イラク人殺しのハッチンズが再審でも有罪判決

2015.6.20


 military.comによれば、水曜日、2006年に非武装のイラク人を殺害したローレンス・ハッチンズ軍曹(Sgt. Lawrence Hutchins)は再審裁判で有罪を宣告されました。

 海兵隊の陪審員6人はイラク戦争で生じた最も法的に政治的に複雑な軍事裁判判決を下すために3時間を少し越えました。木曜日に刑罰を決めるために再招集されると、ハッチンズは禁固4年以上に書せられる可能性があります。彼は未決拘留期間やその中間の何かを宣告される可能性もあります。

 彼の妻、レイナ(Reyna)は評決が読まれたときに泣き出しました。ハッチンズは彼女を強く抱きしめ、背中を撫でました。

 ハッチンズは共謀と窃盗でも有罪を受けましたが、2006年の事件について虚偽の報告を作ったことでは無罪とされました。軍規上、陪審員6人中4人の票があれば有罪となります。実際の投票は公表されませんでした。

 再審の弁護戦略は海兵隊員7人と海軍衛生兵1人を起訴した海軍犯罪調査部の捜査の断定が不適切で変更していることに集中しました。

 殺人はバグダッドの西、ハムダニヤ(Hamandiya)のイラク人社会で起こりました。分隊の8人全員が後に有罪となりました。

 犯罪調査部の捜査員は家に帰りたがる恐がりの子供たちに確証的な供述をするよう強制したと、ハッチンズの弁護士、クリストファー・オプリゾン(Christopher Oprison)は陪審員(将校3人、上級下士官3人)に言いました。ハッチンズは証言しませんでした。

 現在軍にはいないハッチンズの元分隊隊員7人中6人は憲法修正第5条の自己負罪拒否特権を主張し、ハッチンズに対して証言することを拒否しました。6人はハッチンズが関係する軍法会議から彼らの証言を否定する宣誓供述書に署名しました。判事はオプリゾンの異議を却下して、検察官に過去の軍事裁判の記録を陪審に読ませることを許可しました。ある元分隊隊員は再び証言し、ハッチンズが死者を見た時に他の者たちに「諸君、おめでとう。我々は殺人罪を逃れた」と言ったことを思い出しました。

 ハッチンズと他の者は、2206年4月26日、イラク人の退役警察官を彼の家から引きずり出し、彼を穴に投げ込み、彼を殺して、彼は銃撃戦で死んだと上官に報告した件で起訴されました。「これは共謀と殺人の教科書的な事件でした」と検察官、アダム・ウォークマン少佐(Maj. Adam Workman)は陪審員に言いました。

 オプリゾン弁護士は対して、犯罪調査部が裁判を急ぐ中で捜査官の新人チームを配属したと言いました。

 ハッチンズは軍曹で分隊長であり、嫌疑がかかる計画に関与した上級海兵隊員でした。

 2007年に有罪判決を受けて、彼は最も長い禁固15年となり、それは後に11年に減らされました。

 検察官は殺人は海兵隊員を死傷させるIEDを仕掛ける武装勢力を助けるのを止めさせるために村人への警告として起きたと言いました。海兵隊員は容疑をかけられた武装勢力が釈放されたことに不満を持ち、怒っていたと検察官は言いました。

 軍事裁判で元分隊隊員数人はハッチンズが男性の顔に3発を撃ったと証言しました。被告8人は支援者たちから「ペンデルトンの8人(the Pendleton 8)」と呼ばれ、誰も18ヶ月間より多く服役しませんでした。

 ハッチンズは故意ではない殺人で有罪判決を受けました。31歳のハッチンズはカンザス州、フォート・レヴェンワース基地(Fort Leavenworth)で、後に海兵隊のミラマー飛行場(Marine Corps Air Station Miramar)の営巣で6年以上服役しました。

 軍の上訴裁判所は2010年4月、彼の弁護士が裁判の直前に事件から手を引くことを許可されたこともあり、彼は公正な裁判を受けられなかったと裁定しました。2013年、上訴裁判所は彼が弁護士を要求したにも関わらず、犯罪調査部の捜査員に長時間尋問されたことを理由に公正な裁判を受けられなかったと裁定しました。

 海兵隊は再審を主張しました。

 2013年の上訴審の決定を考慮して釈放されたから、ハッチンズはペンデルトン基地(Camp Pendleton)に配属され、妻と子供3人と共にオーシャンサイド(Oceanside)に住んでいます。


 記事はほぼ全部を訳しました。

 久しぶりにローレンス・ハッチンズ軍曹の名前を聞きました。彼の事件は当サイトでも何度も取り上げてきました。多すぎて、今さらリンクは張りませんが、代わりにこの記事に書かれている事件と裁判のまとめを紹介しました。

 外国に攻め入った場合、起こりがちなのがこの事件のような虐殺事件です。武装勢力の攻撃により、兵士は付近に住む住人に疑いの目を向け、それが高じると虐殺を始めるのです。任務が何であろうと関係はありません。時には国連軍が殺された味方兵士の報復をやってしまうことすらあるのです。人間の心に根ざした問題だけに、完全に防止することは困難です。

 当サイトでは、こうした事件を意識して取り上げるようにしていますが、それは仮に自衛隊を海外に派遣した時にも同じことが起きる可能性があると考え、それを防ぐための知識を蓄えるためです。他人の行為を見て、自分の行為を直すということです。これが自衛隊を考える時に何事も慎重にすべきな理由です。

 また、法律上の問題をどうするのかということについて、日本には何の専門的経験の蓄積がないのも問題です。ハッチンズの事件と同様の事件が海外に派遣された自衛隊で起きた時にどうするのかは、ほとんど何も決まっていないといえます。誰が事件の捜査を行い、証拠を集め、起訴するのか。現地に警察官が行って捜査することは想定されていません。何も準備がなければ、事件が起きた時、現地指揮官は事件をもみ消し、面倒な事後の手続きを省こうとするかも知れません。ここがいい加減だと、自衛隊の隊規が乱れ、法治主義は消滅してしまうでしょう。

 ハッチンズ事件は他人事ではないのです。

 


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