橋下大阪市長が理解していないこと

2013.5.16


 NNNによれば、日本維新の会・橋下徹共同代表が15日、2日ぶりに大阪市役所に姿を見せ、改めて持論を展開しました。

 「認めるところは認めて、やっぱりここは違いますよと。全世界で、欧米で、日本人だけ第二次世界大戦で、欧米と違う性奴隷を使って特殊な人種なんだと思われていることは、僕は我慢ならないですね」−橋下代表は、いわゆる従軍慰安婦問題について、政府が見解をあやふやにせずに、世界に対してはっきり主張すべきだと述べました。

 また橋下代表は、沖縄県のアメリカ軍に風俗業の活用を提案したことについて、沖縄に住む人や女性を中心に批判が出ていることを受け、「現実を直視すれば、きれい事だけでは人間社会は動かないし、政治家はきれい事だけを語る仕事ではないです。汚いものも全部、清濁併せ飲んで人間社会を引っ張っていかないといけないですから。『(ストレス発散のために)ボウリングとか、バーベキューとか行かせるだけで大丈夫だ』と言っているような状況は、僕は違うと思う。許せないと思う」と述べました。

 橋下代表は、今後もこうした主張を続けていくとしています。


 この記事を書いた後で、橋下市長が発言を一部修正したという記事を知りました。しかし、最初の発言が彼の本心と考えられるので、それについて述べます。

 橋下市長は米軍の文化や歴史を知らずに、自分の感覚だけで発言したようです。私に言わせると、それは無知の塊です。

 橋下市長から米軍に風俗を利用するように勧められた米軍司令官が苦笑いしたことを、橋下市長は暗に問題を認めたと解釈したようですが、私は別の意味があったと考えます。

 司令官は米軍がこの問題に対処してきた歴史を思って、あるいは日本で米兵が起こした事件に対処している時に、日本の政治家から風俗を使えと言われたので苦笑いしたのでしょう。

 米軍は個人的な行為であるセックスについて、制限を定めています。たとえば、戦地への派遣中に隊員がセックスをすることを認めていません。当サイトでも、指揮官が戦地で妊娠した女性兵士を裁判にかけられるように規則を変えようとしたところ、上級司令部から拒否された事件を紹介しました。(記事

 米軍の基本的な法律である、統一軍規法典はセックスに対して厳しく、配偶者がいる者は配偶者以外の者とのセックスを禁じています。16歳未満の者とは、合意があっても禁止。同性愛者同士のセックスも禁止です。強姦は当然禁止ですが、最高刑が死刑と厳しいのが特徴です。セックスに関する規則は、前述のものを含めて、最高刑が死刑と厳しく制定されています。

 買春の禁止は軍の通達で出され、一定していません。大きな戦争になると隊員が増え、問題も大きくなるので、規則を厳しくしたりします。確かに、公的には認めていなくても、非公式に容認している部分はあります。

 この問題に大きく圧力として登場するのは、医療部隊や従軍聖職者です。

 医療部隊は性病患者が増え出すと、買春を問題視します。

 米軍に多いキリスト教の従軍聖職者は性道徳に厳しく、軍の指導がなってないと感じると、抗議運動を始めます。マスコミに実態を告白したり、上層部に抗議したりします。

 それは、聖書にソドムとゴモラの街が道徳の荒廃によって滅んだ話が書かれているからです。ちなみに、同性愛者同士のセックスを裁く罪名「ソドミー」はソドムに由来します。当サイトでも、ソドミーは人間の性に反した、行き過ぎた刑罰と主張していますが、セックスを我慢する能力は誰についても求められることであり、軍隊がそのように指導することは正しいと、私は考えます。

 特に、キリスト教の倫理観の影響が強い米軍には、橋下市長の意見は論外としか映りません。

 歴史的に、米軍内では、性に関する規律を厳しくするべきだという意見と、必要悪として容認する意見が対立してきました。橋下市長はそれを極めて単純にしか理解しておらず、受け入れがたい解決策を提案したに過ぎません。インターネット上で読める林博史氏の論文「アメリカ軍の性対策の歴史―1950年代まで」だけを見ても、問題の深さは分かろうというものです。

 率直に言って、橋下市長の発言はセックス中毒を連想させます。なぜ、こんな問題にこだわるのかが分かりません。他のことに集中していると、セックスの欲求を忘れることがありますし、自慰で欲求を解消することもできます。なんにせよ、自分で制御する力を育てるのは、万人に求められる能力であるはずです。人によって、セックスの欲求は様々で、毎日でもよいと言う人も知っていますが、なんにせよ、「それなしにはいられない」というのは中毒です。

 また、政治家の発言としても、橋下市長の意見はスケールが小さく、無意味でした。

 政治家ではありませんが、日本人が見事に問題点をアメリカ人に説明し、説得した事例があります。連合軍の占領時代、北海道に駐屯した米軍の指揮官が治安上の理由から、猟銃を取り締まろうとしたことがありました。当時、猟友会の支部長だった、ニッカウイスキーの創業者、竹鶴政孝氏は、米軍司令官の少将に面会し、狩猟ができなくなれば、ヒグマによる被害を防げないと英語で説明し、指示を撤回させました。司令官は熊が北海道にいることを知らなかったのです。アメリカも野生動物による被害と闘う国であり、説得できる余地があると見込んでの発言だったと、私は考えます。もし最初から説得を諦めれば道民が困る事態になり、理由も適切に説明しなければ司令官は納得しなかったでしょう。上から目線で発言しても、誰も納得してはくれないものです。

 余計なお世話かも知れませんが、こういう発言をしていると、会うべきでない人物とみなされ、橋下市長はアメリカの要人と意見交換する機会は確実に減ります。

 国内的にも、こういう現状容認論はやる気のなさの表れと、有権者に受け止められます。「現実だから仕方ない」としか言わない政治家より、理想に向かおうとする政治家が好まれるのは、言うまでもありません。


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