武藤貴也衆議院議員への私からの諫言

2015.8.9
修正 同日 23:10


 自民党(麻生派・滋賀4区)の武藤貴也衆議院議員が安保法案に対する反対デモを行う「SEALDs」について「利己的個人主義」だと発言したことが物議を醸しました。彼のホームページには今回の件に関する彼の意見が掲載されています(彼の発言全文はここをリンク)。

 この見解に対して彼に対して諫言を書くことにしました。この諫言は明日にでも彼の事務所に送付します。

 以下がその内容です。(ホームページをほぼ閉鎖した件は解消されたようなので削除しました)


「SEALDs」に対する武藤貴也衆議院議員の見解への反論

 

 私は正直に言って情けないのです。武藤議員は滋賀県生まれではなく、私が住む北海道の出身です。同じ北海道から、こうした意見を持った議員が出てしまったことは残念でなりません。

 文字数の制限がないホームページ上でも、武藤議員、あなたの言葉は舌足らずで、何の説明にもなっていないのです。従って、ツイッターに書いたから問題になったというあなたの見解も間違っています。

 あなたの意見を要約します。

「SEALDs」の「だって、戦争に行きたくないもん」という意見は砂川判決の最高裁判所長官の補足意見に矛盾するから間違っている。

 以上がすべてです。

 判決文の一部を、それも安保法案で与党が根拠としている判決を、補足意見部分だけを切り取って、それに照らして判断しただけで「SEALDs」の行動を総括できると考えるべきではありません。安保法制に対しては実にさまざまな意見が投げかけられていることは、あなたも知っているはずです。それらを無視して、たった一つの意見をもって大規模な集会に発展している運動を切り捨てるのでは、「SEALDs」の面々からあなたの意見が切り捨てられたとしても、文句が言えないところです。

 「だって、戦争に行きたくないもん」を「良心的兵役拒否」として捉えることは、あなたにはできないのでしょう。そもそも、あなたが良心的兵役拒否についてどう考えているかすら、あなたの見解には書かれていませんでした。そうです。あなたの見解にはあなたの戦争論が何も書かれていないのです。

 私は長年軍事問題を探求しており、その為のホームページも運営しています。そのため、2003年のアメリカ等のイラク侵攻以降、米軍で良心的兵役拒否を宣言する米兵が増え、軍事裁判が繰り返されていることも知っています。軍事法廷では良心的兵役拒否は大抵の場合認められず、脱走罪が適用されることがほとんどです。しかし、最近は刑罰が軽くなる傾向があります。

 2007年3月に判決が出たアグスティン・アグアヨ技術兵(Specialist Agustin Aguayo)の裁判では、求刑が禁固7年のところ禁固8ヶ月の判決で、拘留期間161日間を差し引くため、数週間で出所できるという軽い内容でした。他に二等兵への降格、給与の没収、懲戒除隊(Bad Conduct Discharge)も付随しますが、最高刑が死刑の脱走罪としては極めて軽い判決です。刑が軽いのは裁判官が良心的兵役拒否を認めたからだとみられています。多くの良心的兵役拒否者は約1年間の戦地派遣を経験し、2度目の派遣命令が出た時に命令を拒否する場合が多いようです。最初の派遣で体験した任務の内容が、自分の信条と相容れないために、2度目の派遣を拒否するのです。アグアヨ技術兵だけでなく日系アメリカ人のエーレン・ワタダ中尉(1st Lt. Ehren Watada)も2度目の派遣を拒否し、禁固8ヶ月等の判決を受けましたが、その後、裁判官が一事不再理による審理無効と判断し、判決は執行されずに終わりました。

 米軍でもこうした考え方が広がっており、良心的兵役拒否と脱走罪の関係については慎重な考察が必要な時代が来たと私は考えていました。そこへ、武藤議員、あなたの単純極まりない切り捨て御免の意見を見て、深くため息をつかざるを得ませんでした。「国家的判断を行う国会議員が、最新の米軍司法の実態すら知らない」のだと。この程度の知識で、どうやって国家的判断を的確に行うというのでしょうか。

 1994年のイエメン内戦、1985年のイラン・イラク戦争、2004年のTAKASUZUの事例を引き合いにしても、あなたの主張を正当化することはできません。それぞれの局面で各国が協力し合ったのは自然な成り行きによるものです。逆に、日本人が助けられる立場にいれば、日本人が外国人を助けたでしょう。外国人に助けられたから日本人も外国人を助けなければならない。集団的自衛権は当然だという考え方は、個人と国家の行動を混同しており、極めて雑な考察と言わざるを得ません。

 あなたは「正義」という言葉を簡単に持ち出します。日本人を助けたトルコ政府の行動は日本人としてお礼を言うべきものかもしれません。しかし、現在、トルコがクルド人に対して行っている弾圧は日本人の目から見ると行き過ぎており、抑制されるべきものに見えます。クルド軍はトルコだけでなく、日本の公安当局もテロ組織としていますが、映像に見る彼らの姿は正規軍と変わりがありません。彼らのツイッターには、イスラム国は捕虜を処刑するが、クルド軍は食糧を与えると書いてあります。

 ソマリア沖の海賊対策にしても、正義とはほど遠い行為が行われています。2010年5月、ロシア軍はソマリアの海賊が占拠したタンカーを急襲し、海賊1人を殺害し、10人を拘束しました。その後、国際法上の不備を理由に、ロシア軍は逮捕した海賊を釈放しました。ところがロシア当局はその後、海賊のボートは釈放されてから1時間後にレーダーから消えたと発表しました。「彼らは海岸に着かず、全員が死んだようです」と当局者は言いました。タンカーが海賊に襲われた日、ドミトリー・メドベージェフ大統領が、国際社会が彼らを訴追する法的手法を見つけるまでは、我々の祖先が海賊に遭った時にしたことをやらなければならないと述べていることから、ロシア海軍が海賊のボートを沈めたとみられています。いうまでもなく、これは不法な攻撃です。

