16人虐殺米兵は軍歴11年の古参兵

2012.3.15


 アフガニスタン人16人を虐殺した米兵に関する続報は少なく、同じ記事の再掲載のようになっています。

 military.comによれば、容疑者の兵士は狙撃兵の訓練を受けていて、最近、イラクで脳外傷を負っています。

 車両事故は戦闘に関連しない出来事で、怪我の範囲やその後の異常な行動との関連は不明です。

 被害者のモハマッド・ザヒル(Mohammad Zahir)が事件について語りました。

 深夜に米兵が家に乱入し、部屋を捜索し、それから跪いて、寝室から出てきた彼の父親の腿を撃ちました。「彼は何も持っていませんでした……お茶のカップすら」。

 容疑者の兵士は11年の軍歴を持つ2等軍曹で、イラクに2回派遣されています。国防総省は、兵士の氏名を起訴前に公表するのは不適切としています。

 兵士は12月3日に、ルイス・マッコード合同基地(Joint Base Lewis-McChord)の第2歩兵師団第3ストライカー旅団第3歩兵連隊第2大隊と共にアフガンに派遣されました。

 「私は銃声を聞きました。私が自室から出ると、誰かが家に入ってきました。彼はNATO軍の軍服を着ていました。暗かったので、彼の顔は見えませんでした」。26歳のザヒルは素早く家の動物が囲ってあるところに行きました。「その後、私は彼が家の別の場所に行くのを見ました……彼は捜索しているようでした」。非武装の彼の父親は寝室から数歩歩き、兵士は撃ちました。「私は父親を愛しています。でも、出て行けば彼が私も撃つのは分かっていました。だから、私は待ちました」。母親が父親を部屋へ引っ張り始めると、彼は父親の銃創を布で覆うのを手伝いました。ガンマンが去った後、ザヒルは家の近くでさらに銃声を聞いたので、彼は隠れて、彼が去るのを確認するまで留まりました。

 アフガン国防省は、ガンマンがパンジャイ地区(Panjwai district)の基地を出て、約1マイル歩いてブランディ村(Balandi village)に行きました。村人は彼が3軒の家へ入り、殺した後で死体の一部に火をつけたと言いました。ブランディ村で殺された12人中の11人は同じ家族でした。残りの犠牲者は隣人でした。

 ブランディ村からガンマンは約1マイル歩き、米軍基地から500mにあるアルコザイ村(Alkozai)に行きました。ガンマンはある家で4人を聞きました殺し、それからザヒルの家に行きました。

 逮捕の正確な状況は不明です。一部の当局者は兵士が自分で基地に戻って拘束されたと言い、その後の報道は自分では戻らなかったことを示します。

 一部のアフガン当局者と村人は単独犯を疑っています。一部の村人は複数の兵士がいて、異なる方向から銃声がしたと言いましたが、その外の多くの者は1人の兵士に会っただけだと言いました。

 同盟軍広報官は、ガンマンは1人だけだったと主張しました。「2人以上の射手がいた兆候はありません」。

 カンダハル州議会のアグファ・ラリア(Agha Lalia)は、カンダハル基地で治療中の事件の負傷者2人と会い、どちらも1人の兵士しか見なかったと言ったと言いました。


 事件に直接関係している事柄だけを紹介しました。記事はさらに多くの内容を含んでいます。

 まだ事件の詳細は分かりません。地名も最初とは変わっているものがあります。犯人が自分で戻ってきたかどうかも、判断は待たなければなりません。

 犯人が酔っていたという報道もあるようですが、酒の勢いでできる事件ではなさそうです。彼が精神病で、何か命令を受けたと思い込んで行動したのなら、基地に自分で戻ってきたことに説明がつきます。しかし、これは仮説に過ぎず、事実の裏付けもありません。

 それにしても、狙撃兵が事件を起こすことが増えた理由が分かりません。たまたまなのか、狙撃という職種に関係があるのかは見当がつきません。


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