理解しがたい陸上自衛隊の基礎訓練

2016.10.20


 まったく衝撃的な話ですが、陸上自衛隊では新入隊員に「自分の体よりも小銃を守れ」「重傷を負った隊員は見捨てろ」と教えていることが分かりました。

 最近、北海道札幌市の真駒内にある第11旅団司令部の教育隊で行われた新入隊員に対する初期訓練で「弾が飛んできたら、自分の身体よりも小銃を守れ。銃を守る体勢で動け。そうすれば、お前が倒れても他の隊員が小銃を使える」「重傷を負った隊員は見捨てて、前へ進め」と教官が繰り返し隊員に教えたとの情報を入手しました。これを理解させるために映画『プライベート・ライアン』の冒頭にある上陸作戦のシーンを鑑賞させたといいます。

 耳を疑うような話で、到底受け入れられません。自衛隊に対する信頼が裏切られたと思いました。これは第11旅団だけの話ではないはずです。新入隊員には全員に対してこういう教育が行われているのでしょう。

 隊員よりも小銃が大事だという考え方は異常です。まず一番先に思い出すのは、旧陸軍が銃の手入れが悪い兵士に「38式歩兵銃殿!申し訳ありませんでした!」と、銃に向かって謝罪をさせたことです。それと同じように、自衛隊でも小銃を偏重することが常識なのです。

 次に思い出すのは、第2次世界大戦でソ連軍が、ライフル銃が足りないために、兵士2人に1丁しか銃を与えず、銃がもらえなかった兵士は弾だけを支給され、死んだ兵士から銃をとって使ったことです。隊員が倒れたら小銃を操作する者が減り、友軍は余計に困難に陥ります。米軍では逆に「お前が死ねばお前の両翼の兵士が危険にさらされる」と相互支援を教えています。

 小銃は弾丸の発射装置に過ぎません。小銃を操作するのは隊員です。小銃は自身の意識で発砲しません。隊員が発砲しない限り、小銃は単なる金属の塊です。教官の教えを忠実に守る隊員はどうなるでしょうか。隊員は地面の窪みに身を隠す時、小銃を下にして伏せ、背中を露出することにより、背中を撃たれるでしょう。どうしても完全に姿を隠せない窪みなら、まずは自分を隠し、小銃が一部外に出るのはやむを得ないと考えるのが普通です。

 こういう不合理なことを教える背景には、実は、小銃が壊れると上官の責任になるという、自衛隊の内部事情があるように思われます。単に小銃の故障率を下げるための方便であり、そのために無用な理屈をつけて、隊員に嘘を吹き込んでいるとしか思えません。平時の任務が多い武装組織では、故障率のような数字が重視され、それによって上官たちの出世が左右されるために、こうした変な教えが生まれるのですが、これは自衛隊の戦力を低下させる愚策に過ぎません。

 重傷を負った仲間を見捨てろというのは、部隊全体を守るために少数の負傷者を犠牲にするという意味ではなく、実は自衛隊の衛生装備が著しく貧弱であることの裏返しです。米軍は衛生兵が使う衛生装備を兵士が持っており、衛生兵は兵士の荷物からそれらを取り出して使います。万一、それが使えないときは、衛生兵が持っているものを使います。装備には応急絆創膏を大きくしたような形で、銃創を丸ごと包む装備もあります。現場では手当ができないので、これで傷を覆い、雑菌が入らないようにして後送するのです。最近は、戦地に派遣される兵士全員に「戦闘救命士」の訓練を行い、衛生兵が行う程度の治療が行えるようにしています。自衛隊の衛生装備のお粗末さについては、清谷信一氏のレポートが参考になります(記事はこちら)。清谷氏がいうとおり、自衛官の人命は米軍の軍用犬以下かも知れません。アフガニスタンに派遣された軍用犬の面倒をみるために獣医が派遣されており、常に健康状態を管理しています。たとえば、犬も戦闘の恐怖でPTSDになることがあり、そういう犬は獣医の判断で帰国させられます。

 士気の面からも、これは部隊の士気を下げる効果しか生みません。味方の支援が得られず、常に自分が持つ戦力のみで対処するよう迫られると、人間は突発的な行動をするものです。第2次世界大戦中、ソ連兵の一部はドイツ軍に包囲されると、突然、自暴自棄になり、近くにいるドイツ兵に肉弾戦を仕掛け、殺されるまで戦うことがあったといいます。日本軍も南・中部太平洋の孤島での戦いでは、死ぬまで戦う玉砕戦が敢行され、多数の犠牲者を出しました。こうした異常な基礎訓練は、無謀な戦いをしたがる隊員しか養成しません。

