米軍の作戦名に関するお悩みあれこれ

2014.11.26


 military.comが作戦名の命名について興味深い記事を掲載たので紹介します。

 第2次大戦中、イギリスのウィンストン・チャーチル首相(Prime Minister Winston Churchill)は軍指導者に、戦死した兵士の母親が、息子が「Bunnyhug(20世紀初頭の若者向けダンスの名)」とか「Ballyhoo(大騒ぎ)」と呼ばれる作戦で死んだと言わなくて済むように、戦いには勇敢な名前を考え出すように求めました。

 70年以上後、米国防総省はイスラム国に対する広範な空爆作戦で作戦名を選ぶ時、似た問題に直面しています。

 名付けの作業は何週間もかかり、NICKAと呼ばれる機密コンピュータシステムが関わり、バグダッドとワシントンの軍将校と相談し、2ダース分の同盟国が承認し、国防総省高官の支持を得ました。

 こうして、深夜テレビが笑い飛ばしたほど本質的に味気ない名称、不動の決意作戦は誕生しました。

 25年前まで、米軍は演習、海岸上陸、司令部、攻撃計画、その他の作戦に、第2次大戦のミャンマーの連合国の目標には「アバディーン(Aberdeen)」、第2次大戦の別の攻撃計画には「ジッパー(Zipper)」のように無作為コードを割り振りました。秘密を守り、敵を混乱させ、通信を単純化するためでした。

 国防総省は1965〜1968年までの北ベトナム爆撃を「ローリングサンダー作戦(Operation Rolling Thunder)」と呼びました。退役軍人の活動グループが、1977年の映画、毎年恒例のオートバイレース、ボブ・ディランのコンサートツアーで使われたほど人気がある名前です。

 朝鮮戦争初期の二正面の反撃、「殺人者作戦(Operation Killer)」と「切り裂き魔作戦(Operation Ripper)」は、攻撃が成功しても粗野だと広範に批判されました。1966年の南ベトナムでの米主導の攻勢、「じゃがいも潰し作戦(Operation Masher)」は「白翼作戦(Operation White Wing)」と改名されるほど、多くのあざけりを受けました。(訳註 Masherには、女たらし、痴漢の意味もあります)

 しかし、「地獄(Inferno)」「剣闘士(Gladiator)」「竜の火(Dragon Fire)」と名付けられたベトナムでの米主導の戦闘作戦すべてを別にすると、米兵は「宙返り(Flip Flop)」「けんけん遊び(Hopscotch)」「ジングルベル(Jingle Bells)」と名付けられた命がけの任務にも送られました。

 軍の作戦に命名する習慣は、第1次大戦に始まったと考えられています。ドイツは任務に、ワルキューレ(Valkyrie)と大天使(Archangel)を含めた、宗教的で神話のタイトルを名付けました。

 チャーチルはこういう実例を称賛しました。1943年、彼は大勢の男が命を失うかも知れない作戦にあまりにも自慢げで、覇気のない、軽薄な性質の名前をつけるべきではないというメモを口述しました。

 彼は指揮官たちに、ギリシャとローマの神話の英雄と人物、星座と星、有名な競走馬、英米の戦争英雄の名前を使うよう求めました。

 チャーチルは1944年6月にフランスへの連合軍侵攻に「大領主作戦(Operation Overlord)」を個人的に選びました。作戦の重要な段階、着上陸は「ネプチューン作戦(Operation Neptune)」と呼ばれていました。

 それは、ジョージH・W・ブッシュ大統領(President George H.W.Bush)が独裁者マヌエル・ノリエガ(Manuel Noriega)を追放したパナマ侵攻を命じた1989年になるまで続きました。
 国防総省は暗号名をブルー・スプーン(Blue Spoon)として、パナマの非常軍事計画を作成しました。

 1995年に専門誌に発表されたグレゴリー・C・シミンスキー中佐(Lt. Col. Gregory C. Sieminski)の「The Art of Naming Operations(pdfファイルはこちら)」によれば、当時、特殊作戦軍の指揮官だったジェームズ・リンジー大将(Gen. James Lindsay)は文句を言うために統合参謀たちを集め、「君たちは孫たちが君らにブルー・スプーン作戦に参加したかと尋ねられたいか?」と尋ねました。名前は「ジャスト・コーズ(Just Cause・大義名分の意味)」に変更され、傾向が生まれました。

