日本の従軍慰安婦論が海外に通じない理由

2014.3.4


 BBCが日本政府が村山談話を見直す件について報じました。

 記事の中身は、国内報道と大差はありませんが、注意すべき点を説明します。

 記事中で「従軍慰安婦」は「comfort women」と訳されています。これは従軍慰安婦の一般的な訳語です。

 「従軍」の部分が訳出されていない点に注目しなければなりません。英語では「従軍慰安婦」「従軍看護婦」「従軍記者」「従軍画家」のような言葉は見かけません。単語を組み合わせて作ることはできても、一般的には見ないのです

 日本語の「従軍」の定義も曖昧で、辞書によって異なる定義が書かれています。「従軍看護婦」は、軍の所属ではなく、日本赤十字社に所属しており、通常は、戦線の後方にいます。しかし、軍人が戦地に派遣された場合も、「○○戦線に従軍した」という具合に書きます。つまり、軍人、軍属、その他の民間人が、戦地の近くで、軍に関連した業務につく場合は、すべて「従軍」なのです。

 英語だと、新聞記者が部隊に附属して戦地で取材した場合、「an embedded journalist」のように表記されます。「an embedded comfort woman」という表記は見たことがありません。英語からの翻訳で「従軍」という日本語が登場しても、原文にはそれに相当する部分がない場合もあるのです。

 だから、かつて日本の保守派が主張した「従軍看護婦はいたが、従軍看護婦なんかいなかった」という見解は、日本語の中でだけ成立する理屈であり、言葉の遊びでしかありませんでした。英語では「従軍」が訳出されていないから、海外で理解を得るのも困難です。

 さらに、従軍慰安婦だった韓国人女性が名乗り出たため、この主張は崩壊しました。当時、外地にいた日本人は普通に慰安所が存在したことを知っています。中国戦線を舞台にした岡本喜八監督の映画『独立愚連隊』(1959年)には、普通に慰安所や慰安婦(日本人)が登場します。

 保守派の主張は、慰安婦は自由意志で慰安婦になり、高額の給料をもらって幸せになったのであり、日本は何ら迷惑をかけていないというものです。しかし、当時の人身売買が悲惨なものだったことは、我々日本人がよく知る童謡『赤とんぼ』(作詞 三木露風 作曲 山田耕筰)が表現しています。

十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた

 姉は本当に嫁に行ったのではなく、口減らしのために人身売買で売られたとするのが、一般的な解釈です。健勝なら、手紙が絶えるはずはありません。このように、身売りは日本人であっても悲しい出来事と解されていました。それが韓国人の従軍慰安婦となると、全員がたんまりとお金をもらって、全員が幸せになったという筋書きが語られています。日本人は自国民の人身売買には不親切なのに、韓国人の人身売買では、この上なく親切だったわけです。こんな話は到底信じられません。

 アメリカで日本の従軍慰安婦に関する主張が理解されないのは、従軍慰安婦が性の奴隷「sex slave」とも表現されることにも関連します。上の記事にも、やはり「sex slave」という言葉が使われています。来月公開される『それでも夜は明ける』は、アメリカの奴隷制度を描いた、実話を基にした映画ですが、劇中で女性の奴隷が白人の主人の慰みものになる場面が何度もあります。奴隷は農作業だけでなく、性の奴隷でもあったのです。奴隷制度の映画は常に評価されるジャンルで、それはアメリカ人の意識の反映です。この作品はアカデミー賞を三部門で受賞しましたが、助演女優賞をもらったルピタ・ニョンゴが演じたのが、前述の女性黒人です。だから、従軍慰安婦について反論すればするほど、アメリカ人、特にオピニオンリーダーは、自国の奴隷制度の問題に重ね合わせるため、反発も強くなります。安倍政権は「海外に丁寧に説明する」と言っていますが、私にはそんな方法は存在しないし、墓穴を掘るだけだとしか思えません。


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