 あるいは、この教えは隊員にショックを与えることを狙っているのかも知れません。戦闘に対処できるようにするためには、この程度のショックは必要だと考える人がいるかもしれません。これは大変な間違いです。

 旧軍では、陸軍と海軍いずれもが、こうしたショックを兵士の訓練に使っていました。海軍には精神注入棒(通称、バッター)があり、ヘマをした隊員はこれで尻を殴られました。被害者の中にはひどい内出血をして、手術が必要になった者もいます。零戦の撃墜王、坂井三郎氏は入隊初日にバッターで殴られたと、著書で上官の実名を挙げて非難しています。坂井氏は自分が生き残ったのは真剣に空中戦の訓練に取り組んだ結果であり、バッターは無意味だったと断言します。陸軍では前述の「38式歩兵銃殿」にはじまり、様々ないじめのテクニックが存在し、下士官の兵卒に対する権威づけとして使われていましたが、戦力増強には役に立ちませんでした。稲田朋美防衛大臣が過去の対談記事の中で「教育体験のような形で、若者全員に一度は自衛隊に触れてもらう制度はどうですか」「『草食系』といわれる今の男子たちも背筋がビシッとするかもしれませんね」と述べているのは、まさにこういうショック療法のことです(参考資料はこちら)。これらの「テクニック」は現代人の目から見ると、まったく不合理です。

 米軍と共同作戦を想定している自衛隊にとって、このような教育を行うことは、共同作戦を行う上で支障になるでしょう。米軍では、このような教育はしていません。米軍では基礎訓練の繰り返しが強い兵士を育てると考えています。ヘマをした兵士は呼んで、小銃のチェックから始まり、何がまずかったかを説明し、できるようになるまでやらせるのです。救護の必要がある時以外、兵士に触れることは禁じられており、粘り強く、言葉で指導するのが原則となっています。ロシア軍の特殊部隊は理解しがたい訓練を行っており、劇画『北斗の拳』の世界みたいに、強い奴だけが生き残ればよいという世界だといいます。米軍はこうした訓練法をまったく受け入れられないとしています。

 米海兵隊はしばしば「core values(基本的価値観)」という言葉を使います。自衛隊の基礎訓練はまさに米海兵隊の「core values」に反しています。米軍はそういう自衛隊との共同作戦を喜ばないでしょう。上官が禁じている考え方、行動を公然と認める自衛隊と共同作戦をすれば、それこそ、上官の部下に対する示しがつかないからです。

 今年2月、大統領候補のドナルド・トランプが「(テロリストの)拷問は機能する」と発言した際、統合参謀本部議長ジョセフ・ダンフォード海兵大将は議会において、トランプの発言を批判しました(記事はこちら)。「この制服を代表するために私に誇りを持たせることの一つは、我々がアメリカ人の価値観を代表することです」「我々の若い男女が戦争に行く時、彼らは我々の価値観と共に行きます」「我々が例外を見いだす時、米兵が捕虜を虐待する時、いかに我々がこうした例外に厳しく対処するかを見られます。我々はアメリカ人の価値観と共に戦争に行ったことで決して謝罪してはなりません。これは我々が歴史的に行ってきたことで、将来にも行うと予測することです。繰り返しますが、これがこの制服を着ることで、私に誇りを持たせることなのです」。

 デビッド・ペトラエス大将が共同執筆した対武装勢力に関する陸軍・海兵隊フィールドマニュアルFM 3-24は「倫理」の節で次のように書いています。「米国憲法第VI条と陸軍の価値観である兵士の信条、海兵隊の基本的価値観はすべて武力紛争法の遵守を必要とします。それらは陸軍兵士と海兵隊員を士気と倫理的な行いにおいて最高の基準に保ちます」「拘留下や国防総省の支配下にある者は誰も、国籍や物理的な所在地に関係なく、米国法に従い、定義されるとおり、拷問や残酷で、非人間的、侮辱的な扱いや処罰を受けてはなりません」。

 米軍は拷問だけでなく、兵士が規律に反した行動をした場合も、兵士が価値観に反した行動をしたと解釈します。しかし、自衛隊では「価値観」そのものが崩壊していて、隊員よりも小銃が大事だと主張するのです。「その考え方(価値観)に誇りはあるのか」「こんな奴らと一緒にやれるか」と米軍が考えても無理からぬところです。

 こういう価値観を持つ米軍と自衛隊が共同で活動するのは極めて困難だといえるでしょう。自衛官は自分を守るより先に小銃を守って死んでしまうのです。あてにしていた戦力が、気がついたらいなくなっており、後には小銃しか残っていないのです。