 それから、アメリカの注目を浴びる戦闘作戦は議会に予算を要請し、勲章や略綬を授けるためだけでない、奮起させる名前をもらっています。それらは大衆の認識も形成することも狙っています。
 それはある種のプロパガンダとして洗練されたやり方です。

 ペルシャ湾での1991年の戦争は何でしたか?。砂漠の嵐作戦(Desert Storm)でした。ソマリアでの1993年の任務は?。希望回復作戦(Restore Hope)でした。2003年のイラク侵攻は?。イラクの自由作戦(Iraqi Freedom)でした。

 2001年のアフガニスタン侵攻は?。イスラム聖職者が神だけが無限の正義を行えるとして、不快だと言うまでは、無限の正義作戦(Infinite Justice)でした。

 当局者は、「彼らはコンピュータとアルゴリズム、その種の道具を使ったと誓った」と、国防次官補トーリー・クラーク(orie Clarke)は著書「A Survivor's Guide to Washington」で言いました。「彼らは言葉を黒板に落書きして、不朽の自由作戦になるまでダーツを投げたことは間違いありません」。

 国防総省はイスラム国に対する任務に「不動の決意(Inherent Resolve)」と名付けるまで2ヶ月以上費やしました。

 政権当局者は繰り返し、特に西アフリカのエボラ出血熱へのアメリカの対応が「United Assistance」と呼ばれたあとで、名前がないことについて尋ねられました。

 選択のプロセスは中央軍司令ロイド・J・オースティン三世大将(Gen. Lloyd J. Austin III)と彼の幕僚に回りました。

 彼らは軍のルールに従い、品位を損ねたり、特定のグループやセクト、宗教に対する軽蔑を伝える言葉を使うことができませんでした。

 提案は機密コンピュータシステムNICKAに入力されました。コンピュータは重複しないようにするため、軍のニックネーム、暗号、演習用語を調査します。当局者はそれは実際には名前を作り出さないと言います。

  正確に誰が不動の決意を考えたかは秘密です。統合参謀本部議長マーティン・デンプシー大将(Gen. Martin Dempsey)はOKを出さなければなりませんでした。チャック・ヘーゲル国防長官(Defense Secretary Chuck Hagel)もそうしました。

 言語学者は違いました。

 「この言葉は我々の中では聞こえがよいものの、結局、見かけだけです。意味を持っていません」とカリフォルニア大バークレー校の言語学教授ロビン・T・ラコフ(Robin T. Lakoff)は言いました。「不動の決意について耳にすれば、何か凄いことだと、実際にそれが何であれ、アメリカ人が心から支援しなければならない何かだと理解するだけです。これは過去と現在で、常に最も成功したプロパガンダゲームの一つでした」。

 声明で中央軍は、名前はイスラム国民兵と彼らがもたらす脅威を低下させ、破壊するための断固とした決意と深い関与を反映することを目的とすると言いました。

 国防総省広報官、ジョン・カービー海軍少将(Rear Adm. John Kirby)は、不動の決意が最初、奮起させるものがないとして否定されたという報道を否定しました。

 「私は若干の匿名の情報源が、名前が拒否されたと言ったと理解します」と、カービー少将は名前が明らかにされた10月15日に記者に言いました。「私は国防総省の指導層が決めた、名前を否定するための決定を何も知りません。しかし、名前は名前です。それはそこにあり、我々がそう呼んでいるものです。そして、それはいま前進しています」。


 記事は一部を省略しましたが、大半を訳出しました。

 作戦名など、軍事問題で大した意味をなさないように思えますが、軍の文化を形成する一環であることは間違いなく、こうした細かい問題が起きているという話です。

 作戦名をどうやって決めているかが書かれていることも、軍事史的には興味深いことです。私は時々、作戦名を誰がどのように決めているのか疑問に思うことがありました。前線での苦難の背後で、どうでもいいように思える議論が行われていることも、軍隊の一種の性質として理解しておくべきです。

 過去に使われた用語と重複を避けることが重要なのはいうまでもありません。作戦名などは公開されるし、軍の様々な書類にも書かれます。うっかり重複する用途を用いてしまうと、書類上の問題が起きる危険があります。チャーチル首相が言うように、遺族に対する配慮も必要です。

 しかし、手一杯良識に配慮した結果、まったく味気ない作戦名が選ばれたというのは皮肉です。これは何か軍事の本質を暗示しているのかと考えてしまいます。

 


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