別報:反政府軍がトリポリへ侵攻

2011.8.22


 リビア最新情報について、別確度から見た記事があります。military.comによれば、NATO軍がリビアの情勢変化が早すぎ、空爆の目標を特定し、攻撃することが難しくなっていると言いました。

 反政府軍は土曜日に、600人強の部隊が首都の20マイル(30km)以内に接近していると言いました。NATO軍広報官、ローランド・ラヴォア大佐(Col. Roland Lavoie)は、地上での状況が、ここ数日間すべての進展を追跡できないほど変化しやすく、これを確認できないと言います。彼は、戦闘は現在、町や村に集中し、目標の特定を困難にしていると言います。彼は「我々は紛争の別の段階に入ったので、従来の戦線はもはやありません」。

 一方で、反政府軍は土曜遅くにNATO軍と協調して、トリポリに最初の攻撃を開始すると言いました。AP通信の記者は首都で、通常とは違う激しい銃撃と爆発を聞きました。戦闘は近郊のザウィヤを確保した数時間後に勃発しました。

 銃撃戦と迫撃砲弾がトリポリの外国人特派員がいるホテルで明確に聞こえました。NATO軍航空機が夕暮れの後で重爆撃を行い、大きな爆発が街の全域で轟きました。

 「我々はこの作戦をNATO軍、アラブの協力者、ベンガジの指揮下にあるトリポリ市内の反政府軍兵士と共に計画しました」と反政府派の指導者、ムスタファ・アブドル・ジャリル(Mustafa Abdel-Jalil)は言いました。

 ジャリル氏は、彼らがイスラム教の神聖な月、ラマダンの20日にトリポリ攻撃を始めるのを選んだと言いました。この日は、624年にイスラム教徒が最初に聖地メッカのために戦った、古代イスラムのバドル(Badr)の戦いを示します。

 反政府軍はトリポリを攻撃してから2時間後、国営テレビはカダフィ大佐のライブ音声メッセージと思われるものを放送しました。彼はテレビ画面には現れず、時々ノイズを立てる貧弱な電話線でメッセージを叫んだように聞こえました。彼はライブで話していることを証明するために、時刻と日付を2度言いました。

 カダフィ大佐は反政府軍を裏切り者でリビアをかき回す「害獣」と非難し、現実と反対に、彼らは街という街から追い出されていると言いました。「リビア人は平和なラマダンを楽しみたかったのです」「その代わりに、彼らは難民になりました。我々は何なのですか?。パレスチナ人ですか?」。

 政府広報官、ムーサ・イブラヒム(Moussa Ibrahim)はリビア国営テレビでトリポリ市内での反乱を否定しました。しかし、彼はいくらかの通常で派内活動があったことを認めました。「確かに、近郊へ逃げ込み、小競り合いをした戦士がいくらかいましたが、我々はそれに30分間で対処し、現在は平静です」。

 両者からの主張は独立して確認できませんでした。

 ベンガジの軍指揮官、ファドラーラ・ハローン大佐(Col. Fadlallah Haroun)は、この戦いがマーメイド作戦(Operation Mermaid)の始まりを示すと言いました。マーメイド(人魚)はトリポリのニックネームです。彼は攻撃はNATO軍と協力しているとも言いました。ハーロン大佐は、武器が集められ、タグボートで金曜の夜にトリポリに送られたと言いました。「トリポリの戦士が同時に2ヶ所で立ち上がっています。一部は近郊のテジュラ(Tajoura)で他はマティガ(国際)空港(the Matiga (international) airport)の近くです」。テジュラは2月の反乱開始から、カダフィ政権へ最も強く反対する場所として知られていました。

 土曜日早く、まだ政府の手にあることを示すために、記者たちを空港に連れて行こうとしました。反政府派評議会のトリポリ代表者は、反政府軍が首都のほとんどすべての近郊を包囲しており、特に激しい戦闘が、ファショロム(Fashloum)、テジュラ、ソク・アル・ジョマ(Souq al-Jomaa)であったと言いました。これら3ヶ所の近郊はリビアで反乱が始まってから不満で沸き返っていました。彼らは抗議者たちが反カダフィの抗議活動で通りを歩いた時、政府軍の実弾で応じられただけでした。「私たちは正確な数を知りませんが、多くの戦士、多分100人以上が倒れたと聞いています」とモハメッド・アル・ハリジ(Mohammed al-Harizi)は言いました。

 アメリカのジェフリー・フェルトマン国務副長官(Assistant Secretary of State Jeffrey Feltman)は土曜日にベンガジを訪問しました。「カダフィ政権は余命いくばくもありません」「最良のシナリオはカダフィがいま退陣することです…それは市民を最もよく保護します」。

