ホムスの旧市街から反政府派が撤退へ

2014.5.8


 BBCによると、シリアのホムスから数百人の反政府派が撤退しました。

 二つのバスの車列が旧市街を去り、戦闘員を北部の反政府派支配地域へ運びました。撤退は捕虜数十人を釈放させ、2ヶ所の包囲を緩めるための取引の一環です。それは中心的都市での3年にわたる抵抗の終わりを記録しました。

 ベイルートにいるポール・ウッド記者(Paul Wood)は、反政府派戦闘員と家族は、決して離れないと誓った場所に別れとを告げるとき、悲しく辛く感じたといいます。政府軍は彼らが「降伏か飢えか」と呼ぶ戦術を採用し、反政府派は最終的に崩れ落ちたと、彼は付け加えます。ある活動家は立ち去るとき、「世界中が我々を裏切った」といいました。

 水曜日朝に活動家が投稿したビデオ映像は、一部が顔を隠した戦闘員の最初のグループが緑色のバスに向かって一列出歩くのを示しました。彼らは制服を着て、防弾チョッキに警察と記された男たちによって見張られていました。バスの前には国連の表記がある白い車がありました。各戦闘員はバッグ1個、ライフル銃1丁を持ち、バス1台にRPG1基を積むことが許されました。最初の車列はまもなく、20km北の反政府派が支配するタルビサー(Talbisah)とダル・アル・カビラ(Dar al-Kabira)に到着しました。近くのタイア・マール村(Tair Maale)の活動家のはワイル(Wael)は、避難者数人を受け入れたと言いました。「私がいま私の家で休んでいる友人に尋ねると、彼は空腹で、ホムスを離れたことが苦痛だと言いました」「ホムスを去った時、彼は彼の魂が体から引き抜かれたように感じたと言いました」。

 ホムスの統治者、タラール・アル・バラジ(Talal al-Barazi)は、作戦は水曜日に終わる予定だと言いました。彼は全体で2,000人が非難すると言いました。地元活動家は最初の600人は負傷した戦闘員と民間人だと言いました。

 同じ時、北部のアレッポ州(Aleppo)の反政府派は、彼らが包囲していた大部分がアサド大統領派の町、ヌブル(Nubul)とザーラ(Zahraa)に人道支援を許可し始めました。国連が仲介し、何ヶ月もの交渉の後で合意された土地引きは、アレッポ州とラタキア州(Latakia)で反政府派が捕まえた大勢の人質の釈放も実現しました。ある報告は、ロシア人1人、イラン人数人がその中にいると言いました。

 特派員はホムス旧市街の武装グループは、停戦を受け入れるかどうかで大きく対立したと言います。アルカイダ傘下のアル・ヌスラ戦線(The al-Nusra Front)は、連続した自爆攻撃で包囲を破ろうとしましたが、失敗しました。

 ホムスのもうひとつの地区、アル・ワイア(al-Wair)は依然として持ちこたえています。そこには200,000人の別の地域の難民が住んでいると考えられています。しかし、合意が成立すれば、そこの戦闘員も立ち去ると特派員は言います。


 記事は一部を紹介しました。

 政府軍同士の戦いだと、拠点となる街が陥落することは非常に危機的な状況です。しかし、政府軍も決め手を持たないような内戦では、これが反政府派にとって致命的かどうかは、分からなくなってきました。

 以前なら、これは非常に危機的状況だと考えたでしょうが、政府軍も組織的な反攻ができないことが分かってくると、ホムス撤退の意味は、さらに様子を見ないと分からないと思えてくるのです。

 政府軍も包囲で反政府派を全滅させられる自信があるのなら、取引はしません。取引は政府軍の弱さも示しています。いつまで、この無意味な戦いが続くのかは分かりません。先日、投稿があったように、反政府派はアメリカ製のTOWミサイルを手に入れているようです(記事はこちら)。外国による支援もいつの間にか変化しています。しかし僅かな断片的な情報からは、全体像を見通すことはできません。


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