 戦地に派遣された隊員による犯罪も後を絶ちません。2006年3月、イラクで精鋭の第101空挺師団隊員、スティーブン・デール・グリーン上等兵(Pfc. Steven Dale Green)が起こした強姦殺人は、正義の存在自体を疑問視させるような事件でした。彼は気になる少女に目をつけて、軍曹の上官を含めた同僚3人に家に押し入って強姦しようと持ちかけます。彼らは計画を実行し、グリーンらは家族をバスルームに閉じ込めて、少女を強姦し、少女の頭部に2〜3発の銃弾を撃ち込んで殺害、家族も皆殺しました。事件後、グリーンは人格障害で軍を除隊させられ、民間人となってから連邦裁判所に起訴されました。彼は無罪を主張しましたが、軍事裁判にかけられた他の被告たちが極刑を避けるために司法取引に応じて、様々な証言を行いました。グリーンは死刑を求刑され、判決は仮釈放なしの終身刑でした。

 「日本人を守るために命を落とした外国人もいます」とあなたは書きます。しかし、そうした外国人に対して安倍首相は批判をしたことがあるのを御存知でしょうか。安倍政権が発足して間もない頃、アルジェリアで武装勢力が石油施設を攻撃して、日本人が人質になるという事件が起きました。この時、アルジェリア軍が命がけで現場に突入し、まだ生きていた人質を解放しました。ところが、安倍首相は突入が始まったと知るとアルジェリア政府のセラル首相に電話をかけ、なぜ突入したのかと詰問し、軍を撤退させるよう要求したと読売新聞が報じています。外務省はアルジェリア政府が人命を優先しなかったという声明まで発表しました。しかし中東のテレビ「Numidia News」は、アルジェリア軍将校が武装勢力を交渉している映像を放映し、これとは別に死んだ日本人の人質は突入前に殺されていたことも判明しました。アルジェリア人の人質は犯人達が敵視せず、携帯電話も取り上げなかったので、彼らがこうした映像を撮影したのです。内部の様子を通報したアルジェリア人がいた可能性もあります。そうした情報収集の中で、アルジェリア軍がすでに人質の一部が殺されていることを察知したのです。アルジェリア軍は生き残っている人質を救出するために、命がけで現場に突入したのです。それを安倍首相は頭ごなしに批判してしまいました。首相がそうしたのは、イギリスのキャメロン首相からアルジェリア軍が突入しないように説得するよう電話があったからだといいます。しかし、事件後、そのイギリスもアルジェリア政府を批判しませんでした。梯子を外された日本政府は数ヶ月後に、外務省がアルジェリアの対応を称賛する声明を出して幕引きを図ろうとしました。イギリスの誤った情報を確認もせず、鵜呑みにしてアルジェリアとの関係を悪化させた責任は誰もとっておらず、このことはなかったことになっています。

 戦争をあなたより詳しく知る者として、私はあなたのように単純に「正義」という言葉を持ち出すことができません。「正義」は理念に過ぎません。そして、理念は暴力によって簡単にねじ曲げられるものなのです。軍学者のカール・フォン・クラウゼヴィッツは、戦争は暴力行為であると定義し、こうした暴力は特別な理由がない限り、極限に達すると書いています。ナポレオン時代の彼の言葉は現在でも生きています。その暴力に対する懸念を持たずに、「正義」とか「相互協力」だけで戦争を考える者を私は一切信じることができません。

 あなたの見解によれば、政治家は戦争に行かなくてもよいのだそうです。しかし、あなたも御存知のように、戦前は皇族は必ず軍務に就き、国民の見本となりました。現代でもイギリス王室は王族に軍務を義務づけています。アメリカでも徴兵制があった時代、政治家になる者が合法的な兵役回避をしていることが露見すると、その名誉に傷がつきました。第41代大統領のジョージ・W・H・ブッシュは第二次世界大戦中、最年少パイロットとして有名でしたが、第43代大統領ジョージ・W・ブッシュは兵役逃れの疑いが最後まで残りました。どちらがより高潔かは火を見るより明らかです。戦争を主張するのなら、せめて、その準備くらいはすべきです。銃砲の所持許可をとっても軍事訓練には使えませんが、射撃練習はできます。ジムや道場に通って体を鍛えることもできます。行動で示してこそ、言葉にも説得力が出るというものです。軍務がどんな物かを知ることで、あなたの考え方にも進歩が生まれるはずです。

 あなたの見解の中に、軍務ではない平和貢献の話がひとつも登場しないことも疑問です。戦地には軍隊だけがいるのではありません。国連機関をはじめ、各種NGOが活発に医療、給食などの支援を行っています。戦争による惨禍を少しでも減らすための努力はほんの百年ほどの歴史しかありません。それを継続、充実させるための活動も、立派な平和貢献です。むしろ、現代こそ、その役割はより大きくなっているといえます。SEALDsに参加する若者の中に、将来こうした活動に参加する者がいるかも知れないと、私は考えます。あなたにはSEALDsは単なる利己主義に過ぎず、決してそうは思わないのでしょうが。

 最後に、もっと戦争に関して、積極的に学習し、あらゆる分野の知識を身につけることを諫言します。率直に言って、あなた程度の知識で国家戦略を語られたら、私は不安しか感じません。

 

 


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