ブログに見る石破幹事長の目にあまる小心

2013.12.1


 朝日新聞よれば、自民党の石破茂幹事長は11月29日付の自身のブログで、特定秘密保護法案に反対する市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と批判しました。


 今朝、この記事を目にして、石破茂氏のブログを確認したところ、次のように書いてある事が確認されました。

 主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。

 さらに、似たような記述が11月22日付けでも書かれていることに気が付きました。(ブログはこちら

 今これを記している議員会館の外では、大音量で「○○を許さないぞ!」とのデモが続いていますが、この言葉を改めて噛みしめたりしております。自分は正しい、それ以外は馬鹿である、という人が最近あまりに多いように思えてなりません。そんなに自分だけが正しいと思える自信は一体何処から来るのでしょうか。

 「○○を許さないぞ!」の部分が数日後には「今も議員会館の外では『特定機密保護法絶対阻止!』を叫ぶ大音量が鳴り響いています」に変わったわけです。なぜ、最初の文で伏せ字を使ったのかが問題です。主張したいことがあったのなら、堂々と書き、受けるべき批評を受けるべきでしょう。それが政治家の仕事です。

 さらに問題だと感じたのは、その前に書かれている部分です。

 ケネディ大統領暗殺50年という節目の年に長女であるキャロライン大使が着任したこともあり、ちょっとしたケネディ・ブームの様相となっています。
 小学生の頃、偕成社から出ていたケネディの伝記(細野軍治著)を何十回となく読んだことを懐かしく思い出します。今でもその本は手許にあるのですが、その中にいくつかのケネディの名言が収録されています。
 就任の際の「アメリカが諸君に何をしてくれるかではなく諸君がアメリカに何が出来るかを問い給え」というのはあまりに有名ですが、「何故その垣根が作られたかを知るまではその垣根を取り払ってはならない」というものも私は好きです。

 この発言には吹き出しました。私は中学生の頃に、学校の図書館にあった「FBI物語」という本を繰り返し読んだことがありました。そこには、ジョン・エドガー・フーヴァー長官がいかにして優秀な若者を集め、FBIを組織して、犯罪組織と戦ったかが書かれていました。私はいたく感心し、こういう人物は尊敬すべきだと思いました。しかし後年、フーヴァーが独裁者で、他人の秘密を嗅ぎ回り、収集するような人物であったことを知り、驚愕したものでした。さらには、あるFBI捜査員が、今のうちに栄光だけを手にして引退するようにとフーヴァーに諫言して辞職したという事件も起きています。子供向けの偉人伝は、よい部分しか書かないものです。

 ケネディの就任演説は、彼の政治手法を考える上で重要ではありません。それよりも直視すべき問題があります。ケネディは上院議員時代に、共和党が主導した「赤狩り」に協力していたことがありました。

 「赤狩り」とは、共和党のジョセフ・マッカーシー上院議員がはじめた共産主義者撲滅運動でした。「私は国務省の中にいる共産主義者のリストを持っている!」と彼が叫んだことから、各分野で共産主義者狩りがはじまりました。実は、彼のリストは待ったか偽物で、主張には根拠がなかったのですが、多くの人たちが角界から追放されるという事態を引き起こしました。チャールズ・チャップリンが家族を連れてスイスに移住したのも赤狩りのせいです。やがて、マッカーシーの嘘が露見し、いまでは赤狩りは魔女狩りと変わらなかったといわれています。赤狩りに協力してしまったアメリカ映画界は、贖罪のために、赤狩りを批判する劇映画を多数制作しています。

 大統領選出馬を決意したとき、彼はアメリカ国民が大好きな人物に推薦を依頼しに行きました。その人物とはフランクリン・ルーズベルト夫人のエレノアです。若い頃から貧者の救援団体に勤め、ファーストレディだった大戦中は日系アメリカ人を収容所に入れる夫の政策に楯突き、収容所を慰問したほどの人物でした。世論が割れやすいアメリカの中で、多くの人たちから敬愛を受けた女性です。夫が秘書と浮気をした時の「私は夫に厳しすぎたから」と言い、秘書を許したことは、彼女の政治信条を反映する勲章です。

 そのエレノアは、赤狩りに協力したことで、ケネディの推薦を拒絶したのです。彼女は、上院議員時代のケネディは、点数稼ぎに弱者を犠牲にする人間だったと判断したのでしょう。

 ケネディが評価できるのは、大統領就任後に、軍に核戦争の見積もりを説明させ、全面核戦争が起きた場合の被害を正確に知っていたことです。第一撃で1億5千万人が死ぬという見積もりは、彼に核戦争を躊躇させるに十分であり、彼はそれを理解する理性を持っていました。実際、冷戦時代には、米軍内、特に空軍には「核戦争で何人死のうが、勝てばいいんだ」という考え方が横行していました。ケネディは軍人の主張を抑え、キューバ危機でソ連と妥協し、核戦争を回避しました。空軍のカーチス・ルメイ大将は「我々は負けた」とケネディに言ったとされ、その後、ケネディは暗殺されました。

 ところで、私も小学生の時に読んだ本を持っています。一時失ったので、古本で再入手した本です。同じ偕成社の本で、菅野静子氏が書いた「戦火と死の島に生きる」です。彼女は民間人でありがながら、米軍がサイパン島に上陸すると陸軍の野戦病院に志願し、多数の兵士の看護を受け持ち、最後まで行動を共にし、自らも自決を試みました。米軍に救助され一命は取り留めたものの、手榴弾の破片は長らく彼女の健康を蝕みました。彼女は戦争で見たものを克明に記録しており、兵士たちがどのように負傷し、どのように死んでいったかが、様々な形で本に書かれています。後書きで菅野さんは「この本がいくらかでも平和の道に役だつことを、わたしは祈ります」と結んでいます。

 私はいまでも最初にこの本を読んだ時の衝撃を忘れられません。この本は間違いなく、戦争で何が起きるのかは正確に突き止めなければならないという考え方を私に植え付けました。

 石破氏も、この本を読むべきだったのでしょう。そうすれば、ケネディ以上の戦略眼を身につけられたかも知れません。石破氏の過去の発言からは、そこまでの力は見て取れません。許可を受けて行われている路上デモをテロリズムと一緒にするあたりに、それが象徴されています。また、デモの許可を出した警察の頭ごなしにデモを批判すれば、警察も批判することになるという問題もあります。



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