ユネス将軍暗殺の詳細と背景

2011.9.19


 BBCがリビアのアブドル・ファタ・ユネス将軍(General Abdel Fattah Younes)の出身部族の長老にインタビューを行いました。

 リビアで最大で最も強力な部族の指導者はBBCのニュースナイトに、国家が事件を解決できないのなら、彼らは反政府軍指揮官、アブドル・ファタ・ユネス将軍(General Abdel Fattah Younes)の殺害について、彼ら自身の復讐を果たすと言いました。

 ユネスのオベイディ族(Obeidi tribe)の長老は、国家暫定評議会(NTC)の高官が将軍を殺害するためにイスラム過激派と共謀したと言いました。将軍の切断された遺体は2人の側近と共に、2011年7月28日に反政府派が占拠するベンガジ近くの峡谷で発見されました。彼の指の何本かは切断され、目が一つえぐり出され、腹は切り開かれ、遺体は焼かれていました。

 彼の遺体が見つかる前日、ムアマール・カダフィ大佐の政府から最も高官の離反者——ユネスは十分な活力で軍事作戦を続行できないという疑いにより、NTCの命令により逮捕されました。

 ニュースナイトとのインタビューで、NTC代表、ムスタファ・アブドゥル・ジャリル(Mustafa Abdul-Jalil)は、どんな陰謀の示唆についても否定しました。「行政府の閣僚によって、いくつかの行政上の誤りがありました。それらは調査され――明るみの下で、我々は内閣を改造することに決めました。こうした誤りは以降の殺害とは無関係でした」と彼は言いました。

 しかし、オベイディ族の上級メンバーは同意しません。東部リビアの部族長、オスマン・アティア(Othman Atia)はニュースナイトに語りました。「陰謀は行政評議会で作り出されました——そして、彼らは誰が背後にいたのかを知っています。彼らはユネス将軍に召喚状を出し、彼らは彼を誘い出し、彼を待ち伏せ、それから彼らは彼にしたことをしました」。

 ユネスは、最近は内務大臣として、41年以上の間、カダフィ大佐に側近として仕えた賛否両論を呼ぶ人物でした。しかし、2月に彼は東部リビアでの反乱の最中に突然、反政府派の側に転じました。反政府派の参謀長として、彼は国連が委任した爆撃作戦の間、NATO軍の主要な接点でした。しかし、彼の革命への忠誠心に対する疑いは続きました。これらが、彼がブレガ(Brega)にさらに大きな攻勢を始めようとしていたその時、ベンガジの西、アダビヤ(Ajdabiya)にある彼の野戦司令部での7月27日の逮捕を導いたかも知れません。

 NTC筋は、ユネスが尋問のためにベンガジへ戻るという召喚状と側近と共に2台の車で静かに出発することを受け入れたと言います。しかし、目撃者は、ヨネスと彼の側近が、評議会の正規軍ではなく、目撃者が通常ではない宗教的な外観を持つと表現した重装備の民兵によって逮捕され、ベンガジへ送り届けられた恐ろしい一連の事件を覚えています。殺された将軍の側近、ムハマッド・カミス大佐(Colonel Muhammad Khamis)の息子、マジド・カミス(Majed Khamis)は言いました。「我々が指揮センターを去った時、我々は人と彼らの武器の数に驚きました」「車は80台か90台でしたが、それは検問所毎に増え、すべての車は完全武装の反政府派の民間人で一杯でした」「彼らは『アッラー・アクバル!』『カダフィ!』『裏切り者!』と繰り返し叫びました。『アッラー・アクバル!』というフレーズはイスラム教では非常に神聖ですが、この状況ではそれは異教徒や裏切り者を捕まえたことを示していました。将軍を捕らえることは、彼らにとって大きな業績であり、戦利品でした」。目撃者はユネスと彼の側近は繰り返し、次第にNTC当局と接触する必死の努力をしましたが、通じるのに苦労したと言います。

 ニュースナイトは、国防大臣ジャラル・アル・ダエイリ(Defence Minister Jalal al-Dgheili)がその朝、4時30分(イギリス時間午前3時30分)に、適正なく発行され、前線の指揮に損害を与える恐れがあることを理由に逮捕状を撤回する手書きの覚書のコピーを見ました。しかし、国防大臣はより緊急の仕事でエジプトへ急行し、ユネスを解放せよとの彼の命令は効果を発しませんでした。

