シリア軍が南部でも反政府派への攻勢を開始

2016.1.1


 alarabiya.netによれば、シリア軍とその同盟軍は木曜日、ゴラン高原(the Golan Heights)で攻勢を開始し、反政府派は政府軍が過去3年間で失ったシリア南部で領域を奪還するための大きな攻勢の一部だと言いました。

 反政府派は、攻撃が未明にイスラエル国境の近くのサマダニヤ・アル・ガリビヤ村(Samdaniya al Gharbiya)をシリア軍が攻撃した時に始まったと言いました。シリア軍は村は占領されたといいましたが、この地域の反政府派は激しい戦闘が続いていると言いました。

 住人と反政府派によれば、雨と霧に隠れ、政府軍は戦略的な街、シリアのゴラン高原にあるハムダニヤ(Hamdanieh)に前進しました。彼らはそこを2年前に失っていました。この地域の反政府グループ、アル・ウィヤット・アル・フルカン(al-Wiyat al Furqan)の公報、アブ・ヤハ(Abu Yaha)は「数メートル離れた者を見るのが難しいところで、彼らは濃い霧に隠れて2つの村に対して大規模な攻撃をやってみせました」と言いました。

 攻撃は首都ダマスカスから約70kmのデリケートな領域、クナイトラ州(Quneitra)で起こりました。ここは武装グループとシリア軍及び同盟軍との間で頻繁な戦闘が起きていました。

 シリア軍は大半を地上軍と重砲撃に依存したと、もう一つの反政府グループ、サイフ・アル・シャム(Seif al Sham)は言いました。イスラエル国境近くは空軍力を広範囲に使うことを難しくします。イスラエルはゴラン高原の一部を1967年のアラブ・イスラエル戦争でシリアから奪い、その後、併合しました。イスラエルで、シリア政府の同盟であるレバノンの民兵ヒズボラ(Hezbollah)が駐留していることについて懸念が増大しています。

 2週間前にダマスカスで殺されたヒズボラの指揮官サミル・カンター(Samir Qantar)はクナイトラ州で去年早く、もう一つの攻勢に関与しました。イスラエルはカンターの死を歓迎しましたが、彼を殺した攻撃が実行されたことを認めていません。

 ロシアが9月30日に戦いに参加してから、シリア軍はクナイトラ州で最初の攻勢を行いました。木曜日の攻撃はこれまで南部で最も激しいロシアの爆撃があったシェイク・マクシン町(Sheikh Maksin)に対する攻撃の僅か数日後に行われました。この地域のある反政府グループの指揮官は、2日間にわたりその位置に対してロシア軍が少なくとも100回の空襲を行ったといいました。空襲が政府側に有利にバランスを変えたと指揮官は言いました。

 ロシアの支援を得る前、政府軍は南部で2月に攻勢を開始しましたが、数ヶ月の攻撃の後、多くの前進をすることはできませんでした。シェイク・マクシンは最新の攻勢で主要な目的であるように見えます。町はダマスカスからヨルダン国境に近いダレア(Deraa)への主要補給路の一つ上にあります。シェイク・マクシンを占領することは、シリア軍が反政府派が支配する別の街に対して、さらに南方へ前進するのを助けます。反政府派は3年にわたり、地方の約70%を占領しました。しかし昨年、彼らは政府が支配する最後の主要な街、バース(Baath)とカーン・アーナバ(Khan Arnabah)を占領するのに失敗しました。実質上、クナイトラ州の州都であるバースは、シリア軍の攻撃に応じて木曜日に迫撃砲で砲撃されたと、反政府派2人はいいました。


 記事は一部を紹介しました。

 新年早々ですが、紛争地ではそんなことは関係ありません。シリア軍は北西部だけでなく、南部のゴラン高原でも攻勢を開始しました。

 サマダニヤ・アル・ガリビヤやシェイク・マクシンの位置は特定できておらず、クナイトラ州の中としか分かっていません。

 シリア南部では反政府派が優勢でしたが、シリア軍が反撃を開始したということです。この傾向が続くようならロシアによる支援の効果が出てきたことになります。この記事だけからは優勢の判断はできませんが、警戒しながら観察していく必要があります。

 


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