「肉食動物」とあだ名をつけられたブラッドレー戦闘車の指揮官として、48歳のジョンソンはイラクの自由作戦の間に、地上攻撃を主導するのを助け、跡に死者の痕跡を残した容赦ない軍事力の誇示で敵を圧倒しました。

 ジョンソンには確認された殺害を上官に報告する義務があり、死者を驚異的な集計を明らかにした日誌に一覧を作成しました。それは彼と共著者のジェームズ・ター(James Tarr)が『肉食動物』というタイトルの彼の自叙伝のために功績を研究して明るみに出始めたばかりです。

 戦争の初期にさらに命を奪った兵士がいたかもしれませんが、詳細な記録がとられてからは、ジョンソンがリストのトップです。

 それは彼が受け入れるのを嫌がる外装です。

 「口にするのは悲しいことですが、それらは単にもう一つの鉛筆でつけた印です」とジョンソンは言いました。

 「私は人数は考えませんでした……それは私がやりたい誇りではありません」。

 48歳のジョンソンはケンタッキー州、アイランド(Island)で、露天掘り鉱山にいびたり、父親の銃で鹿を狩って育ちました。

 彼の最初の獲物は、弱冠13歳、22口径ライフル銃で三段角の雄鹿を仕留めた時でした。

 高校で、彼はROTC(予備役将校訓練団)に参加し、1986年に陸軍に入り、コミックブックから広がった子供の夢を実現しました。

 「私が育ったとき、誰もが宇宙飛行士、カウボーイ、消防士になりたがりました。私はロック軍曹(Sgt. Rock)になりたかったのです」と、彼はDCコミックの第二次大戦の勇敢なヒーローに言及しました。

 イラクで、第7騎兵連隊第3大隊C中隊に加わり、2003年3月にサマワ(Samawah)での戦いで、もっと大きな獲物を狩り、高性能爆薬弾6発でトラック一台分のイラク人を一掃しました。

 彼は、肉食動物によって取り残された叩き潰されたり、焼け焦げた残骸の中でライフル銃と人間の頭部を集計して、死者を数えました。

 2005年、彼の二度目の派遣で、彼は狙撃を、ケンタッキー州で狩りをして磨いた技術を再開し、最長で821ヤードから121人の殺害を記録しました。

 彼の合計は160人を殺害した海軍シールズの亡くなったクリス・カイル(Chris Kyle)に次いで二番目です。

 「私はすでに、私が私用に調整されていないライフル銃と共に育ったために、撃てる才能がありました」と彼は言い、彼が初期に使った銃が彼の父親のために調整されていたことを思い出しました。

 第二次イラク戦争の中で二度の派遣のあと、彼は銀星章1個と名誉負傷章4個を含む勲章37個を家に持ち帰りました。

 彼はジョージ・カスター将軍(Gen. George Custer)に遡る血統のコールサイン「クレイジーホース」を持つ彼の中隊を全面的に信頼します。

 「このような別の兄弟愛はありません」と彼は言いました。
 
 彼の過去は決して彼を悩ましません。

 「そうする必要があったとき、私は殺しました。私はそうする必要があった時は残忍でしたが、そうする必要があった時は同情的でした」と彼は言いました。

 「心の中では、私は決して、私を殺そうとしたり、傷つけようとした者を誰も殺しませんでした」。

 彼は永久に彼の脚にはまり込む弾丸を持ち、戦場は彼に戦うべき新しい敵、ステージ3のホジキンリンパ腫を残しました。

 彼は発砲時に加熱されて放射能を帯びる劣化ウラン弾の徹甲弾の小片を吸い込んで癌になったと信じますが、彼には後悔はありません。

 「私は劣化ウラン弾が私に癌を与えたことで動揺しません。劣化ウラン弾がなかったとしても、私を殺せた、私が破壊できなかった車両がありました」と彼は言いました。

 癌は寛解期でしたが、1月に再発しました。

 彼は夏の終わりに化学療法を受けます。

 近頃、ジョンソンはフロリダ州のデイトナビーチ(Daytona Beach)に住み、結婚して4人の子供を持ち、弾薬会社のコンサルタントとして働きます。

 彼は褒賞や戦時の戦利品、サダム・フセインのリムジンから取ったイラク国旗すら展示しません。

 それから、彼は狩猟を止め、13歳の息子とサーフィンをするのを好みます。

 火曜日に発売される彼の伝記の中で、彼はヘミングウェイを引用します。

 「十分に長らく武装した男を狩り、それを好んだ者は、それからさらに本当に何かに関心を持つことは決してありません」。


 ジョンソン氏について報じた日本メディアはparstoday.comです。記事は以下のとおりです。私が訳した記事と比較してみてください。著しい違いがあることがわかります。

 元アメリカ兵だったディラード・ジョンソン氏が、イラクに駐留していた間に、自らの手で数千人のイラク人を殺害したことを明らかにしました。

 フォックス・ニュースによりますと、アメリカ史上最も残忍な軍人として知られるディラード・ジョンソン氏(48)は、2005年から2010年までイラクに駐留した5年間に、2746人以上のイラク人を意図的に自らの手で殺害したと供述しています。

 ジョンソン氏ははまた、イラクでアメリカ軍が残忍な行動をとった事実を認めており、自らがイラクに駐留していた期間中にほぼ毎日、1人あるいは2人のイラク人を殺していたと語りました。

 ジョンソン氏によりますと、彼が初めてイラク人を殺害したのは、同国南部の町サマワ近郊で、満員の旅行者を乗せたバスを装甲車ではねたもので、このときにはイラク人13名が死亡しています。

 こうした中、アメリカ軍はジョンソン氏のこの行為をたたえ、彼を戦争の英雄として37個の勲章を授与しました。

 現在、ジョンソン氏は重度の精神病をわずらっており、妻とも離婚しています。

 なお、現在までにイラクでのアメリカ軍の残忍な犯罪行為に関する数多くの報告が発表されています。

 国連をはじめとする国際機関による報告からは、イラク占領以来のアメリカ軍の行動により、女性や子供をはじめとする数多くのイラク民間人が殺害されたことが判明しています。

 ジョンソン氏の戦いは、記事を読む限りでは、特別に違法だったとはいえず、正当な戦闘であったと考えられます。それを民間人を虐殺したかのように書き換えるやり方は疑問です。

 そもそも、装甲車でバスに衝突して、13人が死ねば、装甲車も壊れて、本人が死んでいてもおかしくありません。

 ジョンソン氏は精神病ではなく癌です。

 記事に掲載している写真にはキャプションがなく、ジョンソン氏とは無関係と思われます。

 捏造といえるほどの書き換えがみられます。

 いくら反戦のためでも、これは駄目です。

 

 

 


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