ダッカ事件で日本人は標的でなかったのか?

2016.7.6


 軍事評論家の小川和久氏が、バングラデシュのダッカで日本人7人が巻き込まれたテロ事件について、フェイスブック上で意見を述べています。

 この主張には納得がいかない部分があります。

 以下に小川氏の意見の全文を掲載します。

集団的自衛権の行使容認と平和安保法制の制定で、日本と日本人がテロの標的になるとの風説が流れているが、それは間違いです。

不特定多数の日本国民を標的にするイスラム過激派のテロは、集団的自衛権や自衛隊の国際平和協力活動への派遣と関係なく、1994年から起きています。

1994年のフィリピン航空機爆破テロ(日本人乗客1人が死亡)の資金源の一人はオサマ・ビン・ラディンでした。

このように、日本が自衛隊を海外に派遣するか否かに関係なく、テロは起きるのです。

一般論で言えば、イスラム原理主義過激派は、7世紀から14世紀のイスラム世界を再現することを目標としています。アフガニスタンでタリバンがやっているように、中世のイスラム世界を作り出したいのです。ですから、近代文明を象徴する国と国民はどれでもターゲットになり得るわけです。

世界からテロを根絶するには、風説に惑わされることなく正面から取り組んでいく必要があります。

直接的なテロ対策である対症療法的、効果的なテロ対策を研究開発していく予防医学的、テロの根底に横たわる原因をなくしていく公衆衛生学的、この3つのアプローチを同時進行で息長く進めなければ、テロはなくならないのです。

 1994年の事件とは「フィリピン航空434便爆破事件」のことです。

 この事件はフィリピンのニノイ・アキノ空港を離陸し、日本の成田空港へ向かったフィリピン航空434便の機内で、事前に仕掛けられた爆弾が沖縄県内上空で爆発し、日本人1人が死亡し、10人が負傷した事件です。

 確かに日本に向かった飛行機ですから、乗客は日本人が多いのは間違いありません。しかし、犯人の目的は別のテロ攻撃「ボジンカ計画」の準備のためであり、日本人を狙う目的があったとは考えられません。

 犯人はテロ計画で使う爆弾が空港の保安チェックを通過できるかを確認したかったのです。翌年に犯人のアジトがフィリピン警察に急襲され、計画の全容が明らかになりました。

 ボジンカ計画は、7ヶ国の空港からアメリカへ向かうアメリカ航空会社の飛行機を爆破するというものでした。出発地の空港にはニノイ・アキノ空港や成田空港が含まれていました。

 犯人に日本人を選んで攻撃する意図はなく、ボジンカ計画とは別の航空路でテストがしたかったのです。

 これと比較して、ダッカ事件では、目撃者の証言から、犯人が外国人を選別した上で殺害した可能性が高く、日本人であることも理解していた蓋然性も高いといえます。

 ダッカ事件とフィリピン航空機爆破事件とは、事件の性質が明白に違います。もちろん、犯人グループが安倍政権が集団的自衛権の行使容認と平和安保法制の制定を行ったことを知っていたかは不明であり、確定的とは言い難い部分はあります。しかし、イスラム国は安倍政権下で行われた中東へのテロ対策支援を理由に、日本が攻撃対象になったと機関誌「ダビク」の中で公言しています。

 ダッカ事件の犯人グループは、イスラム国そのものではなく、シンバのグループと言えそうですが、彼らが機関誌を熟読し、日本を敵視していた可能性は、安全保障の観点から当然考慮しなければなりません。

 その後の捜査で、犯人グループが外国と連絡を取り合っていたことが明らかになっており、相手がイスラム国であった可能性が今後立証されるかも知れません。そうなれば、日本人を敵として公言しているイスラム国によるテロ攻撃だったことが明白になるのです。

 


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