続報:ベイルズ2等軍曹の横顔

2012.3.19


 military.comがロバート・ベイルズ2等軍曹(Staff Sgt. Robert Bales)の人物像についてさらに報じました。

 オハイオ州シンシナティ(Cincinnati)郊外の同級生と隣人は、ベイルズを障害を持つ子供の面倒を見て、近所でトラブルを起こす者を見張る、楽天的な高校のフットボール選手として記憶しています。しかし、法廷の記録とインタビューは、10年の軍歴を持つ兵士イラクとアフガンへの4回の派遣の後で善行で何度も表彰されている古参兵は、フロリダ州での投資の仕事が駄目になった後で陸軍に入隊し、シアトル地区の家が接収され、その他のことで支払いに奮闘し、1年前に昇進と転属に失敗していることを示しました。

 法廷の記録は、彼の法的トラブルにはガールフレンドへの暴行、当て逃げ事故、軍服を着て出血しながら森へ逃げ込んだことを含みました。彼は車の中で眠り込んだと警察に話し、罰金を払って起訴を免れました。

 虐殺事件について、高校の同級生スティーブ・ベーリング(Steve Berling)は「それが本当なら、ちょっとおかしな話です」と言いました。彼の元小隊長は土曜日に、ベイルズは9/11に軍務に就くよう刺激を受けた模範的な兵士だったと言いました。彼は2度目のイラク派遣で戦闘の中で命を救いました。「彼は私と働いた中でベストガイの一人です」と、イラクで15ヵ月ベイルズを指揮したクリス・アレキサンダー大尉(Capt. Chris Alexander)は言いました。「彼は精神異常者なんかではありません。彼はこの国に多くのことをした傑出した兵士です」。

 しかし、家族のトラブルが彼の妻、カリ(Kari)によって示されました。彼女は1年前に、ブログにベイルズが昇進を望み、9年いたルイス・マッコード合同基地(Joint Base Lewis-McChord)から転属を望んでいると投稿しました。彼女は3月25日に、未来について「私たちはできるだけコントロールしたいと思っています」と書きました。「私は自宅を維持するために、私たちが家を貸し出せることを望んでいるだけです」。

 ベイルズが給与等級「E7」の1等軍曹への昇進に失敗した後、家族はドイツ、イタリア、ハワイに行くことを望みました。彼らは夏までに行くのを望みましたが、陸軍は彼の部隊をアフガニスタンに派遣しました。それはベイルズの4回目の戦地派遣になりました。彼は同時多発テロ事件の2ヶ月後に軍に入り、2003年以来、3年以上をイラクに派遣されました。彼の弁護士は彼が2回負傷し、一度は脚の一部を失ったと言いましたが、20回の彼の表彰に、負傷時にもらう名誉負傷章はありません。アレキサンダー大尉は彼が指揮中、ベイルズの2度目の派遣中に、ベイルズは負傷していないと言いました。彼はベイルズは他の同僚よりも戦場ストレスを持たない非常に確固とした下士官だと呼びました。ベイルズはモスルで小隊の車両をRPGで狙う男を撃ち、弾頭を車の上に逸らさせました。「彼があの日、命を救ったのは間違いありません」。民間人殺害は「100パーセント、彼の性格ではありません」と彼は言いました。

 ベイルズは十代の頃ですら軍隊と戦史が好きだったと、ベーリングは言いました。彼は1990年代に、後のNFL選手マーク・エドワード(Marc Edwards)がいたチームで、ベイルズと共にフットボールをしました。「私は彼と教師がバンカーヒルの戦いについて話すようなことで行き来していたのを覚えています。彼は歴史を、戦争すべてを知っていました」。

 ベーリングはベイルズはオハイオ州立大学でビジネスを学んだ後で陸軍に参加したと言いました。彼は3年間通って卒業せず、市場が低迷して仕事がなくなるまでは、投資を手がけました。彼は休業状態の「Spartina Investments Inc.」の取締役でした。彼の兄弟、マーク・ベイルズ(Mark Bales)とマーク・エドワード(Mark Edwards)も取締役のリストにあります。「人びとが金を失った時、彼は嫌だったと思う」とベーリングは言いました。

 彼はタップス湖(Lake Tapps)の自宅の支払いで奮闘しました。彼の妻は事件の3日前に家を売りに出したと、不動産業のフィリップ・ロドッカー(Philip Rodocker)は言いました。「彼女は彼に私たちへの支払いが溜まっていると言いました」「彼女は彼が4回目の派遣中で、家は古くなり、彼らは会計を安定させなければならないと言いました」。家は月曜日までは正式に売りに出されていません。ベイルズの妻は、家族の非常事態なので、家を市場から引き上げたいと連絡しました。

 ベイルズと妻は2005年に280,000ドルで家を購入し、今週、229,000ドルの値が付けられました。この売却は財政難の兆候かも知れませんでした。夫婦は10マイル北のオーバーン(Auburn)にも家を持っていましたが、2年前に放棄したと家主協会の理事、ボブ・バゲット(Bob Baggett)は言いました。「家は壊れそうでした」「彼らは信頼できませんでした。彼らがそこを去った時、車の部品が前庭に置き去りになってました。我々は所有者に見切りをつけました」。

 「彼は地元のヒーローでした。それが我々のボビーです」と、オハイオ州ノーウッド(Norwood)で、彼の近くで育ったマイケル・ブレビン(Michael Blevins)は言いました。5人の男の子の末っ子は地元の老人を尊重し、問題を起こす者を諭し、別の地区の障害を持つ男の子すら助けました。

 ワシントン州では、2002年にガールフレンドへの暴行で逮捕され、彼は無罪を主張し、怒りを管理するカウンセリングを20時間受けるよう求められ、後で訴訟は取り下げられました。

 3年前の裁判所の記録によれば、当て逃げの起訴は夏に取り下げられました。ベイルズが何にぶつけたかは記録からは分かりません。目撃者は軍服を着た、頭を剃り上げ、出血した男が走り去るのを見ました。罰金と賠償に約1,000ドルを払い、訴えは2009年10月に取り下げられました。


 一部を省略しましたが、記事のほとんどを紹介しました。

 ここに書かれたことがベイルズのすべてならば、という条件の下では、自宅の売却が事件の引き金になったと言えそうです。戦争で人が一番落胆するのは、自宅が破壊されることだといいます。経済的理由でも、喪失感は強いはずです。

 しかし、フットボールで高校では人気があったものの、プロ選手にはなれないからビジネス界へ、それに失敗したから体力が活かせる陸軍へ、さらに家を失ったから人を殺すという考え方には賛成できません。彼が置かれた境遇はまだ幸せです。怪我をしたにせよ、名誉負傷章をもらっていないなら、軽症だったのです。生涯残る怪我ではないでしょう。

 中年の危機に見舞われる年齢なのは考慮できますが、本人が克服すべき問題に過ぎません。

 ですが、事件には他の要因も関係しているかも知れません。そうした事柄も合わせて、彼を評価していく必要があります。続報はさらに報じられるはずで、それらに注目していきます。


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