外務省は『ブリッジ・オブ・スパイ』に学べ

2016.1.20


 映画『ブリッジ・オブ・スパイ』は冷戦中の年に起きた、ソ連人スパイと米空軍パイロットと米人学生との捕虜交換を描いた作品です。

 1960年5月、当時秘密兵器だったU-2偵察機がソ連上空で撃墜され、パイロットのゲーリー・パワーズが捕虜になります。米政府はアメリカで逮捕され、有罪判決を受けたソ連軍大佐、ルドルフ・アベル(本名はウィリアム・フィッシャー)とパワーズを交換しようと考え、弁護士、ジェームズ・ドノバンに非公式に交渉を依頼します。交渉の中で、ドノバンは東ドイツに留学中の学生、フレデリック・プライヤーが拘束されたことを知り、パワーズと共にアベルと交換しようと考えます。怪しげな交渉相手、プライヤーは見捨てて、パワーズだけを釈放させたい米政府を向こうに回して、ドノバンは2人の釈放に心血を注ぎます。

 安倍政権と日本外務省はこの作品に学ぶべきでしょう。シリアで拘束された日本人、後藤健二、湯川遥菜両名を見殺しにし、遺体の回収さえしようとしない恥知らず連中は、ドノバン弁護士の爪の垢でも煎じて飲むべきです。

 救出活動の不合理さはすでに何度も書きました。2人が殺害されるという最悪な結末を迎えた後、政府は対応に問題はなかったとの見解を繰り返し、その後に作成された検証報告書は「有識者からは、結果としてお二人の命を救うことはできなかったものの、今回の事件は救出が極めて困難なケースであり、その中で政府による判断や措置に人質の救出の可能性を損ねるような誤りがあったとは言えないとの全般的評価が示された。」 とお手盛りの結論を示しました。

 救出活動の問題点はすでに何度も書いたので繰り返しませんが、下手な活動でイスラム国に振り回されたとしか言いようがないものでした。

 映画はアメリカ人の基本的価値観に基づいた内容となっています。なぜ、ドノバンはプライヤーまで救おうとしたのか、劇中で明快な答えが示されます。アメリカ人とはアメリカに忠誠を誓った者であり、政府は当然、アメリカ人を救出しなければならないという哲学です。劇中、小学校で子供たちがアメリカ人の誓いの言葉を述べる場面があり、このことを強調しています。

 この点、日本では自己責任論が横行して、海外で窮地に陥った者に手を差し伸べようとしません。法的には親が日本人なら子どもは日本人であり、アメリカ人みたいに宣誓しなくても日本政府の保護を受けられるはずですが、実際にはそうではありません。

 映画の中でも自己責任論は登場します。プライヤーが拘束されたのは「共産主義なんか研究するからだ」と、彼の責任にする場面があります。立派な義本主義ってものがあるのに、何が悲しくて共産主義の研究なんか選んだ。そんな奴が捕まるのは当然だ、という考え方です。パワーズについては、劇中だけでなく、アメリカ国内で当時から批判が続いていました。U-2偵察機のパイロットは自殺用の青酸カリを与えられており、万一の際には機体を爆破するよう命じられていました。パワーズは両方に失敗し、尋問で機密を喋ったとみなされ、死に損ないとの評価が与えられたのです。しかし、パワーズの経歴を見ると朝鮮戦争で戦果をあげており、駆け出しならぬベテランでした。高度2万メートルを越える上空で機体の破壊や自殺に失敗したところで、批判されるいわれはありません。そもそも、自殺を政府職員に強制すること自体に問題があるというべきです。

 映画はこうした自己責任論を明確に否定し、救出の努力をすることが正しい判断だと主張しています。

 ドノバンは人権派弁護士だったのだろうと考える人がいるかも知れません。実際のドノバンはトム・ハンクスと違い、目つきは鋭いし、1943〜1945年にはCIAの前身の組織、OSS(戦略諜報局)で法律顧問を務めたこともあります。こんな人だから、他の弁護士が断ったアベルの弁護を引き受けられたのです。

 自己責任論をいう人たちは、集団的自衛権で自衛隊が海外に派遣された場合にも似たことを言う人たちです。自衛官という職業を選んだのは本人であり、海外でテロ組織に拘束されてもそれは「自己責任」だと言うことでしょう。そんなことは考えないという人たちがいるかも知れませんが、その時になって、自分の心の動きをよく観察することです。救出がうまく行かないと「なんで捕まったんだ」と思うはずです。傷痍軍人に対して冷たい言葉を投げかける人たちの話は、軍事を勉強していれば目にすることなのです。要するに、自己責任論とは弱い立場の者を叩きたい心理が生むものなのです。

 安倍政権では2度、日本人が人質になり、殺されるという事件が起きていますが、いずれも政府の対応には問題がないとされました。こういう甘い考え方で危機管理をやっていると、もっと負荷の高い危機が起きた時に必ず失敗します。

 


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