タリバンがNATO軍攻撃を激化

2012.6.20


 military.comによれば、先に報じられたアフガニスタンの米軍基地への攻撃は、当初の発表よりも激しかったりことが分かりました。

 土曜日にワシントンポスト紙は、6月1日のサレルノ前進作戦基地(Forward Operating Base Salerno・kmzファイルはこちら)への襲撃は、パキスタン情報部とつながるハッカニ・ネットワークの共同攻撃だったと言いました。

 当局者はポスト紙に、襲撃にはトラックに積んだ爆弾を含んだと言いました。この攻撃で民間人(アメリカ人2人、アフガン5人)が死亡、100人以上の兵士が軽傷を負いました。爆発は基地の食堂と購買部を破壊し、2マイル離れた民家を損傷しました。「極めて巨大な爆発でした」とコースト州議会の長、ダウド・カーン・(Daoud Khan Makeen)は言いました。短時間の戦闘で武装勢力14人が死亡しました。彼らの多くは自爆ベストを着ていました。

 土曜日の記事はトラック爆弾と犠牲者の詳細に関する最初の報道です。ポスト紙は国防総省の発表はサレルノへの襲撃はが撃退されたことしか知らせなかったと言いました。米当局は攻撃を軽視したことを否定し、NATO軍の方針では非致死性の負傷については述べないと言いました。100人のほとんどは脳震盪のチェックを受けただけで、負傷に分類されました。

 この攻撃はアフガン国内での作戦の出撃拠点としてパキスタン領域を利用するハッカニの存在を許容してきたパキスタンを疑ってきた
米当局者を立腹させました。

 military.comによれば、火曜日にタリバンがカンダハル州(province of Kandahar)のNATO軍基地を攻撃し、同盟国の兵士1人が
警官の制服を着た攻撃者に殺されました。

 7人の自爆犯が現地時間午前3時30分頃、シャー・ワリ・コット地区(Shah Wali Kot district)のアフガン・NATO軍合同基地を襲撃し、すべての武装勢力が死ぬまで30分間銃撃戦が続きました。NATO軍主導のISAFは攻撃者は、基地の外縁を突破しましたが、同盟国の兵士は事件で殺されなかったと言いました。

 数時間後、警察官の制服を着た男4人がカンダハル市の警察とNATO軍の基地を銃撃して銃撃戦となり、警察官3人と攻撃者全員が死亡しました。警察の目撃者は、攻撃者は警察官の制服と装備を持ち、事件後に逃亡した警察署長によって基地内に案内されました。他に警察官2人が攻撃に関して逮捕されました。火曜日の攻撃はアフガン警察の政府機を来た男がカンダハル州でNATO軍の兵士に発砲し、1人を殺害して逃げた事件の翌日に起こりました。(記事の残りは省略)


 サレルノ前進作戦基地の攻撃はたまたま兵士が死ななかっただけで、その損害は少なくはありません。Google Earthで確認すれば基地の全容や周辺の地勢が分かります。この衛生写真を見れば、米軍の前線基地の構築方法が手に取るように分かります。食堂と購買部は、多分一番大きな三角屋根の建物だと想像します。ここなら外縁部から近く、トラックで突っ込め、人が大勢集まることが多いので、戦果も期待できます。特に食堂は24時間営業を続け、定期的に食事に来る兵士で混雑します。内通者から混雑時を聞き出して、攻撃のタイミングを決められるのです。

 基地は山と川に守られるように建設されています。南側は川で、北側には山があります。この場合、山側から敵が接近しないように工夫が凝られていることに注意してください。基地から山に向かう道路を辿って、その先に何があるかを確認してください。基地を見下ろす場所に観測点があり、そこからさらに先には前進防衛を担う拠点があります。南側の川はほとんどが干上がっていて、なだらかに窪んだ場所は見通しがよいので敵の接近や近接攻撃を防ぎ、防衛用に活用できます。しかし、車で移動できない場所ではなく、ここから突入することは可能だったと考えられます。

 この基地はパキスタンからアフガンに侵入する武装勢力を見張るために存在していることも明白です。

 カンダハル周辺の攻撃は、この地域で行われた最後のNATO軍の掃討作戦が何の意味もなかったことを意味します。しかし、それらが失敗に終わったという報道、当局者の声明は聞いたことがありません。負け戦を誤魔化すのは、どこの国も同じということです。戦争では、成功は大きく、失敗は小さく見せる人間の習性を無視してはいけません。



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