42人死亡も、衝突は比較的小規模

2014.5.4


 BBCによれば、オデッサ(Odessa)の親ロシア支持者は42人が殺された翌日に怒りの声をあげました。

 金曜日の衝突は、最大の死者を出した労働組合会館での大火を引き起こしました。土曜日に、数百人の人たちがそこに集まりました。ウクライナ政府が東部で建物を占領したと言った時に、抗議が起こりました。先に東部で親ロシア活動家によって拘束されていた国際監視団7人は釈放されました。

 ジョン・ケリー国務長官(John Kerry)とセルゲイ・ラブロフ外務大臣(Sergei Lavrov)は再び電話で危機について話し合いました。ラブロフ大臣はケリー長官に軍事作戦を止めるようウクライナ政府に圧力を加えるように要請しました。彼はそれを国を同胞相争う紛争に突入させると言いました。ケリー長官はロシア政府は親ロシア分離主義者を支持するのを止めなければならないと言いました。両者は欧州安全保障協力機構(OSCE)がさらに関与を深める可能性についても検討しました。

 オデッサでの暴力は、追放されたビクトル・ヤヌコビッチ大統領(President Viktor Yanukovych)に対する抗議の中で80人以上が殺された2月以来、最も深刻でした。一部が武装した親ロシアグループは、より大きな反分離主義者によって攻撃されたと報告されます。二つのグループの衝突は南西部の街数カ所で始まりました。親ロシア抗議者たちは、露営地が焼き尽くされた後で、労働組合会館に避難したといわれています。公式の数字によれば、火焔瓶が投げられて、少なくとも36人の死を引き起こしました。群衆が集まったため、土曜日に黒ずみ、窓が割れた労働組合会館は警察官によって囲まれました。一部の者は花を捧げました。親ロシアのスローガンを叫ぶ者もいました。対立するグループのもみ合いは分離させられ、ウクライナ国旗は燃やされるか、片付けられました。

 土曜日早朝、ウクライナ政府は東部で分離主義者に対する軍事活動を再開し、一部の地域で戦闘が報告されました。

 スラビャンスクの南のクラマトルスク(Kramatorsk)では、ウクライナ軍は治安組織の本部を親ロシア分離主義者から奪還しました。しかし、ルハンシク(Luhansk)では、親ロシアのガンマンが内務省の連隊の建物を襲撃しました。金曜の夜、スラビャンスクから西へ6kmのアンドリフカ(Andreevka)で重大な戦いも報告され、ウクライナ兵2人が殺され、分離主義者10人が殺されました。

 国際軍事監視団7人とOSCEに関連していたウクライナ軍将校5人が釈放されました。スラビャンスクの分離主義者は、監視団を無条件で釈放したと言います。自称スラビャンスク市長のビアチェスラフ・ポノマリョフ(Vyacheslav Ponomaryov)は「彼らに約束したとおり、昨日、我々は私の誕生日を祝い、彼らは去りました。私が言った通り、彼らは私の客でした」と言いました。ロシアは釈放を協議するために特使を派遣しました。ウラジミール・ルーキン(Vladimir Lukin)は分離主義者による自発的な行為がウクライナ政府によって返されることを希望すると言い、「私は終わらせるための軍事行動をとても好みます」と付け加えました。

 監視団の一人、ドイツのアクセル・シュナイダー大佐(Col Axel Schneider)は、監視団が悲惨な状況の中でできる限り良好に扱われたと言いました。監視団(ドイツ人4人、デンマーク人1人、ポーランド人1人、チェコ人1人)はOSCEの監視任務の一部ではなく、ロシア、ウクライナ、アメリカの長い交渉の後で合意されたものでした。


 記事は一部を紹介しました。

 言うまでもなく、一度の事件で40人以上が死んだら、それは大事件です。しかし、それが国を転覆させるような事件かというと、そうではありません。まだ、各地で衝突が続いているものの、それ以上には広がりそうにありません。そして、ロシアはアメリカと話し合いを求めています。侵攻する気なら、話などせず、行動あるのみですが、そういう態度はみられません。これは軍事侵攻はないという徴候でもあります。

 ウクライナ政府を支持する 統一主義者の活動が活発化し、オデッサでの事件を生みました。当初は親ロシア派の動きが目立ちましたが、東部はウクライナ人が多く、ロシア系住民は3割以下です。そろそろ、業を煮やした人たちが親ロシア活動家に対して、攻撃的に出る時期です。ウクライナ政府はこれを抑制し、軍事監視団の釈放に対して謝意を示すべきです。分離主義者の拠点を掃討したあとは、くすぶる不満を適当にガス抜きし、これ以上の悲劇を繰り返さないような工夫も必要でしょう。可能なら、ロシアに現在のウクライナ領域を認めるような合意文の署名もさせたいところです。


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