 マジド・カミスと彼の息子、ホッサッム(Hossam)は、彼らの父がベンガジの東端にある軍基地で生きているのを見たのが最後でした。両方の息子は基地を去ることが許されました。しかし、彼の家族のメンバーがその朝、後に戻った時、それは無人になっていました。

 ヨネスの家族は、その日の間、NTC当局者は将軍が安全で――まもなく記者会見に出るだろうとまで保証したと言います。しかし、唯一の記者会見は、NTC代表のジャリル氏がヨネスの氏をその夜の午後10時に発表した時だけでした。

 逮捕を導いた事件のNTCの内部調査は公式には発表されませんでしたが、ニュースナイトは、逮捕状を送達した特別司法委員会の合法性と独立性を疑うリークされた報告書のコピーを見ました。報告書はそれは「欠点が損なわせた」として、それを指定した決定を批判しました。

 ユネスの家族と部族にとって、逮捕を導いた意志決定プロセスは疑わしく見えます。

 将軍の甥、ムハマッド・ハミド(Muhammad Hamid)は以下のように述べました。「なぜこの任務が武装した民兵に指定されましたか?。それは執行委員会のメンバー——おそらく評議会自体——とこれらの民兵と関係があるためとしか思えません」。しかし、NTCはそれは単に悪意なくヨネスを彼に恨みを持つメンバーの一部、原理主義者の旅団、オバイダ・イブン・ジャラヒ(Obaida Ibn Jarrah)に引き渡すという一連の管理上の誤りだったと言います。当局者は、男性1人が逮捕され、もう1人の容疑者の身元は分かって、事件につながる16の広範なグループの一部だと言います。

 ジャリル氏は以下のように述べ、「殺害の性質は、それが個人的な復讐だったことを示唆しています」。そして、それが1990年代末期の東部リビアでのイスラム戦士に対するカダフィ軍による作戦への懲罰だったと付け加えました。

 しかし、ユネスの家族、地元の人々と元イスラム主義者は彼はその作戦に関与していなかったと言います。将軍は、その証拠はないものの——旧政権との接触を維持したという疑いのために殺されたのかも知れません。しかし、彼の部族は主な理由は彼が——イスラム主義者が指揮するものを含めて——独立旅団を解散して、一つの国軍に合併するつもりだったためだと信じています。甥のムハマッド・ハミド(Muhammad Hamid)は以下のように言いました。「ヨネスは、カリスマを持つ手強い老兵だったので、彼らの最も恐ろしい敵でした。彼はこれらの人々を武装解除して、民間の生活に戻そうとしました」「これらの民兵は法律の外にあります。彼らの基本的な狙いはリビア政府を支配することです。しかし、評議会は彼らに対して行動を起こすことが苦手でした」。

 リビアの新しいマフムード・ジブリール首相(Prime Minister Mahmoud Jibril)は現在、すべての民兵を中央統制の下に置く計画を発表しました。しかし、イスラム主義者の背景を持つ一部の有名な旅団指揮官はそれに反対していると言われています。これらのグループを抑制し、東部リビアを支配する——ヨネスのオベイディ族の忠誠を保持することは現在、新政府の重要な最優先事項です。


 ユネス暗殺については最も詳しい記事ですが、逮捕状が出た経緯を考えるには、反政府派(暫定政権)の司法システムを知る必要があります。その知識がないために、手続きの妥当性について検討することはできません。もちろん、問題があったことは否定できませんが、どの程度の問題かを知る必要があります。一番の問題はユネスが意図的に何か恨みを持つものがいる部隊に引き渡されたかどうかです。陰謀はなかったようにも思えますが、確認されない限りは憶測に過ぎません。

 暗殺の動機は記事を読む限りで推測すると、やはり報復だろうと思えてきます。ユネス自身が弾圧に加わっていたかどうかは確認できませんが、弾圧された方が彼がやったと信じていれば復讐は成り立ちます。誤送した車の数が異常に多いのは、復讐のために集まってきたことを示しているように思われます。旅団の解散が動機なら、単に銃撃して殺して目的を遂げたでしょう。大勢の目の前で復讐を果たすことで、溜飲を下げる目的があったように思えます。

 むしろ、この記事はオベイディ族の動向がリビアの今後を考える上で重要であることを教えています。しかし、オベイディ族に関する情報は少ないし、元々、リビア国内の部族に関する情報は少ないのです。民主化することで、選挙の結果に大部族が有利になることは間違いがありません。最大部族が今回のような事件に巻き込まれていることは、何か影響があるかも知れません。



Copyright 2006 Akishige Tanaka all rights reserved.