モスルでイスラム国がジリジリと後退

2016.11.18


 military.comがモスル戦について、さらに報じています。作戦のテンポは落ちていますが、着実に進展しています。

 瓦礫と捻れた金属で造った即席のバリケードがモスルの東部戦線に続いています。

 モスルを奪還する作戦が2カ月目に入り、イラク軍は長引く、厳しい市街戦に備えています。彼らは作戦のテンポを緩め、一度に数百メートルだけ前進します。イラク軍は市内の5,000人と見積もられるイスラム国戦闘員の何倍もの兵士を集めました。

 しかし、何十万人もの民間人はいまだに街の中に残ります。

 モスルでのイスラム国の反撃と防御の残忍さと大きさは、イラク軍がこれまでに民兵グループに対する戦いで直面したものと似ていません。その結果、圧倒的な軍隊は素早い勝利をもたらせず、作戦は数週間続きそうです。

 イラク軍はモスル東部で最も遠くへ進み、最も強烈な抵抗に直面しました。

 イラク特殊部隊は彼らがモスル最東端の4つの重要な包囲地帯、ザーラ(Zahra)、カジシヤ(Qadisiya)、ターリア(Tahrir)、ゴジャリ(Gogjali)を支配したといいます。領域は街の総区域の10分の1未満です。

 そうした地域の中で、街の中心へ前進し続けるとき、イラク軍は現在、数千人の民間人に囲まれています。民間人の存在はすでに領域を掃討するために航空戦力を圧倒的に用いることを妨害しました。イラク人将校は民間人の中のイスラム国支援者がグループを助けることも心配しているといいます。

 イラク特殊部隊アーメド・マムリ少佐(Maj. Ahmed Mamouri)は「我々はこの地域を支配しています」とザーラ地区でいいました。「我々は戦闘員の領域を掃討しましたが、一部の民間人はまだダーイシュを支援しています」。

 マムリ少佐はこの地域にまだ住んでいるイスラム国支援者は、迫撃砲の攻撃と自爆犯のために目標を偵察する観測員として活動しているといいました。それは彼の部下に戦線の戦いに集中するだけでなく、後方を見ること、部下の陣地の中の数千人の生存者を繰り返し区別することも強います。

 モスルはまだイラク軍によって包囲されておらず、シリアのイスラム国領域との密輸ルートと補給路を持ちます。

 イラクはモスル市内に5,000人と見積もるイスラム国戦闘員と戦うために、軍から約100,000人の兵士と部族、民兵を動員しました。また、米主導の同盟国は約100人の兵士を援助のために戦線に派遣しました。同盟国は先月、主にモスル周辺で4,000回以上の空爆を開始し、イラク軍に監視と情報を提供しました。

 イスラム国が採用する個々の戦術は過去の戦闘(広範囲なトンネル網、装甲車爆弾、狙撃兵、死ぬまで戦う戦闘員の小部隊)を反映します。しかし、モスルでのイスラム国の防衛と反撃の圧倒的な規模はイラク軍を驚かせました。

 一週間で、モスルの東端で30台以上の自動車爆弾が部隊を攻撃したと、特殊部隊のムハンナド・アル・タミミ中佐(Lt. Col. Muhanad al-Tamimi)はいいました。

 同盟国は作戦が公式に発表されてから、同盟国の空爆がイスラム国のトンネル網数百メートルを破壊したと見積もります。

 ラマディ(Ramadi)とファルージャ(Fallujah)での過去のイスラム国との戦いで、イラク軍は一般市民の街全体を空にして、戦いを単純化しました。ラマディの5倍以上の規模があるモスルでは、それは選択肢ではありません。

 支援グループはまだモスルに住む者たちの大量移住は人道機関とイラク政府を圧倒すると警告します。イラク人指揮官は繰り返し、人々に家に留まり、戦いが終わるのを待つよういうことで対応しました。しかし、支援グループと政府機関は戦線の近くで隠れている数千人に近づくことができません。

 「我々は彼らにすべてを与えました」と師団長の1人、アル・タミミ中佐はいいました。彼は部下が可能なときは余分の食糧と水を民間人に与えているものの、最終的には政府が立ち入る必要があるといいます。

 黒い装甲ハンヴィーの車列が街角に座る民家人の小グループを曲がりくねって進み、群衆は少数の開いている店の外に列を作ります。

 民間人数百人も未だにイスラム国が支配する地域から毎日逃げて、戦線を列を作って通り過ぎ、織物の断片から作った白い旗を持ちます。

 街の南、北、西のイラク軍は補給路の遮断と街の掌握を強めることに苦労しています。

 街南端の入口で、イラク軍は過去数ヶ月間に、主にチグリス川の渓谷を40km以上前進しました。彼らは現在、街の南端にあるモスル空港奪還の作戦を開始する準備をしています。

 モスルの西60kmで、政府が承認したシーア派民兵の軍隊がゆっくりと歴史的にトルクメン人の街、タル・アファル(Tal Afar)を包囲するために活動しています。この場所はシリアとイスラム国の補給路上にあります。


 記事は一部を紹介しました。最後の民間人一家の体験談は省略しました。

 前の記事で4本の軸と書かれていたのは、ザーラ、カジシヤ、ターリア、ゴジャリの4地区のことだと分かりました。これらの位置は地図で確認できます。

図は右クリックで拡大できます。

 イラク軍はゴジャリからモスルに侵入し、その後北上したようです。この図で気になるのはゴジャリとその他3地区の間に味方の領域がないことです。実際には占領していて、地域を確保しているのか、まだ競合しているのかも知れません。ザーラ、カジシヤ、ターリアには、そこに接続する道路から入ったのかも知れません。できれば、東部戦線については、もっと詳しく知りたいですね。

 進展がゆっくりでも、南部、西部、北部でも状況が進展していますから、イスラム国は戦力を全方面にあてなければならず、さらに防御が困難になっているはずです。もう少しすれば、あと1〜2週間で情勢がはっきりするように思います。



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