週刊新潮 森山元陸将の主張は無い物ねだり

2017.6.4


 『週刊新潮6月8日号』に『南スーダン撤退で「PKO」派遣ゼロ! 「憲法9条」が自衛隊を押し潰した』という記事が載りました。著者は元陸将の福山隆氏です。この号には『ついに女性がレイプの事実を顔出し会見で告発! 検察審査会が動き出す「安倍総理」ベッタリ記者の「準強姦」』のような調査取材に基づいた優良な記事も載っていますが、元陸将の記事は失望させられる内容でした。

 記事は約20年前の国連PKOに参加した幹部自衛官Aの体験談から始まります。制約を多く課せられた派遣部隊が日本嫌いのPKO指揮官M参謀長に疎まれたという筋書きです。自衛隊の派遣部隊は多くの制約を持つために、ほとんどの活動に参加できず、M参謀長は自衛隊を役立たずと考えていたという話です。

 この経緯は福山氏が部下から聞いた話なので、どこまで正確かが分かりません。字数が限られる紙面の中で、伝聞情報だけを書かれても、判断のしようがありません。こういう問題を自衛隊内で分析して政府に報告したのか、していないのかも分かりません。

 その上で、福山氏は「自衛隊の任務などに関わる憲法上の矛盾は、何時も〝ものを言えない〟自衛官にしわ寄せが来て、現場が無理やり取り繕う羽目になる。」と書きます。さらに元統合幕僚長の栗栖弘臣氏の超法規的発言を引用します。憲法上の制約のために、自衛隊は敵国の奇襲攻撃を受けるまでは何もできないという主張です。

 本当にそうでしょうか。

 まず、ものを言えないのは自衛隊員に限りません。米軍はその軍法上の法理として、軍人の表現の自由は制約を受けるのを当然としています。軍服を着ての政治活動は禁止ですし、公に政治的発言を行うことも禁じられています。議会に軍人が出席して証言する時も、常に丁寧な言葉を用いて、議会に敬意を払います。軍人は憲法を尊重し、大統領や議会に従属するという立場はあらゆる場面で守られています。

 ヒラリー・クリントンとドナルド・トランプが大統領の座を競った選挙中、トランプが「拷問は機能する」と発言し、2016年2月、これについて米下院軍事委員会でアシュトン・カーター国防長官と統合参謀本部議長ジョセフ・ダンフォード海兵大将がこの件について委員から質問を受けました。二人がいかにして政治的発言を避けて言うべきことを言ったかが、この記事に書かれています。(関連記事はこちら

 詳しくはリンク先を読んでもらうことにしますが、政治不介入の原則は自衛隊よりも米軍の方が厳しいことを、多くの日本人は知るべきです。決して、自衛隊員だけが足かせをかけられているのではありません。

 憲法上の制約については、ほとんどの部分で誤解に基づいていると考えます。憲法は自衛隊が出動する条件を何ら制約していません。自衛隊を縛っているのは「自衛隊法」です。自衛隊法を改正して、必要な場合に動けるようにすれば、問題の大半は解決します。実際、変な規定が存在するとか、規定が不十分という問題はあります。その一部は『尖閣諸島付近で中国公船がドローンを飛行』に書きました。

 たとえば、航空自衛隊が国籍不明機に対してスクランブルした場合、行えることは国籍不明機を退去させるか、空港に着陸させることです。相手が最初から日本領空へ侵入することを目的にしていた場合、退去や空港への誘導に従うはずはなく、最初から攻撃してくるでしょう。相手が空対空ミサイルを発射して攻撃の意志を見せない限り、自衛隊機は攻撃ができません。

 しかし、これは憲法が制約している訳ではありません。自衛隊法が制約しているのです。自衛隊法は国会で改正できます。

 また、前記のような事態を、日常的に行われているスクランブルと同様に考えることは不適切です。攻撃であるなら、敵は当然、数の優位を得るために大編隊で来るでしょう。それはレーダーで分かる訳ですから、その時点で「攻撃の意図あり」と判断できるのです。また、政治的な紛争もなく、高額の航空機や兵器を使って戦いを始める国はありません。そういう状況になれば、防衛大臣から防衛出動命令を出し、いつでも攻撃する態勢に移行できるはずです。これも憲法上の制約とはいえません。

 福山氏はPKOの任務の性質が変わり、戦闘を行うようになった環境の中で、軍法がないことを問題視します。自衛隊員が任務中に民間人を射殺してしまったら刑法の第199条「殺人罪」で裁くしかないのはおかしいというのです。

