イスラム国がサダム・フセインの墓を破壊

2015.3.17


 alarabiya.netによれば、イスラム国は日曜日にティクリート(Tikrit)にあるサダム・フセインの墓を破壊しました。

 ティクリートの南にあるオウジャ村(Ouja)で撮影された写真はかつては豪奢だった墓の屋根を支えた円柱だけを示しました。

 イラク軍と民兵が38時間以内にティクリートの中心部に到達すると宣言し、戦闘が街の北部と南部で激化しました。

 「サダムの墓がここにあるため、ここれはイスラム国民兵が最もアツまた場所の一つです」とシーア派民兵の国民動員部隊(the Popular Mobilization Forces)のヤセル・ヌーマ大尉(Captain Yasser Nu'ma)は言いました。「イスラム国民兵は周辺に爆弾を設置して、我々を待ち伏せしました」。

 イスラム国は8月に、サダムの墓を完全に破壊したと主張しましたが、地元当局者は略奪され、燃やされたものの僅かな損害に留まったと言いました。

 サダムの遺体は2007年に生誕地のオウジャ村にある霊廟に置かれていました。施設は遺体が埋葬された場所を覆う生花の花壇が中心にある大理石の八角形が特徴です。

 イラクのメディアは昨年、戦いの邪魔になるため、サダムの遺体は支持者によって移動させられたと報じました。遺体の場所は不明です。

 アムネスティ・インターナショナルは昨年、民兵は軍服を着ていても、法的な枠組みの外で公的な監視成しに活動し、犯罪を起訴されないと言いました。今月初め、人権団体「Human Rights Watch」は、こうした懸念を繰り返し、イラク政府にティクリートの民間人を守り、戦闘地域を逃れられるようにするよう要請しました。その声明は、政府派民兵と治安部隊によるスンニ派民間人に対する多数の残虐行為を指摘しました。

 シーア派民兵はイスラム国から奪ったスンニ派の街を完全に破壊し、住民が戻ることを不可能にしたと訴えられています。

 alarabiya.netによれば、サラディン州でシーア派民兵の国民動員部隊の隊員が男性を打ち据える映像がインターネットに投稿されました。

 alarabiya.netによれば、イスラム国がモスル(Mosul)で破壊した紀元前7世紀の像は多くが複製でした。

 「それらは複製品でした。オリジナルはここにあります」と、バグダッドの博物館長は言いました。

 2月中旬に公表されたビデオ映像で、イスラム国民兵は像を倒し、残骸を傷つけるために削岩機を使うのが見られました。

 イラクの文化遺産の権威である遺跡局の局長、ファウジー・アル・マフディー(Fawzye al-Mahdi)は、ビデオの中で破壊された芸術品が石膏で作られた現代の複製品であることも認めました。「ビデオの中で破壊された芸術品はオリジナルではありません」。

 しかし、モスルの追放された知事、アシール・ヌアフィ(Atheel Nuafi)は、破壊された物の多くはオリジナルではないものの、イスラム国が暴れた後で本物が破壊されたと言いました。「本物で、民兵が破壊した物が二つあります」「一つは翼を持つ雄牛で、もう一つはロズハン神(Rozhan)です」。彼はイスラム国民兵が博物館を破壊する前に、少なくとも7個のアイテムを盗んだと疑います。


 記事は一部を紹介しました。

 フセインの墓はともかく、この記事に書かれているように、シーア派民兵や政府軍がスンニ派を虐待する徴候が見えます。2番目の記事ではビデオ映像が見られますが、いつもの復讐劇が展開されているようです。いい加減にしろと言いたいですが、こうした習性はすぐには変わらないでしょう。

 ティクリート攻略が38時間と宣言されたことは、戦いがかなり進んでいることを想わせます。週末も戦いは休みなしですから、概ね順調に推移していると言えます。もう少し、戦いの詳細が分かるとよいのですが、情報が見当たりません。

 博物館の像の本物が残っていると聞くと、ほっとします。イスラム国は骨折り損だったというわけです。

 


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