 ベンガジでは、街の中心部で大勢が花火と銃を空へ向けて撃ち、反政府派の三色旗を振って祝福しました。彼らはカダフィの側近で金曜日に離反したアブデル・サラム・ジャロウド(Abdel Salam Jalloud)の支持を得ました。イタリアからアルジャジーラTVに向けて話し、彼はトリポリの住民に「あなたたちは全員で一緒に一斉に立ち上がらなければなりません」と言い、カダフィ軍に作戦に加わるように要請しました。「決断の瞬間が近づいています」「あなたたちは死に体の政権を守っています」。

 人口200,000人のザウィヤを確保したことは、反政府軍が西方からトリポリへ前進する最後の大きな障害をクリアさせました。反政府軍はカダフィ軍はザウィヤの病院と中心部周辺の高層建築物から逃げる前に僅かな抵抗しかしませんでした。これは42年間の独裁政権が崩壊していることを示唆しました。

 反政府軍と民間人を乗せたトラックと車がザウィヤの中心部付近を走り、クラクションを鳴らし、勝利のVサインをかざし、「神は偉大なり!」と叫びました。反政府軍がトラックの拡声器で「ザウィヤは解放されました!」と叫ぶ時、救急車のクルーが歩道で写真撮影のためにポーズを取りました。

 しかし、政府軍は反政府軍が彼らを追い払ったと言った後もロケット砲と迫撃砲を東部の陣地から街へ撃ち込み続け、街中に轟音が反響しました。中央病院は、反政府派が占領してから数時間後の土曜日早くに迫撃砲弾で攻撃を受けました。この攻撃は手術室に大きな損害を与え、外壁の一つに穴を開けました。天井の金属の薄板が床と煤だらけの手術台に散らばりました。

 反政府派は、トリポリから90マイル(140km)離れたズリタン(Zlitan)も2ヶ月以上の戦闘の後に占領したと主張しました。「ズリタンは激戦の後で完全に解放され、私は初めて私たちがそれを支配していると言えます」とバニ大佐は土曜日に言いました。

 ザウィヤ(Zawiya)では、兵士たちはカダフィ軍の迫撃砲、ロケット砲、対空砲によって阻止され、1週間近く中心部で行き詰まっていました。金曜の午後、反政府軍の増援が到着し、中心部と病院へ向けて前進し、夕暮れ前に政府軍を追い払いましたと、21歳の反政府軍兵士、モハメッド・アブ・ダヤ(Mohammed Abu Daya)は言いました。

 反政府軍は土曜日に、彼らは今やカダフィ軍をさらに東へ、ザウィヤ郊外のジェダイム村(Jedaim)に向けて押していると言いました。

 カダフィ軍はロケット砲と迫撃砲を街へ撃ち、医師と彼の妻、9ヶ月の幼児を殺したと医療要員は言いました。

 ザウィヤの中心部は最近の戦闘の痕跡で覆われていました。周辺のホテル、銀行、政府事務所のほとんどすべての窓は壊れ、弾丸と破片の穴がすべての壁を台無しにしていました。砲撃は、カダフィ大佐の狙撃兵の陣地として使われた中心部付近の5つの建物の1つの2階を崩壊させました。

 政府軍兵士2人の死体が中央広場付近で毛布を掛けられていました。反政府軍は何日間もそこにあると言われる死体を通り過ぎる時、息を殺しました。

 ザウィヤ生まれのファイズ・イブラヒム(Faiz Ibrahim・42歳)は、街の中心部を安全に歩いて大きな喜びを感じました。エンジニアとして訓練を受けたイブラヒムは、反乱の初期に街を守るために武器を取りましたが、カダフィ軍が街を取り返すと地下活動を行いました。「私たちがここに来られたこと、中心部を開放したことで、私たちは神を賛美します」と彼はカラシニコフ銃を肩にかけて言いました。「私たちは彼らを追い出すのに必要なすべての破壊を見なければなりません」。


 実に興味深い記事です。

 ジャリル氏が「ベンガジの指揮下にあるトリポリ市内の反政府軍兵士」と言っていること、金曜日の夜に武器がトリポリに運ばれていることから、トリポリの秘密組織が蜂起して、カダフィ軍と交戦し、反政府派を市内へ招き入れたのは間違いがないと考えられます。

 非常によく計画され、実施された軍事作戦です。これはリビア人が計画的な軍事行動を行えることを意味しています。市内にいる秘密組織のメンバーが、カダフィ軍の行動を調べ上げ、突入が可能かどうかを慎重に検討してきたに違いありません。

 昨日、リビア政府の言い分をそのまま伝えた国内報道を批判しましたが、まさにその通りでした。

 カダフィ大佐の音声メッセージの音質が悪いのは、彼がかなり遠くにいることを連想させます。すでにトリポリ市内にいないのかも知れません。イブラヒム広報官とも言うことが食い違っていますから、政府内部の連絡も十分でないように感じます。

 マティガ国際空港は沿岸部の空港で、ここから南西に27kmのところにトリポリ国際空港があります。こちらを占領したという報道はありません。しかし、空路で脱出するにも、NATO軍が飛行禁止措置を取っています。



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