戦闘艦のログに見る真珠湾攻撃

2017.12.8


 military.comが真珠湾攻撃時の駆逐艦カニンガム(Conyngham)のログを報じています。真珠湾奇襲は我々日本人にとって歴史的出来事です。現場にいたアメリカ人がどう見ていたかを知るため、以下に全文を紹介します。

 日曜日は真珠湾の駆逐艦の数人にとってはアイスクリームの日で、彼らは1941年12月7日に始まった攻撃の前に、早朝、地元の酪農場からガロン缶を運び込んでいました。

 マハン級駆逐艦カニンガムのログは、J・R・ハンセン中尉(Lt. [j.g.] J.R. Hansen)が「従前通り繋留」と、その朝を記しました。「0630 デリーマンズ・アソシエーション社(Dairyman's Association Ltd)から以下の食糧を全員の食堂で使うために受領。アイスクリーム 6ガロン」。

 ハンセン大尉が受け取った量を確認し、P・C・パーチェスキー衛生兵(Pharmacist's Mate P.C. Parcheski)がその品質を確認しました。

 ハンセンの次のログ記入は、国家が再び戦時にあることに言及しました。

 「0755 日本軍機が真珠湾地域を爆撃開始。総員配置を適用。すべての機銃に隊員配置。発砲開始。移動のためにメインエンジンの緊急修理を開始。艦長は艦橋にあり」。

 J・B・キャロル中尉(Lt. [j.g.] J.B. Carroll)もう一隻のマハン級駆逐艦、カミングズ(Cummings)は「従前通り繋留」にあり、その朝に牛乳15ガロンとアイスクリーム7ガロンをデリーマンズ・アソシエーション社から受領しました。

 キャロル中尉はそれから「0758 空襲。日本軍機が真珠湾の戦艦に対して魚雷攻撃を開始。総員配置を発す」と記録しました。

 キャロルの次のログ記入は、太平洋艦隊の火力の多くを破壊した攻撃を撃退しようとして、カミングズの兵士が必至の試みを行う事実にこだわった描写を与えました。「従前通りに繋留。総員配置で砲台に配置。0803 機関銃が日本軍の雷撃機に対して発砲。0808 主砲で水平爆撃機に発砲」。

 次の記入は「0810 信号塔で翻る信号に従って進行するために準備を開始。0811 主砲で急降下爆撃機に発砲。0820 空襲が止む。撃ち方止め」となっていました。

 「0840 猛攻撃を跳ね返すために発砲。0842 機銃発砲に次ぐ機銃発砲ひ引き続き、艦の遠くで煙をひき爆撃機が滑空するを観察」。

 第1次世界大戦の古株、ウィクス級駆逐艦チュー(Chew)も総員配置にする前にアイスクリームを受け取り、群がる航空機に対して甲板の機銃を向けました。

 W・H・ハーツ少尉(Ensign W.H. Hartz)は以下のログ記入を行いました。「0757 日本軍の雷撃機と爆撃機に奇襲の空爆を受く。総員配置を発し、対空部隊を配置。小型、大型の日本軍の爆撃機が様々な艦隊部隊へ直接攻撃を成功させる高高度で真珠湾を横断」。

 チューは何とか前進し、港の入口の南西で潜水艦のパトロールを開始しました。

 船は爆雷28発を投下しましたが、日本軍の潜水艦に命中した証拠はありませんでした。

 最も悲惨なログ記入の一部は、太平洋艦隊の旗艦、テネシー級戦艦カルフォルニア(California)に乗ったA・T・ニコルソン・Jr少尉(Ensign A.T. Nicholson Jr.)にありました。

 カルフォルニアは数回攻撃を受け、艦が漂う油膜が艦を炎で巻き込むと脅かしたので、乗員は一時的に総員大艦を命令されました。

 「0820 艦は魚雷で47回攻撃さる」とカルフォルニアのログは言いました。「0830 第1砲郭上部に平行する上甲板第59区画に爆弾が命中。メインデッキを貫通し、二番デッキで爆発して大火災を発生。艦は左舷へ8度傾斜。右舷空所に浸水対抗策を開始」。

 「1002 艦長は戦闘部隊指揮官の承認を得て、水面で燃料油の拡大する炎のために一時的に総員退艦を命令」。

 「1015 水面からの炎は消火。総員退艦命令取り消し。艦の戦闘配置が再下令。右舷メインデッキと砲郭の炎に対処。敵航空機による攻撃が再開」。

 カルフォルニアはサルベージされて、太平洋での戦いに復帰しました。

 1945年フィリピンでのカミカゼ攻撃でカルフォルニア乗員44人が死亡しました。

 艦のログと沿岸の海軍基地からの説明は1941〜1978年に編集され、現在は国立公文書館に保管されます。それは、彼らがその日の出来事、その前、最中、攻撃後について、それを目撃した者たちの目を通じていくらかの洞察を提供するとしました。

 公文書のログの序文によると「艦上で実行された記録記入の事務作業の大半は、1941年12月7日に真珠湾で記入されたものですが、日本軍の攻撃がもたらした衝撃と混乱の要素を捉えてもいます」。

 混乱の中で、攻撃で軽度の損傷をうけた戦艦メリーランド(Maryland)は、日本軍の落下傘兵が真珠湾上空から降下したという誤った報告を記録しました。

 艦のログは以下の記入がありました。「1137 落下傘兵が来た海岸に着陸。1143 敵兵は赤い記章がある青いカバーオールを着用との報告を受く」。

 それは戦いの霧の中での小さな注意散漫であると分かりました。

 「日が終わる前に、2,403人のアメリカ人が死にました」と公文書報告は言いました。「2時間の攻撃で、米太平洋艦隊は廃墟に近いままにされ、戦艦8隻、巡洋艦3隻、航空機188機が破壊されました」。


 混乱に関する記述が興味深いですね。

 落下傘兵は何かが落ちるのを見誤ったのでしょう。真珠湾ではドイツ軍機の目撃情報もありましたが、すべて誤りでした。

 カルフォルニアに47発も魚雷が命中したのは多すぎますね。他の艦に当てるべき魚雷を一隻に集中してしまったようです。しかし、こういう過剰な重複攻撃は戦闘で起こりがちです。完全な観察が戦闘中には不可能だからです。

  チューも何か反応があるたびに爆雷を投下したようで、28発も投下したとは多すぎますね。しかし、これが戦闘というもので、莫大な量の弾薬が無駄に投じられるものなのです。戦争は金食い虫です。

 

 


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