 この理屈は私にはよく分かりません。米軍でも民間人を殺した場合、常に罪とならない訳ではありません。任務中に行ったことでも、過失の割合が大きい場合、逮捕され、裁判にかけられることもあります。あるいは、裁判ではなく懲罰を受けることもあります。

 自衛隊が米軍と違うのは、過失の場合、刑法上での殺人罪に問われることです。米軍は故意ではなかった場合、ほとんど懲罰だけで済まされます。実際には、部隊で金を集めて、被害者に賠償することもありますし、空爆による被害は軍が賠償しています。しかし、故意である度合いが大きい場合、裁判が開かれます。

 有名な事例では、2005年11月19日にイラクのハディーサで民間人24名を米兵が殺害した「ハディーサ事件」があります。第1海兵連隊第3大隊K中隊の分隊長フランク・D・ ウートリッチ二等軍曹が分隊を率いて行動中、武装勢力による攻撃を受けました。逃げる武装勢力を追いかけて、兵士たちは次々と民家に押し入り、中で寝ていた民間人多数を射殺し、たまたま通りかかったタクシーの5人も射殺しました。死者の中には武装勢力は一人もおらず、明らかに異常な行動があったのは明白でした。その後、別の部隊がこの事件を隠蔽しようとしたり、上層部も報告を嫌がりました。海兵隊は裁判を避けようとして幕引きを図ったものの、結局は裁判が開かれて、最終的に、2012年、ウートリッチが「職務怠慢」で有罪を認め、法廷で謝罪するかわりに刑務所への収監は回避するという司法取引で決着しました(関連記事はこちら)。裁判長は「裁判所がこの事件の事実よりも悪い職務怠慢を考えることは難しい」と強い言葉でウートリッチを批判しました。この事件は当サイトを検索すると、いくつもの記事が見つかりますが、事件の様相はとても複雑です。

 福山氏の提言の中には、自衛官が職務上なした殺人は不問との主旨しか読み取れず、過失が大きい場合の法的処分や被害者への賠償については何ら触れていません。率直に言って、人を加害する可能性が高い任務を遂行する人の言葉には見えません。

 さらには南スーダンの日報問題では、「南スーダンPKO『日報問題』は『制服・文官』のみの責任にあらず、スムーズな意思疎通ができなかった稲田朋美防衛大臣のリーダーシップの欠如も原因だと言わざるを得ない。」と、蚊帳の外だった防衛大臣にまで責任を負わせています。この問題の責任は日報を消去した制服と文官にすべての責任があるのが明らかです。大臣が日報の処分にいちいち関与するとは思えません。

 主張は全体的に、自衛隊に関することはすべてチャラにできるような制度を求めているようにしか感じられません。憲法上の制約もチャラにして欲しい。任務で民間人を殺した場合もチャラにして欲しい。自衛隊がやったことも大臣のせいにしてチャラにして欲しい。

 憲法を変えればPKO活動がうまくできるようになるとも言っているように聞こえます。そんなことは、到底起こらないでしょう。

 自衛隊について不安に感じることの一つは、こういう憲法を理由とした不満の合理化を見る時です。

 このような神経で、米軍がイラクやアフガニスタンで当面した戦闘を乗りきることができるのかと思うと、とても無理であるように思えます。 福山氏の主張はまるで米軍の下層の兵士から聞こえる不満のようです。

 米軍がアフガンで戦闘を始めた直後、兵士からある不満が出ました。タリバンが女性や子供を人間の盾として使い、立て篭もる建物の窓や天井に立たせているというのです。民間人への攻撃を禁じたジュネーブ条約を守るため、兵士たちは攻撃をためらい、効果的な攻撃ができないというのです。女性と子供は進んで人間の盾になっているのだから、戦闘員とみなすべきではないかと。

 確かに話としては一理あるものの、米軍上層部はこういう不満に「我々には優位な装備も戦術もある」と説明して却下してきました。言うだけでなく、不満が出た小銃の装弾不良と威力不足は弾を別の製品に変えることで解消しましたし、強度不足と言われた防弾ベストも入れ替えました。こうして米軍はジュネーブ条約を守る努力を続けています。

 福山氏の不満に比べたら、米軍が抱えた問題の方が遙かに大きく、米軍は合理的な方法でそれに取り組み、解決を図ってきました。どちらが望ましいのかは言うまでもないでしょう。

 

 

 


Copyright 2006 Akishige Tanaka all rights reserved.