 さらに『プライベート・ライアン』を教材として使っていることは、まったく理解できません。この作品は私が『ウォームービー・ガイド 映画で学ぶ戦争と平和』(海鳴社)で大きく取り上げていて、作品分析をやったことがあります。

 この映画の原題は『Saving Private Ryan』です。日本語にすれば『ライアン一等兵の救出』です。4人兄弟の3人が戦死し、残る1名はノルマンディ上陸作戦でパラシュート降下済みとの状況下で、兄弟の全員戦死を防ぐためにレンジャー部隊がライアンの捜索に出発するという物語です。たった1人を助けるために多数が犠牲になるという話なのです。これは自衛隊が教えている「重傷者は見捨てろ」というルールと正反対です。物語は実話ではないもののモデルになった話があります。救出隊は出ませんでしたが、従軍聖職者が当人を見つけて帰国させました。作品のテーマと自衛隊の教えの食い違いは皮肉を通り越して、笑い話としかいえません。

 『プライベート・ライアン』は当時の兵士が語った戦場の現実をできるだけ忠実に再現しようとしていますが、だからといって、隊員教育のための映像としては必ずしも適切ではありません。史実を尊重しつつも、脚色されている部分も少なくありません。たとえば、米兵が攻撃を受け始めたのは上陸用舟艇の前部ランプが開いた後ですが、実際には海岸に向かっている間、敵射程下に入った段階で攻撃を受けていました。歩兵の攻撃でトーチカが陥落し、進撃ルートが開けたようにも描かれていますが、実際には、艦船からもう一度砲撃してもらわないと前進できませんでした。このように、劇映画では史実と異なる部分がどうしても生じるのです。従って、その映画を基礎訓練で用いることは、隊員に軍事知識上の誤解を招く恐れがあります。これは、実は、自衛隊の教育体制が不十分であることを示しています。本来なら、自衛隊が制作した教材用映像を使うべきなのです。

 法律面も考えてみましょう。小銃を人命より優先することは、隊員の基本的人権を無視していることに他なりません。自衛官は日本国民ですから、憲法で保障される基本的人権が保障されなければなりません。装備品の小銃を守ることを優先するよう命じられるべきではありません。基礎訓練で教えられたことは、隊員である間、ずっと生きていることを考えると、「自分と仲間を守るために小銃は丁寧に扱え」と教えるべきなのです。

 また、南スーダンへの派遣のように、海外任務が増えているのですから、このような奇妙な教えは国際法上の問題も起こします。まず、捕虜の取扱いに影響します。小銃を捨てて降伏した敵兵を自衛官は軽蔑するでしょう。味方を見捨てずに戦い、結果として捕虜になった敵兵も軽蔑するでしょう。軽蔑する相手は当然、丁寧に扱う必要はなく、暴力を振るっても構わないと考えるでしょう。捕虜の取扱いを定めたジュネーブ条約は無視されて、自衛隊の支配下では捕虜虐待がはびこり、前大戦に引き続いて、戦争犯罪人を多数出すことになりかねません。

 こうした問題は自衛官の家族にも不安を引き起こします。しかし、大抵の場合、家族の不満は社会がとりあわず、政治家も問題視しないことが多いのです。アメリカでは、米軍隊員の家族から軍に対して不満が噴出することは珍しくありません。そうした意見は地元の連邦議員を通じて軍に伝えられたり、軍人向けのメディアによって報じられたりして、軍の対応を促しています。その内容は色々で、処分の内容に対する不満、退役後の福利更生手続きが不適切、軍病院の医療サービスが劣悪、装備品の欠陥、交戦規定に対する不満などが中心です。

 たとえば、イラクとアフガニスタンに派遣された兵士の間から、支給される防弾ベストの性能が悪く、ピナクル・アーマー社の「ドラゴン・スキン」の方が信頼できるという声があがり、自前で防弾ベストを用意する兵士や兵士の家族が購入して戦地へ送るケースが続出しました。海兵隊は2007年に基本的には支給品を使い、私物は使わないように命令を出しましたが、支給品を使った上で私物を用いるのは認めました。

 こんな風に、アメリカでは軍に対する不満は表明して構わないというルールがあります。日本では、こうした不満が表立って語られることは少なく、自衛官の家族は不満を溜め込んでいます。また、自衛隊の秘密主義にも助けられ、「敵を利する」との理由づけによって、公表されるべきことまでが秘密にされる悪癖が横行しています。

 今回発覚した奇妙な基礎訓練は、明らかに自衛隊の教官たちの知識・教養が足りないために起きているのであり、早急に改善されなければなりません。自衛隊の戦力の根幹に関わる問題です。



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