ユネス将軍を殺害したのは誰か?

2011.7.30


 military.comによれば、尋問のためにベンガジに連行される途中で、アブデル・ファタ・ユネス(Abdel Fattah Younes)が武装グループに射殺されました。

 彼は数時間前に、反政府派はユネスを彼の家族がカダフィ政権とつながっているという疑惑のため、彼を拘束したと言いました。これは彼が反政府派によって暗殺されたかもしれないという疑問を提起しました。

 反政府派代表、ムスタファ・アブデル・ジャリル(Mustafa Abdul-Jalil)は、質問を受け付けない記者会見でユネスの殺害を発表しました。彼は指揮官の側近である大佐2人も銃を持った男たちの攻撃で殺され、反政府派は攻撃の背後にいるグループの長を逮捕したと言いました。

 ユネスの死が発表される数時間前、反政府派広報官、モハメッド・アル・ライジャリ(Mohammed al-Rijali)は、彼がユネスが尋問のために前線に近い作戦室からベンガジに連れて行かれたと言いました。後に、アブデル・ジャリルは、ユネスは「軍事的な問題」に関して質問を受けるために「召喚」されたと言い、ことなる筋書きを発表しましたが、彼が殺された時はまだ尋問を受けていませんでした。彼はすべての反政府軍に、彼らの死体を見つけるよう依頼もしましたが、死亡しているのがどのように見つかったのかは説明しませんでした。

 別の保安当局者、ファドララー・アルーン(Fadlallah Haroun)は、アブデル・ジャリルの発表の前にAP通信に、保安隊がひどく焼けた3人の死体を見つけたと言いました。それらの2人は死亡し、1人は意識不明でした。1人はユネスと分かっていますが、彼らはどれがそうかが分かりませんでした。「我々は顔で誰かを判別できないほどひどく焼けた死体を見つけたので、我々は現場に行く調査委員会を作りました」。

 米英の当局者は報道の詳細を確認できないものの、調査中だと言いました。

 アブデル・ジャリルは、誰が攻撃の背後にいるのかを明らかに言いませんでしたが、反政府軍に「カダフィ政権が我々の団結を壊そうとする活動」を無視するように要請しました。

 BBCの記事から、目新しい部分を探してみました。

 何百人もの会葬者がユネスの棺をベンガジのメインスクエアに運びました。ユネスの甥、アブデル・ハキム(Abdul Hakim)は、「私たちはここ(ベンガジ)で昨日、遺体を受け取りました。彼は銃で撃たれ、焼かれていました」「彼は私たちに午前10時(グリニッジ標準時では木曜日の午前8時)に、ここに向かっている途中だと言うために電話をしてきました」と言いました。もう1人の甥、オハメド・ユネス( Mohammed Younes)は群衆に、彼らがジャリル氏と反政府派の理念に忠実なままだと言いました。「ムスタファ・アブデル・ジャリルへのメッセージ。私たちはずっとあなたと共に歩くでしょう」「神が我々に勝利を与えるか、殉教者に選ぶまで、リビアを最優先します」。

 1969年のクーデター以降、カダフィ政権の中心にいた元内務大臣は、2月にリビア内乱の始めに反政府派に加わりました。ミスラタにいるBBCのイアン・パネル(Ian Pannel)は、彼の離反はクーデターとみなされましたが、彼がカダフィ政権と接触を保っているという噂がありました。特派員は、ユネスの死は反政府派が信頼できないという国際的な疑いを起こすと言います。

 ジャリル氏は木曜遅くに将軍の死を発表し、彼を殺したグループの長を逮捕したと言いました。ジャリル氏は、襲撃者が誰で、どこで攻撃があったかは言いませんでした。彼は彼らの名誉のために3日間喪に服すると言いました。


 詳しいことは喪が明けてからになりそうです。ですが、土葬が中心のイスラム教では、死体を火で焼くのは懲罰とみなされていることから、ユネスを罪人と信じる者たちの犯行を連想します。ユネスを裏切り者と見る反政府派の一派が行ったと考えるのが自然です。

 カダフィ政権がユネスの連行を知って暗殺団を差し向けるのは、少々、話に無理があるように思われます。一行がどこにいるのかが分からなければ、暗殺者を差し向けることはできません。

 また、連行にあたっていた反政府派が襲撃で死傷したという話が出ていない点も気になります。死体を焼く暇もあったのに警護官たちは何もせず、犯行がすべて終わってから主犯を逮捕したというのは筋が通りません。つまり、彼らが手を下した可能性が一番考えやすいわけです。イタリアのムソリーニも、パルチザンが逮捕し、連行する途中で血気に逸ったパルチザンによって銃殺されました。似たような状況があったのかどうかが注目の焦点です。



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