反政府派の元過激派指揮官がテロを否定

2011.9.3


 military.comによれば、戦闘員をイラクとアフガニスタンに派遣した武装グループの元指揮官で、現在はトリポリ地域の反政府派指揮官は金曜日に、新しいリビアは過激主義を避け、テロリズムの温床にはならないと言いました。

 指揮官、アブデル・ハキム・ベルハジ(Abdel Hakim Belhaj)は、彼は2004年にマレーシアで拘留され、彼がCIAエージェントに拷問されたと主張するタイの秘密刑務所に送られました。それから、彼はリビアに送られて、カダフィ政権に7年間投獄されました。

 45歳のベルハジ指揮官は、彼のイスラム主義者としての過去を軽視し、西欧が支援するリビアの反政府運動に重要人物として参入したことに対する懸念を和らげようとしました。

 彼はタイで目隠しをされ、壁に吊されて、背中を殴打されたものの、カダフィを追放するという共通の目標のために、西欧に対する恨を持ちたくないと言いました。「復讐は私を個人的に動機づけません」と、彼はトリポリの軍用空港の司令部でインタビューに答えました。

 ベルハジは現在は解散しているリビア・イスラム戦闘団(Libyan Islamic Fighting Group)の指導者でした。それはアメリカによってテロ組織とみなされました。しかし、彼はその聖戦思想に同意できないことを理由に、アルカイダとのつながりを否定し、カダフィのリビアを解放することに集中したいと言いました。

 アフガンで他のアラブ戦士の中でソ連と戦った後、ベルハジはカダフィ政権と激しく対立していたイスラム戦闘団の残党に参加するために1990年代にリビアに戻りました。1990年代中期に国から逃げた後は、CIAにつかまるまで国から国へと転々としました。しかし、ベルハジは西欧の反政府派への支援を称賛し、「国連安保理と我々の側の全世界カダフィを追放するために我々の側に立ち、我々を助けました」と言いました。

 彼はリビアに送り返された後に死刑を宣告されましたが、7年後にトリポリの悪名高いアブ・サリム刑務所(Abu Salim prison)から2010年3月に特赦されました。ベルハジは、当時政権内の改革主義者と考えられていたカダフィの息子、サイフ・アル・イスラム(Seif al-Islam)の主導の一環として、暴力を放棄することに同意した後で、釈放された34人のイスラム戦闘団の中にいました。

 しかし、彼は2月中旬にカダフィに対して起きた反乱にすばやく参加し、西部山脈地帯で訓練された戦闘員の旅団が首都に進撃するを指揮しました。近年、西欧の機嫌を取るカダフィは、彼が権力にないと、アルカイダがリビアで影響力を持つと主張しました。ベルハジはその懸念を否定しました。「私たちは彼らがテロリズムと呼ぶものをまったく持ちませんし、支持しません」「リビアは穏健派のイスラム国です」「我々は法によって統治された文明国を希求します。それはカダフィ政権下では享受することを許されませんでした。国の宗教的なアイデンティティは選ばれる人たちの手に任されるでしょう」。


 最終期限が延びたためか、戦闘に関する情報が今日はありません。代わりに掲載されたのが、このインタビュー記事でした。

 カダフィ大佐が言うように、一般的にリビアの反政府活動とアルカイダを同一視するのは無理があります。アルカイダがカダフィを殺害したがったのは確かですが、それはアラブ全体の既存権力を打破して、自分たちの国家を建設しようとするアルカイダの壮大すぎる目的のためです。リビアの反政府組織は、カダフィの圧政をやめさせたいだけなので、アルカイダの構想する北アフリカから中東にかけて帝国を建設する活動とは合致しないわけです。アルカイダがそのためにリビアを侵略しようとすれば、リビアの反政府派はアルカイダと戦うでしょう。

 しかし、同時多発テロ以降にアメリカは冷静さを失い、彼らもテロ組織に認定し、拘束していたのです。なぜなら、ブッシュ大統領が言う「テロとの戦い」はアルカイダだけでなく、全世界のテロ組織と戦うという国家戦略であり、テロ組織と名前がつくものは手当たり次第に対峙する必要がありました。ベルハジを拷問して、かつての敵であるリビアにわざわざ送り返し、サイフ・アル・イスラムを進歩的とみなしかねない特赦の対象にさせるチャンスまで与えました。ベルハジも、リビア政府とアメリカに睨まれているので動けなかった訳です。

 いまや、反乱が起きた中東国は、この地域の民主主義の旗手であり、テロリストと結びつける必要はなくなりました。これこそ、テロリズムを防ぐための格好の手段であることは、オバマ政権は理解しているでしょう。独裁国家だった国が民主国家へと変身しようとするなんて、少し前までは想像もできませんでした。これは今後の世界戦略を考える上で、重要なポイントです。もし、イラクやアフガンでの戦いという負担がなければ、西欧はシリアの民主化運動にも参加できたかも知れません。これまでのアメリカの世界戦略が軽薄だったことを、最近の展開は教えているのだと言えます。



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