イラク軍がモスル西部へ前進する準備中

2017.2.6


 military.comによれば、民間人の犠牲を最小限にして、自動車爆弾を無力化することは、今月、モスル(Mosul)での攻勢を再開する時、イラク軍にとって難しい仕事となるだろうと、指揮官はいいます。

 第一歩兵師団指揮官ジョセフ・マーティン少将(Maj. Gen. Joseph Martin)が「ここ何年もで世界が見た最も厳しい市街戦」と説明する作戦の中で、民間人5千人とイラク兵1,600人が街東部を開放するために死傷しました。

 ここ数日、イラク特殊部隊の兵士は前進を休み、75万人を擁する街西部へ前進するのに先立ち、獲得した領域を正規兵部隊へ引き渡しはじめました。

 民兵はまだモスルの最も古い地域を占拠します。その幅が狭い、曲がりくねった通りは戦車と装甲車が地上部隊を支援するのを難しくします。

 10月に攻勢を始めてから、300台以上の自爆自動車で攻撃されたイラク兵にとって、戦車は頼りになる防衛兵器だと、イラク対テロリズム部隊の副指揮官、アブドル・ワハブ・アル・サーディ中将(Lt. Gen. Abdul-Wahab al-Saadi)は月曜日にいいました。

 「自動車爆弾はサイダの懸念です」と、最近、兵器の一つの爆発を生き延びたアル・サーディ中将はいいました。「負傷した家族がいました。我々の負傷者はおいて、我々は彼らを第一に手当てしました」と彼はいいました。

 モスルのもう1人の特殊部隊兵士、バグダッド出身の30歳、アマル・アラスワド上級曹長(Sgt. Maj. Ammar Alaswad)は、彼は赤ん坊を含む民間人8人が自動車爆弾で殺されるのを見たといいました。「我々は生存者の手当てをしなければなりませんでした」と彼はいいました。

 戦車が近くに接近できないなら、特殊部隊は自動車爆弾を爆破するためにバズーカに頼ります。重機関銃はより軽装甲の車両を破壊するのに使うと、アル・サーディ中将はいいました。

 政府軍は付帯被害を最小限にするために東部で用いたのと同じ戦術を使う予定で、民間人は戦闘の間、家に隠れるように告げると、彼はいいました。

 「こちら側では中にいるという民間人によってよい計画がありましたから、我々は西でも同じようにするつもりです」と彼はいいました。

 イスラム国はナビ・ユヌス・モスル(Nabi Yunus Mosque)のようなモスルの古代の宝の多くを破壊しましたが、街の遺産のいくつかは戦いがより古い地域へ移動する時に保護できると期待されます。

 「アガサ・クリスティー(Agatha Christie)の家はそこ(西部)にあります」と、アル・サーディ中将はモスル郊外近くの奪還した農家でお茶をすすりながら英語で言いました。戦いに非情な指揮官は「オリエント急行殺人事件」のようなミステリーの有名作家のファンです。彼女は1920年代にモスルにきて、考古学者の夫と遺跡を発掘するのを手伝いました。

 敵は燃料と弾薬が欠乏してきているとアル・サーディ中将はいいました。「我々はこちらが側でそれを通り抜けました。我々はそれを再び通り抜けるつもりで、我々は再び成功するつもりです」と彼はいいました。

 もう1人の特殊部隊指揮官、ファラー・ファデル・アロバイディ准将(Brig. Gen. Falah Fadhel Alobaidy)はこれまでに作戦で敵戦闘員2,000人が殺されたといいました。

 街には2,000人未満の兵士がいるだろうと、彼はいいました。「彼らは多くの指揮官と兵器を失いました。彼らはほとんど終わっています」と彼はいいました。

 航空写真は、過激派がすでに空襲で損害を受けたチグリス川にかかる5つの橋の残りを破壊したことを示します。

 しかし、アロバイディ准将は、彼の部下は市内の河を渡ろうとするよりは、モスル南部の村に立ち寄り、北へ前進するといいました。

 モスル中心部近く、アル・ジャミーラ地域(al-Jameela)で、27歳の大学生アハメド・ムアファク(Ahmed Muafaq)は月曜日にレストランの外に立っていました。

 この場所は住民が破片を通りから運び去る間、お茶を飲み、ケバブを食べる兵士と民間人でいっぱいでした。

 彼の通りの戦いの間に住民が迫撃砲で殺されるのを見たムアファクは、解放された地域で友人と家族は西部の動けない人たちと連絡をしているといいました。「彼らは電気、水、食糧がありません」と彼はいいました。「敵は彼らが携帯電話を使うのを見れば、殺すでしょう。そこには外国人がいて、彼らはとても危険です」。

 敵が支配する地域の民間人は辛抱強く、戦いが終わるまで家に留まるべきだと、彼はいいました。

 ムアファクは西へ移動する準備をするイラク兵にアドバイスをしました。「親しみやすくして、すべてのスンニ派が悪人だと考えないこと」と彼はいいました。「モスルは生活が戻っているので、私はキリスト教徒の友人にここに戻るよう求めました」。


 この記事で注目するのは、市内の河は渡らないというアロバイディ准将の見解です。犠牲が出やすいためでしょう。以前から、航空写真を見て、市外に渡りやすい場所がないかを探していましたが、船着き場がある村があるので、船を使う方法もあるとは思っていました。

 しかし、河を渡る可能にみせる作戦も用いられそうです。そうすれば、イスラム国の一部を遊兵にできます。

 戦車や装甲車が通りにくいのなら、自動車爆弾とて早い速度では走れないわけで、自動車爆弾も使いにくくなるはずです。

 人員、武器弾薬の不足は一層イスラム国に厳しくなり、東部よりも彼らに不利になると、私は考えます。

 


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