イエメン軍がジャアーとジンジバルを解放

2012.6.13


 military.comによれば、イエメン軍と武装した部族民は火曜日にアルカイダの武装勢力を南部の2ヶ所の拠点から追い出しました。

 アメリカの無人攻撃機の助けを借り、イエメン軍はアルカイダの拠点に激しい報爆撃を行ったあとで、ジャアー(Jaar・kmzファイルはこちら)とジンジバル(Zinjibar・kmzファイルはこちら)を確保しました。部隊は港町アデン(Aden・kmzファイルはこちら)と結ぶジャアーにつながる重要な幹線道路も解放しました。最新の攻撃はアルカイダをより小さな町、谷、砂漠、山岳地帯に分散させました。これはアリ・アブドラ・サレハ元大統領(Ali Abdullah Saleh)に対する反乱が2011年2月に始まる前のグループの状況と似ています。武装勢力のほとんどは、アビヤン州(Abyan)の最後の主要な拠点、シャクラ(Shaqra・kmzファイルはこちら)に逃げました。スリーパー(民衆に紛れ、行動を起こすまで隠れている工作員)の細胞もイエメン指導部の主要な懸念です。

 武装勢力は流血を避けるためにジンジバルとジャアーから撤退したと言い、首都サヌアを攻撃すると脅しました。電子メールの声明で、グループはイエメン指導部を十字軍兵士とアメリカの手先と呼び、彼らを街や宮殿の中で追いかけると警告しました。

 イエメン軍と部族民は大砲とロケットによる数時間の重砲撃のあとで未明にジャアーを急襲しました。政府派の兵士は3方向からトラックに乗って街に乗り込み、沢山の戦車は街の出入口を塞ぐのに使われました。住人は街の中心部に群がり、銃を空中に撃って解放を祝いました。その他の者たちは救済団体が配送した人道支援物資を倉庫から略奪しました。

 アデン州のジャマル・アル・アクィル知事(Gamal al-Aqil)はイエメン軍はアルカイダに、アビヤン州での最大のねぐらで手痛い打撃を与えたと言います。「我々は作戦を『黄金の剣』と呼びました」。軍指揮官のサレム・アル・クトン大将(Gen. Salem al-Quton)はイエメンのテレビ局SABAに、戦闘で武装勢力20人と兵士4人が死んだと言いました。ジャアーはイエメンが石油の60%を出荷し、紅海の南端を支配するアデンの入口です。

 当局者と目撃者は外国人を含む約500人のアルカイダ戦士が、「アルカイダは撤退した。アルカイダは敗退しない」というスローガンを壁や店のシャッターにスプレーした後で逃走するのを目撃しました。国防省広報官は、アルカイダの防御は軍がジャアーを見下ろす丘の上にある「10月7日」と呼んでいた弾薬工場を占領した翌日に崩壊したと言いました。その時からカチューシャミサイルと軍用機が、サヌアの400km南にあるジャアー郊外にあるアルカイダの陣地を猛爆しました。


 記事の後半は省略しました。

 イエメン軍は戦術の基本にしたがって動いているようです。「10月7日」という弾薬工場がどこかは確認できていませんが、確かにジャアーの北部に似たような形の2つの大きな工場はあります。それがそうかは確認できないものの、イエメン軍は砲撃に必要な場所を確保し、そこから砲撃によりアルカイダの拠点を攻撃し、防御力を低下させた上で突入したようです。これにはアメリカの無人偵察機による状況分析があったに違いありません。十分に弱体化するまで待ち、一気に突入することで敵を撤退させるのです。無人偵察機がないと偵察部隊を何度も街に接近させる必要がありますが、精密な航空写真は防衛網の弱点を明白にします。

 突入方向は北、東、西で、多分、南側は空けておいてアルカイダを逃走させたのでしょう。無人攻撃機による追撃を行ったかどうかは不明です。街の開放を優先し、完全な殲滅は狙っていません。アルカイダの死者が少ないのが、その理由です。イエメン軍の死者も少ないことから、激戦ではなかったことが窺えます。

 今後も問題は、分散化、小型化したアルカイダを捕捉できるかです。これからも同種の攻撃を行えるようなら問題ありませんが、細胞化したテロリストに攻撃を受け続けるようなら最悪です。



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