第1次世界大戦の英雄に名誉勲章が決定

2015.5.15


 usatoday.comによれば、第1次世界大戦中の英雄的行為から約100年後に、2人の兵士が名誉勲章を授与されるとホワイトハウスは木曜日に発表しました。

 ウィリアム・シーメン軍曹(Sgt. William Shemin)とヘンリー・ジョンソン2等兵(Pvt. Henry Johnson)は6月2日にオバマ大統領から武勲の最高勲章を授与されます。

 シーメンは1917年10月2日に陸軍に入隊し欧州派遣米軍第4師団第47歩兵連隊第2大隊G中隊の隊員でした。彼は1918年8月7〜9日のフランス、バゾッシュ(Bazoches)のベルセ川(Vesle River)付近での行動が認められることになっています。

 ホワイトハウスの情報によると、その日、シーメンは負傷兵を救出するために小隊の塹壕を出て開墾地を横切り、繰り替えし重機関銃とライフル銃の銃火に身をさらしました。将校と上級下士官が犠牲になった後、シーメンは小隊の指揮を執り、8月9日に彼が負傷するまで強力な指揮力を発揮しました。負傷のために、彼は名誉負傷章(the Purple Heart)を与えられました。陸軍のウェブサイトによると、彼は後に2番目に高位の殊勲十字章(the Distinguished Service Cross)を与えられました。シーメンは1919年8月に名誉除隊し、シラキュース大学でニューヨーク州大学(林学)に学位を得るために通学しました。彼はブロンクスで温室と造園の仕事を始め、そこで3人の子供を育てました。彼は1973年に死亡しました。彼の娘エリス・シーメン・ロス(Elsie Shemin-Roth)が名誉勲章を受けます。

 ジョンソンは1917年6月5日に陸軍に入隊しました。彼は全員が黒人の州軍部隊、後に第369歩兵連隊となる第15ニューヨーク歩兵連隊C中隊に配属されました。部隊は1918年に戦闘命令を受け、ジョンソンと彼の部隊は最前線でフランス陸軍の植民地部隊に編入されました。ジョンソンは1918年5月15日のフランス、サント・ムヌー(Saint Menehoul)北西にあるトローブ・エーヌ川(Tourbe and Aisne Rivers)付近の行動により名誉勲章を受勲します。ホワイトハウスの情報によると、ジョンソンと同僚の兵士たちは少なくとも12人のドイツ急襲隊が攻撃した時、夜の歩哨任務に就いていました。敵の激しい攻撃の中、重傷を負ったにも関わらず、ジョンソンは果敢に報復を開始し、数人の敵を倒しました。同僚が重傷を負うと、ジョンソンは彼がドイツ軍の捕虜になるのを防ぎました。ジョンソンは敵兵と白兵戦を行うために前進し、大きな危険に身をさらしました。彼は敵が後退するまで敵を食い止めました。武勲により、ジョンソンはフランスの最高位の勲章「Croix de Guerre avec Palme」を受勲する最初のアメリカ人になりました。帰国した時、彼は戦闘の負傷のひどさのため、戦前の仕事、オールバニー(Albany)のユニオン駅(Union)でのポーターの仕事に戻れませんでした。彼は1929年に死亡し、アーリントン国立墓地に埋葬されています。1996年に名誉負傷章、2002年に殊勲十字章を与えられました。

 militarytimes.comにさらに興味深いことが書かれています。いくつか抜き書きします。

 シーメンがこの戦闘を行ったのは19歳の時で、小隊幹部が全員死傷し、彼自身も頭部に銃弾を受けていました。彼が名誉勲章を受けられなかったのは軍隊内部でユダヤ人差別が激しかったからでした。彼の娘、エリスが10年以上、父親の受勲のために活動しました。ドイツ軍の弾丸はシーメンのヘルメットを貫通し、左耳の後ろに当たりました。シーメンは3ヶ月間入院しました。傷は彼の耳を半分聞こえなくしました。傷は彼をかろうじて歩けるだけにしました。2000年代初期に、エリスは第2次世界大戦中に勲章を却下されたかも知れないユダヤ人のチェックを規定した法律について知りました。同じ仕組みが第1次世界大戦の退役軍人についてないことに、彼女は愕然としました。彼女は父の軍歴に関する情報を収集し、上院議員、退役軍人らの援助を受けました。


 記事は一部を紹介しました。

 戦争による犠牲と勲章に関係する事柄がよく分かる出来事と思います。

 勲章を受けたところで2人とも回復しがたい怪我を負っています。いかに地上戦による惨劇がひどいかということです。

 そして、戦争の影響がいかに長く尾をひくかという問題も露わになっています。100年前の行為に関して、今でも政治を動かすだけの力が戦争には内在されているのです。勲章だけではなく、兵士への補償もこれくらい長期にわたることは既知の問題です。兵士が死んでもその家族に対する補償は続きます。そのため、誰もが思っているよりも長く、退役軍人への補償は続くのです。エリスも名誉欲から勲章を求めたのではなく、そう考えざるを得ないものが心の中にあったのです。それくらい戦争は重たいものなのです。最近、日本ではごく軽い気持ちで戦争をやりやすくするための動きが加速しています。しかし、戦争に関する様々な問題を眺めてきた者として、この動きはあまりにも本物の戦争とかけ離れているとしか思えません。誰もが「大したことにはならないだろう」という気持ちで賛成しているように見えます。


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