南スーダン内紛は副大統領暗殺が目的か

2016.7.14


 sudantribune.comによれば、レイク・マシャル第一副大統領(First Vice President Riek Machar)の住居は、彼のSPLA-IOとサルバ・キール大統領(President Salva Kiir)のSPLAとの4日間の戦闘で破壊されたと、彼の当局者が認めました。

 即席の住宅街にあるマシャルのプレハブ住宅は首都ジュバ(Juba)の南約5kmにあります。

 「それは本当です。キール大統領の軍隊はジュベル(Jebel)のマシャル博士の家を武装ヘリコプターで爆撃しました。恐らく、彼らは彼が中にいたと思っていました。狙いは明らかに彼を傷つけることでした」とマシャルの報道官、ジェームズ・ギャトデット・ダク(James Gatdet Dak)はいいました。

 しかしダクは、マシャルはキール大統領の軍隊が朝、彼らの基地を攻撃した日、日曜日に武装ヘリコプターが彼の家を攻撃した時、すでに住居の外にいたと言いました。

 彼らはキール大統領の軍隊が大統領宮殿(J1)を、結果的にマシャルを十字砲火で傷つける意図をもって、金曜日に戦闘を始め、そして起きたことの認識を否定したと強く疑うと言いました。

 「私はJ1での戦闘が事前に計画されたと強く信じ、疑います。現時点で特定の人物を直接指すことはできませんが、キール大統領は計画を知っていたか、彼の高官が計画を立てたと考えます」と彼は言いました。

 ダク報道官はさらに、計画はマシャルが宮殿から逃げ出すことを期待して、マシャルのボディガードを宮殿の外で攻撃し、それから宮殿の外で十字砲火に捉えることになっていたと疑うと語りました。

 しかし、マシャルは宮殿の外には移動せず、彼のボディガードは彼と共に宮殿内にいて、キール大統領の近くでもあり、誰かが宮殿の中でキール大統領の側から2人の指導者を安全のまま発砲を始めるのは不可能だったと言い、マシャルの軍隊がジュベルの住居へ彼を護衛するために来るまでに、と付け加えました。

 反対勢力の報道官はキール大統領が彼の軍隊を統制していなかったこと、日曜日に再び彼の軍隊がマシャルの住居と軍基地を武装ヘリコプターと戦車を使って攻撃した時、彼らの行動を否定しながらも賞賛したことが証拠だと付け加えました。

 彼はマシャルの住居がキール大統領の軍隊に狙われるのは2度目だと言いました。

 2013年12月、ジュバの中心部にあったマシャルの家は戦車からの重砲撃が放たれた時に破壊されましたが、彼はかろうじて逃げました。

 ダク報道官は、彼が日曜日にフェイスブックに大統領宮殿での暴力を煽ったメッセージを投稿したという、彼に対する非難を否定しました。

 「これはゴミです。私はメッセージは投稿しましたが、それは宮殿で戦いがすでに起きた後で、前ではありません。私は起こったことに反応しただけで、マシャルのボディガードへの攻撃の背後にある意図を述べただけです。私を非難する者たちは嘘つきです。すでに起こったことを私がどうやって煽るのですか?。私は彼らは私が彼らの邪悪な意図を非難した事実が嫌なのだと疑います」と彼は付け加えました。

 彼はマイケル・マクエイ・ルース情報大臣(Michael Makuei Lueth)が、戦闘がマシャルのボディガードによって宮殿で開始されたとの説明を否定しました。

 ダク報道官は、少人数のマシャルのボディガードが、自分たちの指導者が宮殿の中にいて、相手が多数であるのを知っているのに戦いを始めるのは無意味だと言いました。

 「大統領がオフィスに副官を招き、突然、大統領のボディガードが、宮殿の付近に現れた数百の対軍に支援され、副官のボディガードに発砲を始めたのを想像してみてください。これは副大統領を傷つける意図ではありませんか?」と彼は尋ねました。

 彼はキール大統領のグループが戦争とマシャルを傷つける計画を立て、1週間前の土曜日にSPLA-IOの将校、ジョージ・アレックス・ジスマラ中佐(Lt. Col. George Alex Gismala)を殺害し、木曜日にグデレ通り(Gudele)でマシャルの兵士を銃撃し、金曜日にマシャルのボディガードを宮殿で攻撃し、日曜日にマシャルの住居と軍基地を攻撃することではじめたとの疑いを主張しました。

 ダク報道官は、しかしながら、和平合意を崩壊から救うために、宣言済みの停戦の尊重と、ジュバとその他の主要都市の安全保障体制の再評価し、操作可能にする必要があると言いました。


 最初にJICA職員が無事に脱出したとの告知があったことを確認しておきます。自衛隊機ではなくチャーター機が使われたとのことです。派遣した自衛隊機は何のためかは現段階では不明です。(告知はこちら

 前回の記事で、1,200人のSPLA-IOと数千人のSPLAが戦い、死者が千人出たとのことから、一部の急進派が起こした程度の話ではないと書きました。

  キール大統領の陰謀とのダク報道官による説明は納得できる内容です。そうと断定はできないものの、事実であってもおかしくないと考えます。

 マシャルはキール大統領に呼び出され、そこで銃撃を受けました。

 一部の者が起こした騒乱なら、マシャルの家を破壊する必要はありません。事件を起こした報復としてもやり過ぎです。

 こういう場合、劣勢の方があえて攻撃に出る可能性は少なく、マシャルの方から仕掛けた可能性は低いと考えられます。

 キール大統領の停戦がマシャル副大統領よりも発効が遅かったのも、攻撃を徹底するためと思えます。

 互いに信用できないのに、和平合意だけは守る気があるのは、国際社会への支援の期待があるからでしょう。しかし、こんな状況で復興支援など無理です。国連の和平プロセスに問題があるように思えます。自衛隊が南スーダンに留まるのは無意味です。今回の騒乱が収まっても、またいつ再燃するか分かったものではありません。

 


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