アル・ヌーリ・モスクが陥落

2017.6.30


 alarabiya.netによれば、イスラム国の指導者、アブ・バクル・アル・バグダッディ(Abu Bakr al-Baghdadi)が唯一、公に姿を表したモスル(Mosul)のモスクの奪還は民兵の国の終わりを記したと、イラクの首相は木曜日に言いました。

 我々はダーイシュの国家の終わりを見ているところです」とハイダル・アル・アバディ(Haider al-Abadi)はツィッター上の英語の声明で言いました。

 8ヶ月の過酷な市街戦のあと、イラク軍は木曜日、3年前にイスラム国が自称のカリフを宣言したモスルのモスクを占領したと、イラク軍は言いました。

 残っているイスラム国戦闘員が旧市街地のごく僅かな地域に閉じ込められたので、イラク当局はモスルの長い戦いが数日で終わると予測します。

 850年を経た壮大なアル・ヌーリ・モスク(al-Nuri Mosque)はモスルを奪還するために戦うイラク軍にとって大きい象徴的な勝利です。モスルはイスラム国のイラクにおける事実上の首都として用いられました。

 「彼らの架空の国家が陥落しました」とイラク軍報道官、ヤヒヤ・ラソール准将(Brigadier General Yahya Rasool)は国営テレビで言いました。

 武装勢力は中世のモスクと、その有名な傾いた尖塔を、アメリカが支援するイラク軍がその方向に前進しはじめた1周間前に爆破しました。

 彼らの黒い旗は2014年6月から、アル・ハドバ(al-Hadba)・ミナレットに翻っていました。

 しかし、戦いのコストは莫大でした。

 軍人の犠牲者に加えて、数千人の民間人が殺されたと見積もられます。

 支援グループによれば、約900,000人の人々、北部の町の戦争前の人口の半分近くが戦いを逃げ、大半はキャンプや親族、友人へと逃げました。

 市内で動けない者たちは飢えと強奪、死と負傷に見舞われ、多くの建物は崩壊しました。

 軍は先週、最高で350人の民兵が旧市街地にまだいると見積もりましたが、その大半はその後殺されました。

 彼らは旧市街地の40%足らずで、モスルの全地域の1%未満の1平方kmの中に包囲されました。

 旧市街地を逃げた住民(先週、イラク軍が50,000人とした)たちは、多くの民間人がイスラム国の戦線の向こうにとらわれ、僅かな食料と水、医薬品で絶望的な状態にあるといいます。

 「なんとか逃げられた少年少女は中程度の栄養失調の症状を示し、心理社会的な心の傷を持っています」とUNICEFは声明で言いました。何千人もの子供がモスルの中で危険にさらされたままだと、UNICEFは言いました。


 時間の都合上、一部だけを紹介しました。

 すでに国内でも報じられていますが、旧市街地のモスクが占領されました。写真を見ると、建物と尖塔は破壊されて、ほとんど姿がありません。

 まだ、一部は抵抗を続けているようですが、組織的な抵抗はほぼ終わったということです。長い戦いでしたが、ようやく、終結まで来たことになります。手放しで嬉しく感じます。

 シリアのラッカでも戦いが進展していて、イスラム国は包囲状態にあるようです。

 今後、モスルではイスラム国の残党狩りが進みます。隠れている者を見つけたり、協力者を処罰します。これをうまくやることもテロを再び起こさせないために重要です。

 

 

 


Copyright 2006 Akishige Tanaka all rights reserved.