暫定政権軍がセブハを占領

2011.9.22


 BBCによれば、暫定政権がリビアの南部の都市、セブハ(Sabha・kmzファイルはこちら)の大半を占領しました。

 NATO軍は空爆をさらに90日間延長することを決めました。ユフラ(Jufra)に近いフーン(Hun・kmzファイルはこちら)で多くの死者が出ました。「街の中に大勢の死傷者がいて、我々は(カダフィ軍による)激しい砲撃で近づけません」と目撃者の1人は言いました。バニ・ワリド(Bani Walid・kmzファイルはこちら)とシルト(Sirte・kmzファイルはこちら)でもカダフィ軍との激戦が続いています。

 暫定政権軍広報官、アーメド・バニ(Ahmed Bani)は「我々はアル・マンシャ地区(al-Manshiya district)を除いてセブハをほとんど支配しました。まだ抵抗はありますが、街は陥落するでしょう」と言いました。この地区で戦っている砂漠の盾旅団(the Desert Shield Brigade)のモハメッド・ワードゥグ(Mohammed Wardugu)は「すべてが革命派の支配下にあります」と言います。国家暫定評議会は月曜日にセブハの空港と主要な駐屯地を占領し、カダフィ軍から150人を拘束しました。

 セブハは人口100,000人を持つサハラ以南の大きな要素であり、多くは報復を恐れ、カダフィ大佐が雇った大勢の傭兵がいると考えられます。国家暫定評議会広報官、ズベラ・アル・ガディア(Zuber al-Gadir)は、シルトの「住人の大半はカダフィ派」だと認めました。暫定政権軍はシルト郊外の抵抗する孤立地帯を排除しようとしてまだ交戦しています。

 NATO軍事務局長アンダース・フォー・ラスムッセン(Nato Secretary General Anders Fogh Rasmussen)は、同盟国の軍用機はリビア国民が脅威にさらされる間は上空に留まると言いました。しかし、彼は任務は普段に評価され、いつでも中止できると付け加えました。「我々は我々の任務を必要な限り継続すると決めましたが、出来るだけ早くに作戦を終了する準備ができています」。


 どうも話の辻褄が合いません。

 シルトは人口13万人で、セブハは10万人です(13万人とする資料もあります)。街の大きさもほぼ同じです。なのに、シルトは激戦が続き、セブハは大した抵抗もなく短期間で占領されたということです。一番考えやすいのは、セブハにはカダフィ軍が僅かしかいなかったということですが、ここはカダフィ大佐がシルトの次に住んだ場所で、それは考えにくいことです。特に、空港はともかくも、その周辺の駐屯地や城塞が簡単に陥落したのは普通ではありません。早すぎるし、犠牲者も特に報じられていません。街の形もシルトよりは防御に適しているように思われます。セブハが陥落して、バニ・ワリドが落ちないのは笑い話みたいです。

 ところで、セブハを占領した暫定政権軍はどこから来たのでしょう?。まず、空港と城塞を占領したことからして、セブハの南から来たことになります。しかし、南部は人口も少なく、反政府派の勢力も弱いと聞きます。短期間で街全体を占領した精強な部隊はこの周辺の部族なのでしょうか?。私が最初に疑ったのは、暫定政権軍がNATO軍の航空機で空港に強行着陸したことです。首都トリポリとバニ・ワリドの間の距離は約140kmですが、セブハとは約660km(記事では750kmとしています)もあります。これだけの距離に補給線を確立して、大軍を移動させるのは大変な作業が必要です。カダフィ一家が少数の車に便乗して逃げるのとは話が違います。遠隔地なので、現地で物資調達ができない場合に備えて、多めの物資を持っていく必要があります。そして、この場合は北からセブハを攻める形になるはずなのです。南から攻めたのなら、南部の部族が集結ことになりますが、周辺には大きな都市がありません。考えられるのは空輸です。しかし、NATO軍の輸送機が大量にリビアに移動したという情報はありません。

 最近の進展には、何か報じられていないことが隠れている可能性が高そうです。

 ところで、バニ・ワリドでサイフ・アル・イスラムを見たとか、セブハでカダフィ大佐を見たと言った目撃談が相次いでいますが、私は信じていません。かつて、アメリカ国内でビン・ラディンの目撃情報がありました。誰もが血眼になっているので、誰でも手配者に見えてしまうのです。



Copyright 2006 Akishige Tanaka all rights reserved.