マシャル元副大統領が南スーダンを出国

2016.8.18


 17日付けのsudantribune.comによれば、レイク・マシャル元第一副大統領(Riek Machar)と反対勢力SPLM-IOの指導者たちは、首都ジュバ(Juba)でのサルバ・キール大統領(President Salva Kiir)との軍隊との1ヶ月間以上の戦いの後、隣国に移動することに成功しました。

 反対勢力指導者の報道官、ジェームズ・ギャトデット・ダク(James Gatdet Dak)は、マシャルは現在崩壊している和平協定に署名してからちょうど一年後、2016年8月17日水曜日に国外に出たことを認めました。

 「そうです。同士のレイク・マシャル博士は今日、2016年8月17日に隣国に無事移動しました。これはキール大統領とその軍隊がジュバの宮殿で、ジュベル(Jebel)の彼の住居で、ジュバ周辺のブッシュの中で彼を抹殺しようとしてから1カ月以上のことです」と彼は水曜日に認めました。

 「彼の位置変更は2015年8月17日にエチオピアのアジスアベバ(Addis Ababa)で南スーダンの紛争解決合意に署名してから、ちょうど一年後に来ました」とダクは付け加えました。

 ダク報道官は、マシャルはジュバで戦闘が勃発した7月8日以来、彼の軍隊の中にいたといいました。

 彼はマシャルが位置を変えた隣国の名前は開示しませんでしたが、1ヶ月間の攻撃の後でマシャルはいまは安全ではないといいました。

 彼は反対勢力指導者は数日内にメディアを通じて、これからについて公に声明を出すといいました。


 記事は一部を紹介しました。

 稲田大臣の記者会見の内容と比較してみてください。

 マシャル元副大統領らが殺害されることを恐れて、国外へ脱出したのです。これでも武力紛争が存在しないというのが、我が日本政府の公式見解です。

 和平合意が成立する前にも、国外へ逃れた人たちがいて、彼らは和平合意により国内に戻り、一部が閣僚となりましたが、彼らの立場も今後どうなるのか分かりません。そして、マシャルらが新たに国外脱出組となった訳です。和平合意は後退しており、崩壊しているといえます。

 馬鹿な外務省と防衛省に取り囲まれた日本の政治家たちは、この現状をどう考えるのか?。なぜマスコミはこれを報じないのか?。

 完全に世界の情勢から取り残されている情報ガラパゴスの日本。リオ・オリンピックに浮かれている間に、こういう悲劇に目を向けようとしない日本。

 これが日本の本当の姿です。

 


Copyright 2006 Akishige Tanaka all rights reserved.