イラク軍が西部の街、ヒートへ前進中

2016.4.5


 military.comによれば、西部の街をイスラム国から奪還する作戦を開始してから1週間後、イラク軍はヒート(Hit・kmzファイルはこちら)に入ったと、現場指揮官が月曜日に言いました。

 攻勢を主導するイラクのエリート対テロリズム部隊は、街中心部へ向けて前進しながら、ヒート北部の隣接地帯からイスラム国戦闘員を掃討していると言いました。

 イラクと同盟国当局者は、広大なアンバル州(Anbar)の中、ユーフラテス川の峡谷沿いにあるヒートは、イラクとシリアの過激派民兵をつなぐイスラム国の補給線に沿った場所にあるため戦略的に重要だと言います。

 イラク軍が激しい砲爆撃の下で前進すると、多数の民間人がヒートから逃げました。多くは幼児と高齢者の親族が伴う家族は暴力を逃れるために、IEDが散らばる砂漠を数時間かけて歩いたといいました。

 イラク軍は月曜日の朝、家族をヒートの外へ送り届け始めました。アズハ・ハデル(Azha Hadel)と3人の子供はヒート北部付近から、イラク軍のトラックに乗せられた街の郊外まで5時間歩きました。

 「私たちにはどこへいくか本当に考えがありませんでした」とハデルは言い、彼女の子供たちは長時間戸外に居たために日焼けで炎症を起こしました。「私たちはどこでもいいから行きたいのです。どこか安全な場所に」。現場にいるイラク軍対テロ部隊は、一家は近くの基地へ運ばれたと言いました。

 ハデルの背後で、空爆が命中した建物と車両が燃えた時、ヒートから黒煙が昇りました。ハデルの12歳の娘、サハ(Saha)は、耳にバンドを巻いて、遠くで爆発が響くと静かに微笑みました。

 さらに多数の民間人が夜になるまで、ゆっくりと街の外へ歩いていました。領域の掃討に数時間を費やしたイラク軍は家族らに爆発物を避けることを示すタイヤから外れないよう指導しました。岩と鉄くずの山は、路沿いのまだ爆発していない爆弾を示しました。

 ある時は、燃えるハンヴィーの骨組みが道路脇に放置されていました。車両は夜になる前にイスラム国のロケット砲で攻撃されました。対テロ部隊指揮官、アブドル・ガーニ・アル・アサディ大将(Gen. Abdul Ghani al-Asadi)によると、攻撃は日曜日の夜にイラク兵2人を殺し、4人を負傷させました。

 道路の2、3メートル先では、イスラム国戦闘員2人の死体が埋葬されずに横たわります。現場のイラク軍指揮官によれば、彼らは前進するイラク軍の車列に対して自爆攻撃を仕掛けようとして日曜日に撃たれました。

 対テロ部隊はヒート市内に20,000人を越える民間人が取り残されていると見積もります。こうした狭い地域に大勢の人がいることは、空爆ですばやく領域を掃討するのを難しくすると、アル・アサディは言いました。

 日曜日、米主導の同盟国はイスラム国戦闘員、自動車爆弾、重機関銃を狙って3回の空爆を行ったと、米国防総省は声明で言いました。

 ヒート攻勢は半年間にわたるイラク軍の一連の地域的勝利の後に来ました。最も最近のアンバル(Anbar)州都、ラマディ(Ramadi)は、2月にイラク軍と同盟国当局者により、完全に解放されたと宣言されました。同盟国当局者はイスラム国は2014年夏の後にイラクで獲得した領域の40%を失っていると見積もります。

 「ダーイシュの戦闘員はいまや行き詰まっています」と戦闘を指揮する対テロ大隊と共にいるエイサル・ハッサン大尉(captain Aysar Hassan)は、彼の部下が街中心部へ接近するときに激しい抵抗を予測すると説明しました。「ラマディで、彼ら全員は逃げだせる場所にいました。いまや彼らは脱出する道がありません」。


 イラク軍が積極的に民間人の保護を行っているのは嬉しい進展です。

 ヒートは東西に走るユーフラテス川の南岸にあり、北側とは橋一本でつながっています。多分、イラク軍は北側も占領し、南側の市街地へ攻め込むのでしょう。しかし、逃げ道がまったくないほど完全に包囲できているのかは疑問です。それにはかなりの兵力が必要でしょう。

 それでも、ラマディ戦に比べると、戦況はイラク軍にかなり有利になっています。この調子で、国境まで推し進めるようだと、イラク北部の作戦も楽になり、イラクにおけるイスラム国の存在はほとんど無になります。そうすれば、シリアの状況も変わるはずです。

 北部の作戦に比べて進展が早いのは、この方面のイスラム国の勢力は小さいのかも知れません。

 


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